第21話 初期大和の中心地

 櫟本いちのもとで電車に乗るのをやめて、天理てんり駅まで歩きます。

 この途中が「在原ありわら」という土地で、在原ありわら業平のなりひらはこの地にゆかりがあり、その地名を氏の名にしたようです。

 天理駅よりも先、歩くのを続けるかどうか、ということは迷いました。

 前回の教訓もあります。今回は、足がるということはなかったけど、足の裏にまめができた状態で、長い距離を歩くのはつらい、という状況でした。

 しかし、天理駅まで引き返してみると、ちょうど万葉まんようまほろば線(桜井線)の電車が来る時間だったので、その電車に乗りました。これで、歩くのを続けるのは決まりました。

 行き先は「磐余いわれいけ」です。

 姫は、播磨はりまから来たとき、その廣瀬ひろせ大社にお参りしたあと、さらに川をさかのぼって、磐余の池に着いた、ということでした。

 前回、自転車ではこの磐余の池まで来ることができませんでした。今度はその池の跡地まで行ってみよう、と考えたのです。

 また、万葉まほろば線の電車からは、別に見てみたいものがありました。

 一つは、最初期の前方後円墳の箸墓はしはか古墳です。電車は箸墓古墳のすぐ後ろ側(後円部の横)を通過するはずです。

 箸墓に限らず、この万葉まほろば線は、古墳時代初期の首都、大和王権発祥の地である纏向まきむく遺跡を通ります(駅名は「巻向まきむく」)。現在は田んぼになったり住宅地になったりしていますから、当時の景観そのものは見られませんが、「こんな地だったんだな」ということを確かめたい、という思いがありました。

 それと、もう一つ、この電車から、西にし殿塚とのづか古墳がどう見えるか?

 つまり、宮内くない治定じじょう白香しらかひめ(手白香皇女)の御陵ごりょうです。

 近くから見ると、住宅地の後ろ、高いところに大きく広がっている丘陵地で、とてもおごそかに、圧倒するように見えました。

 では、電車のなかからは、どうなのか?

 やっぱり存在感があるのか、それとも背後の山にまぎれてそれほど目立たないのか。

 ただ、いま、古墳、とくに宮内庁治定で保護されている古墳が目立つのは、上に「古墳の森」が形成されているからです。

 古墳ができたばかりのときは、もちろん「森」はありません。

 すべての古墳がそうだったかどうかはわかりませんが、大規模な古墳は表層部が「き石」でおおわれていることが多い。

 だとすると、エジプトのピラミッドと同じとはいいませんけど、印象には似通ったところのある「巨大石造物」として印象的だったのではないか?

 では、古墳ができたばかりのときに「森」がなかったとして、古墳には木が生えないようにメンテナンスされていたのか、それとも木は生えていいということで、木や草を生やさないようなメンテナンスはしていなかったのか?

 一方で、いまの住宅地はないので、古墳に森があったほうが、周囲の森とはまぎれやすく、森がないほうが目立ちやすい。

 その景観を再現することはできないのですが、ともかく、森がこちらに対してどう見えるかを確かめてみたかったのです。

 大和おおやまと神社を通り過ぎたあたりで東のほうの山を見ると。

 さして注視する必要もなく、見えました。

 西殿塚古墳の巨大な森が。

 そして、その手前の左側、盛り上がった果樹畑の小山が見えます。

 こちらが、手白香姫(手白香皇女)のほんとうの陵とされている西山にしやまづか古墳です。

 西山塚古墳は、あらかじめ知っていないと見分けられないと思いますが。

 電車のなかから見ても、「ああ、あの古墳の上で今日もネコたちが遊んでいるんだな」と思うと気分が和みます。

 やっぱり、西殿塚古墳は大和王権初期の偉大な大王の陵で、西山塚古墳が姫のみささぎじゃないのかな?

 姫が偉大じゃないと言ったら怒られますけど。

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