愛するあなたのために

第1話

 雷のように激しい拍手が私の耳を叩く。私は自分の吐息だけが響く場所から別の場所へと連れ出されたような気分になった。


 耳に飛び込んでくる音は、お客様であるルディアどのと、私ことノマがしていた親善試合が終わってしまったことを意味していた。

 

 決着は時間切れのためにつかなかった。是非にでも勝ちたかった、と私のなかで悔しさが育っていく。

 

 私は構えを解き、手に握っていた槍をルディアどのに当たらないようにした。


 悔しさのために力を入れていた私の頬に、風が当たる。風は戦神いくさがみとしても祀られるラジン山から吹いてきたものだろう。春先であるというのに、風は私の体を冷たく通り過ぎていく。私の着る緋色の正装が風に揺れた。


 私は風の行方を追うために空を見上げる。私の立つ木製の円形闘技場からは青空が丸く見えた。今回の戦いのためにだけ造られた木製の円形闘技場は、静かに私を見守っていたような気がする。ラジン山のふもとから運ばれてきたこの地の特産品である香木は寡黙かもくだった。

「ノマさん、お疲れ様でした」

 と私の名を呼ぶお声がする。ルディアどののお声だ。私は申し訳ない気持ちになる。私より先にねぎらってくださったのだ。戦いが始まると、私は自分のなかで膨れ上がる歓喜という名の熱に抗えなくなってしまう。よくないこととわかっているがやめられない。


 私はお声のするほうを見、微笑むのがやっとだった。

「いい勝負になりましたね。充実した親善試合でございましたよ。拳聖シュルタより学んだことが最大限に生きたと自負しております」

 とルディアどのがお笑いになった。私はルディアどののお召し物を見る。上下青色の服は連邦警察官の正装だ。


 ルディアどのはご公務として、私との親善試合をしてくださった。最大の礼をもってもてなさなければならない。


「お気に召されたなら何よりです」

 と私は微笑んだ後、礼をした。

 礼をするのをやめると、私は不躾ながらルディアどのの全身を見た。ルディアどのの体は細く、長時間戦えるような体には見えないが、外見と実力とは違うものだ。私ならば体も顔も、いかつい、ということばがよく似合い、戦うにもわかりやすい相手かもしれなかった。


 私は再びルディアどのを見た。茶色の御髪おぐしと茶色の御目、白いお肌のルディアどの違って、私の髪は黒く、肌は黄色、目は黒い。ラジン山の麓に住む人々と同じ特徴だ。

 ただ、私には人々と大きく違うところがある。私は人に造られた人形であるのだから。

 思いの石が砕ければ木に変わり果てる存在であることが私にとっては誇りだ。


 私のすべてはラジン山の麓で武芸の家として名をなすイーライル家のご六代目のご当主様であらせられる、ラヤ様が魔法士ファルトにお命じになられて造らせたものだ。

 ラヤ様は私を伴侶とされ、戦場いくさばをともにお駆けになることもあった。


 ラヤ様がお隠れになられた後も私はラヤ様のご遺言である、歴代の主をお守りすることを続けている。私のもうひとつの誇りだ。


 ルディアどのも私と同じように仕事に人形としての誇りを感じているのだろうか。私はまたルディアどのを見る。ルディアどのはお楽しそうにお笑いになられるが、いつでも私にお立ち向かになられるようにされている。


 私はルディアどののお姿から刃を思い浮かべた。試合の最中もルディアどのからは刃のような鋭さを感じていた。


 私は何と素晴らしい人形と試合ができたのだろう。

 

 私は喜びをかみしめるのと同時に、気も引き締めた。

 私は年に一度と、新たなご当主様のご継承のときにだけ、ご武力に秀でられた人形と戦える。少ない機会なので、相手への礼はなくしたくない。

 ルディアどののことを気にしすぎては失礼に当たるというものだ。


「ノマさんほどの手練れとまみえる機会はあまりございませんので光栄なことでした」

 とご陽気にルディアどのがおっしゃられた。

「お迎えした以上は全力で戦おうと思っておりました」

 と私は笑顔になって答えた。


 ルディアどのがおうなずきになられると、

「お集まりの皆様!」

 という大きなお声が私の耳にこだまする。

「おや、次期ご当主様ですね。素敵なお方でございます」

 とおっしゃられるルディアどのに、

「はい、素晴らしいお方です」

 と私は誇りをもっていった。

 お声をお響かせになられたハリア様が赤い儀式用の盛装せいそうをひらめかせながら私たちのところにこられる。


 お肩までの黒い御髪に黄色いお肌、意志の強さが光る黒い御目が印象的な十六歳の少女でもあり、これから半日経てば私のすべてをかけて守り抜くお方ともなる。


 ハリア様が私とルディアどのの顔を交互にご覧になられると、ねぎらうようにお微笑みになられた。ご表情をお直しになられると、

「この度は、私のイーライル家二十代目当主継承の祝賀親善試合をご覧くださいまして、誠にありがとうございました。どうか善戦した二体に改めて拍手をお願いします!」

 とハリア様が御手を天へと伸ばされた。闘技場の衆客しゅうかくからは一斉に拍手が聞こえる。指笛の甲高い音や、歓声も混じっていた。


 身分制度が崩れたエスペルト連邦共和国にあって、ご当主様のご継承を祝う行事が大々的に行われるのは珍しいことだという。それだけイーライル家の力が大きいのだと、私は胸を張りたくなった。


 私は誇らしい気持ちのまま、ハリア様を見つめる。

「ルディアさん、お疲れ様でした。素晴らしい親善試合になりましたね」

 とハリア様がおっしゃられた。

「ノマには相手を思いやる姿勢が必要かな」

 私を見て、ハリア様がおからかいになる。

「ルディアさんに勝つつもりでいたでしょう?」

 というハリア様のおことばに、私は困り果てて愛想笑いをした。

「いえいえ、真剣勝負だからこそ修行になるというもの。この場を設けていただけたことは終生の誉れとなりましょう」

 とルディアどのがご陽気におっしゃられた。


 ハリア様がお笑いになる。

「武術だけでなく、話術もお上手なのですね」

「どれもこれも武術の役に立つものですから。この世にむだなことなどひとつもございませんからね」

 とハリア様のおことばに、ルディアどのが少し優しいお声になって応じられた。

 私は闘技場から退場したほうがいいのではないかと思った。ハリア様も寒空のなか闘技場にいるのはおつらいのではないか。


「ハリア様、もう……」

「わかってる、ノマ」

 私のことばにハリア様がご苦笑された。

「真面目だなぁ。詩人にはむかないね」

 とハリア様がおっしゃるので、私はうなずいた。

「詩人になれないのは認めます。凡庸ぼんようなものしか思い浮かびません」

「技術じゃなくて、生き方のこと」

 とおっしゃられたハリア様が私の左肩をお叩きになられた後、

「お集りの皆様、まずはルディアさんが退場いたします、どうぞ大きな拍手を!」

 とお声をお張り上げになられた。衆客がさびしさ交じりのため息をもらしてから、ルディアどのに拍手を送られた。ルディアどのが人懐っこくお笑いになられた後、衆客に向けて両手を振り、最後は礼をして、闘技場内にある控室へと戻られていく。


 控室にはルディアどのの同僚のヴィルハルトどのがお待ちになっておられるはずだ。

「ノマにもう一度拍手をお願いします!」

 ハリア様のお発しになられたおことばと同時に私は一礼する。拍手が雷のように鳴った。

 私は観覧席を見る。そこには現ご当主様のキカ様とそのご伴侶であらせられるワバク様、ハリア様のご婚約者であらせられるノバノ様の姿が見えた。


 ワバク様が指笛を吹かれ、キカ様が黒い御目にご表情を映されず、ワバク様の赤い礼服の袖をお指で軽くお引きになられた。キカ様のご当主様の証である、黒く短い御髪と赤い盛装が風に揺れている。

ワバク様は体躯もよろしいのでキカ様にお召し物をお引きになられても、まったく体勢を崩されていなかった。体格も含めて、ご当主様のご伴侶を引き受けられる、大らかな雰囲気を醸し出されている。背中まで伸びた黒い御髪を頭の後ろで束ねられていた。

 

 仲のいいお二方を、ノバノ様が優しい御目で見つめられた後、ハリア様に手を振られた。短めの黒い御髪と黒い御目。白い礼服をお召しになられている。優しげではあるものの、少し神経質そうな面差しをされたノバノ様に、ハリア様が御手を振られた。

「行こうか、ノマ」

 とノバノ様に御手を振られておられたハリア様が私よりも先に歩き出された。私はうなずき、ルディアどのとは別の控室を目指した。


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