第5話
おれは声のするほうを見た。ティマトが長いすから立ち上がって、おれたちをにらみつけてる。
「貴様ら、私のものに何をしている!」
とティマトが怒鳴る。
「身元の照会をしていたのですよ。それにしても困ったものですね。リューグさんとイリスさんはあなたの所有にはなっていないどころか、製作者の名前もわからずじまい。まだ他にもあるようですね。おそまつな魔方陣を見せられて、こちらも怒りたい気分ですよ」
とルディアがティマトを挑発するように笑った。
「貴様ら、魔法陣まで勝手に暴いたのか」
ティマトが動揺するようにいった。
「緊急の場合、人形の同意を得れば魔法陣を見られるのですよ」
肩をすくめてルディア。
おれは怒りを何とかこらえた。ティマトを信じたいのに、心のどこかに信じられない、という思いが浮かんでくる。
いま、ティマトは勝手に暴いたっていった。おれたちの心なんて知らないとばかりに。
それに、おれたちのこと、ものだっていった。
おれはティマトのことを冷たいと思うことはあったけど、傲慢だとは思わなかったのに。はじめておれは思う。傲慢だ、ティマトは。
「さて、体調も戻られたようですし、町の詰め所で話を伺いましょうか。リューグさんとイリスさんはここでお待ちくださいね」
というルディアの声と、
「待ってください!」
というイリスの悲痛な叫び声とが重なった。
「ここで知りたいんです。本当のことを」
とイリスが訴える。怒るだけのおれとは違い、戦うことにしたイリスに、おれはおどろいた。
イリスが決意を込めた瞳のまま、ヴィルハルトとルディアを見てる。
おれはイリスをすごい、と思った。同時に、おれは自分の顔を叩きたい気分になった。
がんばるんだ、おれ。いとしのイリスと肩を並べられなくてどうするんだ。
「さっきは知らないほうがよかったって思ったけど、考え直すよ。おれも知りたい」
ルディアとヴィルハルトがお互いに顔を見合わせて、決心したようにうなずきあった。
「いいでしょう。詰め所には後々行けますから。リューグさん、イリスさん。聞かなければよかった、見なければよかった、知らなければよかったと思うこともありますよ。心は決まりましたか?」
というルディアのことばに、おれたちはうなずいた。
おれたちのやりとりを聞いていたティマトが拳を震わせた。
「勝手なことをいうな!」
とティマトが声を裏返しながらいう。
「お前たちの決意などどうでもいい、何故早く永遠を誓わないのだ!」
ティマトのことばにおれは顔が赤くなった。恥ずかしさと怒りがおれの体を走る。
「いまする話じゃないだろ、おれたちは本当のことが知りたいんだ!」
とおれは叫んだ。
「おまえは黙っていろ!」
ティマトが怒鳴り返す。ティマトのいったことは、おれに暴力を振るったのと同じことだ。
おれの胸が痛くなる。イリスにふれたいと願ったときと同じぐらいに。
ティマトがルディアに向き直って、
「情に訴えれば法廷で自分に不利になることを口にすると思ったか、警官めが」
と低くいい、歯を噛みしめた。
「あなたには黙秘する権利がありますね、確かに。けれどいまここで話したほうがいいのでは? リューグさんとイリスさんが積もり積もった圧で壊れてしまうかもしれませんよ」
とルディア。
「この程度で壊れなどしない。どうせ捕まるのならば、むりにでも永遠を誓わせてやる。お前たち、私に永遠を見せてくれ!」
ティマトがおれとイリスを見て怒鳴る。ティマトの目が血走ってる。
おれの背中に寒気が走った。怖い、と思った。ティマトのねばりつくような感情がおれにはわからない。
「できるわけないだろ!」
とおれがティマトの感情に怯えながら怒鳴り返すと、いらだちを抑えながらティマトが、
「できる。お前たちは人と違って老いない。老いは愛を、人の心を変えてしまうのだ。連れ合いが私を裏切って離れていったようにな」
と低くいった。
「だがお前たち人形なら変わることのない愛を誓い合える。誓い合った後、二人だけの世界で生きていける。お前たちは私の養子にしてあるからな。二人で少しでも長く暮らしていけるよう、環境も整えた。誰も邪魔しないように」
とティマトが熱に浮かされたような声を出した。
まるで夢の世界を生きているみたいな声で、ティマトがことばを続ける。
「リューグ、お前なら必ずできる。いまの魔法士がいっていた、いままでの三体は負荷に耐えらず壊れたが、リューグは痛みを超えられる人形なのだと。民話を聞かせてその気にさせたのに、二人きりにもしたのに、私の努力はなかったことになるとでもいうのか」
おれとイリスの恋はティマトが仕組んだってことなのか。おれは怒りを通り越して悲しくなった。誰も口を開くことができない。
皆の沈黙に、ティマトも押し黙った。しゃべったことを後悔しているみたいだった。
「狂気というのは人の口を滑らかにいたしますね」
とルディアが肩をすくめた。
ああ、ねばりつく視線を生む感情は、狂気というんだ。怖くて悲しいことばを知っちゃったな。
おれはティマトを見る。ティマトは誰とも目を合わさずにいた。
「ティマトさん、あなたは騙された。痛みを越えられる人形などいない。剣闘士型が痛みに強いのは確かだが」
言い捨てるようにヴィルハルト。
「三体もの人形をどこに隠している」
怒ったような顔をして、ヴィルハルトがいった。
「勝手に探せ」
とティマトが吐き捨てるようにいう。
「ヴィルハルトが探し当てますとも」
と散歩に行くみたいな軽い声でルディアがいった。
「ああ、任せてくれ。ルディア、リューグさんとイリスさん、ティマトさんを頼む」
ヴィルハルトがおれたちから離れていく。ヴィルハルトを遠目に見ながら、いとしのイリスがつぶやく。
「ティマト、マーシャさんは亡くなっていたんじゃなかったのね」
怒りを散らすみたいに、イリスがため息をついた。
「いないことに変わりはない。死んだと同然だ」
「生きているなら、会いに行くこともできたはずじゃないの?」
イリスの問いに、ティマトが眉を上げた。
「向こうが来るならわかる。何故私が行かねばならない。私はあれに命を捧げてきたし、心を尽くしてきた。一方的に私を捨てたのはあちらのほうだ」
と珍しく早口になってティマトがいった。
「ティマトは頑固だから」
とイリスが怒りで声を濡らした。
「マーシャさんもつらいときがあったのかもしれないわ。あなたが私に外に出ないようにいったように、マーシャさんに何かをしてはいけないと、厳しくいったことがあるはずよ」
イリスは怒りを何とかこらえているみたいだった。イリスの声は低くて刃物みたいに鋭い。おれがはじめて聞く声だった。
「私が生まれて初めて聞いたことばはね、ティマト。さあ、皆にあいさつするといい、その後は、屋敷から出てはいけない、よ」
イリスが拳を握る。
「疑うことさえしなかったわ」
イリスの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「皆を愛することさえ仕組まれていただなんて……!」
「イリス……」
おれはイリスを抱きしめたかった。イリスに近づこうとすると、おれの胸は激しく痛む。
ああ、せめて指先だけでもいい、ふれられたならいいのに。情けないことに、イリスにことばをかけることすらできなかった。
おれが痛みに耐えながら過ごしていると、
「見つけたぞ!」
とヴィルハルトが声をあげる。
声のするほうを見ると、ヴィルハルトが玄関近くの戸棚に札を触れさせている。札は青く光っていた。ヴィルハルトが戸棚を動かそうとしている。
「さて、救援といきますか」
と相変わらず軽い声でルディアがいい、素早くヴィルハルトに近づいた。
「リューグさん、イリスさんもこちらへ。それからティマトさん、あなたもこちらへ」
おれもイリスも、ルディアのことばにうなずいた。おれとイリスは、ルディアとヴィルハルトに近づく。足音でティマトがついてきているのがわかった。
ルディアがヴィルハルトと一緒に戸棚を動かす。
おれは床に目を凝らす。床に大きなふたみたいなものがあった。いままで、注意して見たことがなかったところに、意外なものがあったな。
「失礼しますよ」
とルディアがふたを開ける。
おれはルディアとヴィルハルトの背後まで近づいて、ふたのなかを見る。大きな地下室があった。間取りでいうと、おれの部屋の左隣りになるな。
おれは地下に目を動かした。
地下室には見慣れないものが落ちていて、誰かが降りないといけないみたいだった。
おれが行こうかどうか迷っていると、ルディアが軽い動きで地下に降りる。ルディアが見慣れないものを地上にかけてみせた。
「これははしごといいます。足と手をかけてゆっくり降りてきてください」
とルディアが声をかけてくれた。
「俺はティマトさんを見張ろう。逃げられては困るからな」
とヴィルハルト。ルディアが手を振って、
「承りました」
と陽気にいった。
おれははしごを使って、地下に降りていく。鼻を刺すようなかびのにおいがした。
「イリス、危ないよ。君はそこで待っていて」
とおれはイリスに声をかけた。
イリスが首を振る。
「いいえ、行くわ」
とイリスがいうと、大きく深呼吸をした。
イリスがはしごを使って、こちらにやってくる。いとしのイリスは強いな。
おれの目が慣れてきて、木でできた何かがわかるようになった。よく目を凝らすと、人の形をした木が三つある。
「これが人形だっていうのか」
「正しくは、人形の最後の姿です」
ルディアが三体を悼んだようにいった。
人の形をしたそれらは、投げ捨てられたような形をしていた。
かびのなかで、ただただ、ごみみたいに扱われたイリスの想い人。
イリスが鋭く息を飲むのがおれにはわかった。瞳に涙をためているのも。
「あんまりだ」
と、おれは口に出していた。目からは涙があふれ出る。
「いらなくなったら捨てるのかよ!」
おれはティマトを怒鳴りつけたくなった。
「皆、寒かったでしょう、怖かったでしょう。気づいてあげられなくて、ごめんなさい」
とイリスがしゃくりをあげた。
「つらいことを告げなくてはいけませんね。魔法陣に出て、いま確定したことですから」
ルディアが真剣な顔をして、
「イリスさんは記憶を操作されています」
と何かを決めたみたいにいった。
「ティマトさんは魔法士とよく会っていらっしゃるのでしょう。イリスさんが三体の壊れる瞬間を目撃しても、ティマトさんが魔法士に頼んでイリスさんの記憶を操作し、忘れさせていたんです」
話は難しいけど、ティマトがイリスにひどいことをしたかもしれないことはおれにもわかった。
「ティマト!」
おれは地上にいるティマトへの怒りからはしごに向かって走り出した。
おれのなかで怒りは別のものに姿を変えようとしてる。
急に服をつかまれて、おれは転びそうになる。
「いけませんね、殺意なんてものを抱いてしまったら、思いの石が砕けてしまいますよ。それに、いったはずですよ。聞かなければよかった、見なければよかった、知らなければよかったと思うことがあると」
とルディアの声がおれの後ろから聞こえた。
「おかしいだろ。おれたちだけみじめな思いをしてるなんてさ」
おれは涙声でいった。おれの両目からは涙があふれてくるけど、涙はなぐさめにはならなかった。おれの胸が痛み出す。
みじめ、ということばは知っていても、これまでなじみがなかった。それなのにいまは他の感情よりもなじみがある。
「まずは泣き続けるといいでしょう。泣くと少しだけ痛みが紛れますから。泣いた後は背筋を伸ばしてみてください。力がわきますよ」
と優しい声でルディアがいった。
おれは前を向いて、腕で涙を拭う。
「全部が終わってから泣くよ」
とおれはいった。ルディアが優しい顔をしてうなずくと、すぐに真剣な顔になる。
「ティマトさんに話を伺いますか」
とルディアがはしごを使って、地上へと戻っていく。おれも後に続こうとした。
急におれの服が引っ張られる。イリスがおれの服を握っていた。
「リューグ。私、ティマトにいいたいことがあるの」
「うん、きっとおれも同じことを考えてる」
とイリスのことばに、おれは力強くうなずいてみせた。
思いやれる相手がいることは幸せなことだったんだな。
せつなくなりながらおれは地上に着く。地上ではティマトが顔を青くして怒っていた。
ヴィルハルトがそばにいるのにも構わずに、
「誰だ、警察に知らせたのは!」
とティマトが怒鳴った。すぐに小声で早く、
「セディンは違うな、あれは違法に人形がほしいのだから、警察になど知らせない。いつも野菜を運んでくる使用人には金を握らせてある、絶対に裏切らない」
とティマトが独り言を垂れ流してる。
「ならばあいつか、あいつが……!」
「誰が何をしようがどうでもいいよ」
とおれは低くいった。
「問題はさ、ティマト。おれたちがどうしたいかだ」
おれはティマトをにらみつけた。
おれといとしのイリスが出した結論を、いう。
「もうあんたのもとにはいられない。警察についていくよ」
「何だと、生意気なことをいうな! お前たちは永遠さえ誓い合っていればいいというのに!」
ティマトが血走った目でおれを見た。
「さっき、イリスと二人で決めた」
「ええ」
おれの後に地上に出てきたイリスがいった。
地面に足をつけると、イリスがティマトを見据える。
「私とリューグが壊れてしまうなら、離れてしまうのが一番いいことだわ。それにね、ティマト。きっと二人だけの世界は味気ないわ」
と瞳に涙をためて、イリス。
おれはイリスを抱きしめたかった。イリスの涙に口づけしたかった。
急におれの胸が激しく痛む。
この痛みは恋でも愛でもない。
愛も恋も違う形をしているって、いまわかった。
おれは痛みをこらえて、
「二人で過ごすことだけが愛なもんか。愛は、イリスがおれにしてくれたみたいに、お互いのことをちゃんと思いやることだ」
といってみせた。全員がおれを見たから、照れくさくなって頭をかいた。
イリスがおれに優しく微笑むと、すぐに真面目な表情でティマトを見た。
「ねえ、ティマト。いままで何とか暮らしていけたのは、ティマト、あなたがいたからよ」
イリスの瞳から涙があふれた。
「私、あなたのことを憎みきれないの。たくさんの出会いをくれて、民話を教えてくれた人なんだもの」
だからね、とイリスが続ける。
「どうか自分が悪いことをしたと認めて」
とイリスが両手を祈るように組んだ。
「私に牙を向けるというのか、お前たち!」
とティマトが怒鳴った。
「牙を向けるんじゃない、おれたちができるたったひとつのことをやってるだけだよ」
怒鳴るのをこらえて、おれは低くいった。
「何のために、連れ合いのあだ名と、自分のあだ名をお前たちに与えたと思うのだ! 私はほしいのだ、永遠の愛が! 頼む、どうか私に与えてくれ!」
ティマトが両手を握った。
「愛がお前たちのいうとおりの、簡単なものならどれほどよかったか」
ヴィルハルトが同情するように首を横に振る。
「確かなのは、人形は簡単に壊れてしまうものだということです」
とルディアが珍しく静かにいった。
「認めんぞ、魔法士に騙されたなどと! 人形を買うのにいくらかかったと思っている!」
「魔法士の名前はわかりますか? 先ほどいまの、とおっしゃられていましたから、複数の魔法士と関わっていますね」
ティマトの叫びに、ルディアが静かに返す。
「いま関わっているのはハビキズだ。他は答えたくない」
「偽名の可能性が高いですがありがたい証言です」
とルディアが楽しそうにいった。
「ティマト、いままでありがとう。もう私たちお別れしなきゃね」
とイリスが涙をこらえながらいう。ティマトが玄関に向かって歩き、両手を広げて、
「行かせんぞ」
と低くいった。
「どこにも行かせん」
ティマトが血走った目で続ける。
「愛は壊れてはならないのだ」
ティマトの瞳から涙がこぼれた。
「心も愛も変わるものよ」
とイリスが優しくいう。おれはイリスを守るようにしてイリスの隣に並ぶ。
「違う、不変だ」
とティマトが食い下がる。
ティマトの目を見て、いとしのイリスが、
「ティマト、悪いことをしたと認めて」
と涙をこらえて訴える。ティマトは沈黙する。思いを言葉にしてほしかったのに。
「後は警察の仕事です。町で伺いますよ」
とルディアがティマトに近づくと、ティマトの肩に優しく触れた。
ヴィルハルトがティマトの肩を叩く。
「愛を求めて何が悪かったというのだ」
とティマトがうなだれるのを、おれもイリスも涙を流しながら見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます