第19話 石上広高宮(2)

 お稲荷いなり様にお参りすると、由緒ゆいしょが書いてありました。

 それによると、姫のおじいさんにあたる市辺いちのべの押磐おしわのみこの邸宅もこの近くにあった、ということです。

 姫の父にあたる億計おけ大王(ネタバレの可能性があるので漢風かんふう諡号しごうは書きませんが……まあ調べればすぐ出て来ます)は、小説にあるとおり、播磨はりまに逃れていた、ということです。もし市辺押磐王の邸宅がここにあったとすると、億計大王の時代になってもともとの本拠地に帰ってきた、ということになります。

 ただ、市辺いちのべというと滋賀県の地名でもあり、宮内くない治定じじょうの市辺押磐王(市辺押磐皇子)の墓所も滋賀県にあります。だからといって、滋賀県が本拠地とは限らないのですが。

 小説では、姫のお母さんは、市辺押磐王は近江(滋賀県)が本拠地だと主張していますけど。

 もともと市辺押磐王がこの石上の地に本拠地を持っていたのだとすると、そこは物部氏の本拠地のすぐ近く、というより、物部氏の本拠地に抱えられるような土地なので、物部氏との関係が深かったのかも知れません。

 物部氏の墓所が石上・豊田古墳群になるのは古墳時代も後期に近くなってからのようです。億計大王や姫がいた時代と重なります。

 その前の時代の物部氏の墳墓群とされるのは、石上神宮より南、前回の訪問時に私が歩けなくなってしまったあたりに広がる杣之内そまのうち古墳群だということで、物部氏は北へと本拠地を移したのかも知れません。

 ただ、杣之内古墳群は、石上・豊田古墳群と重なる古墳時代後期まで古墳が造られ続けているので、この二つの古墳群の主は、別の氏族、または物部氏のなかでも別グループだと考えることもできます。

 そう考えて、かつ、市辺押磐王の本拠地がこの稲荷神社の近くだったとすると、この系統は物部氏の一分派と関係が深かった、ということになります。とくに、この時代の有力者だった物部もののべのむらじ(小説にはのむらじとして出て来ます)が、この稲荷神社の近くに勢力をもっていたのでしょうか。

 このあたりは、現在の住宅地からも離れていて、平地や平地近くの神社とは感じが違います。

 夜に訪れたら、神聖な感じにも包まれるのでしょうが、たぶん、自然が持っている本来の恐ろしさのようなものにも圧倒されるのだろうな、と思います。

 小説では、森に囲まれた宮、ということにしているので、ちょうどこんな感じでいいのかな、と思いました。

 また、住宅地のあたりからは大和平野はそれほど見渡せないのですが、ここは高台になっているので、その高台のへりまで行くと大和平野が見渡せます。

 姫の一家はこの宮の敷地の端で「国見くにみ」をしたことになっています。

 国見はできる場所だな、ということも確認できたので、よかったと思います。

 姫の導きで、ここまで来ることができました。

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