第9話 電話

––––あれからどのくらい時間が過ぎ去ったのだろう。


 一人取り残された揚羽は公園のベンチに腰掛けて行き交うカップルを横目に佇んでいた。思考が停止し、涙はもう枯れ果てた。残ったのはガラクタの自分とぽっかり空いた心の隙間だけ。


「帰らなきゃ……」


 言い聞かせるように言葉を吐き捨てた。


––––一体どこへ?


 もちろん、李音様の元へ……。約束したから……お金を用意してもらう代わりに李音様の所有物しょゆうぶつになるって、私は彼の元へ帰らなきゃいけない義務がある。でも正直言うと、もう何もかもどうでもよくてこのままどこかへ消えていなくなってしまいたかった


「……私、神様に嫌われてるのかな?」


 どうしてこんなに上手くいかない人生なのだろう……? そう言う星の元に生まれてしまったのだろうか……?なら仕方ないか……。最初から幸せになりたいなんておこがましい願いだったのかもしれない。


『お前は幸せになんて絶対になれない、俺がお前を一生呪って不幸にしてやるからな』


 脳内に幼き頃から毎日のように言われ続けていた父親の言葉を思い出す。その言葉は呪縛となり、永遠に揚羽を縛り付ける鎖だった。だからその言葉に抗うかのように、それが現実とならないように【幸せ】とは何か求め始めた。……結局私が信じて疑わなかったものは間違いだったようだ。


「あーあ、誰か私を殺してくれないかな……」


 この世から消え去る勇気も持ち合わせていなくて、そんな馬鹿げたことをつい口に出してしまう。


––––♪〜♪♪


 ふと公園内に設置されている時計から軽快な音楽が鳴り始める。時刻は午後17時15分、大分日が落ちて秋らしい冷えた空気が頬を撫でた。両手がいつの間にか冷え切って悴んできている。少し指の関節の感覚が鈍くなっているような気がした。


 周りを見渡せば、公園内の人達は徐々に減ってきていて皆それぞれ帰る場所があっていいなぁと思った。


「お嬢さん」


 急に声をかけられ俯いていた顔をあげてみると、そこには警察官らしい制服を着た少し痩せこけた頬で鼠色の頭の男が立っていた。


「こんな時間に一人で出歩くのは危ないですよ」


 男は胸元からメモ帳とペンを取り出すと質問を始めた。


「一応確認ね、家出とかではないんだよね?」


「……違います」


「随分お若く見えますが、お歳は?」


「……20歳です」


「申し訳ないんですけど何か身分証を確認できるものはありますか?」


 警察官にそう言われて、断ることなんてできるのだろうか? 面倒臭いことになったと思いつつ、渋々身分証を提示すると男はサッと目を通し、何かをメモしてすぐに返却してくれた。


「脅かすようで悪いんですけど、ここ、出るんです」


 急に警察官の男は神妙な顔つきになり、声のトーンが少し低くなった。


「最近は何かと物騒で……暗くなってきましたし、お一人で歩くのは危険ですので人の多い通りまで送りますよ」


 確かに言われて周りを見てみると電灯が数本立っているとはいえ、視界が暗く不気味に木々が生い茂り、公園内は昼間のキラキラした恋人の聖地から一転し、おどろおどろしい雰囲気へと変貌をどけていた。これ以上ここに居座り続けるわけにもいかない、一先ずどうしようか返答に悩んでいると突然揚羽のスマートフォンがけたたましく鳴り始めた。


 その音にびっくりして思わず勢いのまま電話に出てしまった。


「今、どこにいる」


 氷のように冷たく不機嫌そうな声、この声には心当たりがある


「り、李音様……?」


 予想外の電話の主にびっくりして声が裏返ってしまった。


「今すぐ来い、電話はこのまま切るな」


 こちらの言い訳や意見などは一切聞かない、そんな高圧的な雰囲気だった。揚羽は逃げる言い訳を考えるのを断念し、スマホを耳に当てたまま目の前にいた警察官の男に頭を下げてとりあえずその場から立ち去ることにした。


男は走り去る揚羽の背中を見て小さく舌打ちをし、暗闇の色が濃くなりつつある公園内へとまた歩き出した。

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