第17話 石上神宮
この日に到達できなかった
石上神宮は
これは、先日は撤退しておいてよかった、と思いました。あの状態では、石上神宮まで到達したとしても、そこから天理駅まで戻るのは相当にたいへんだったでしょう。
天理教本部の前を通って石上神宮まで上がって行きます。
神宮は、天理市の東側の高い場所にありました。
森に囲まれた神社です。
ここは新型(一九年型)コロナウイルス感染症流行前に参拝していますが、そのときのことはほとんどすっかり忘れていました。
鳥居をくぐったところには、鶏が何羽もいます。
放し飼い、というのか、鶏のみなさん、自由行動中です。
参拝客のみなさんも鶏の相手をしたりしていて、鶏と仲よくしています。
みんな
解説によると、
その鶏がたくさんいるところから少し上ったところに石上神宮の社殿があります。
参拝の方は、行列ができるほどではありませんが、おおぜいいらしていました。
神様にお参りします。
この神社の宝物には
この「刀」には刀身に銘文が刻まれています。制作年もおそらく中国王朝の元号で記されているのですが、二文字の元号のうち一文字が判読不能で、いくつかの説があります。石上神宮では三六九年説をとっています。
また、元号は、当時、南北に分かれていた中国王朝のうち南の王朝のものです。銘文から、日本にこの「刀」をもたらしたのは
七支刀については『日本書紀』の
ところで、古墳時代には、西暦は伝わっていませんし、元号もなかったのですが、東アジア共通に使われる「
この十干十二支の「干支」は六十年でひとまわりします。それで、六十歳を「干支がもとにかえる」という意味で「
『日本書紀』の記述どおりだと西暦三六九年は神功皇后の年にはならないのですが、そこから干支二回りにあたる一二〇年を繰り下げると、この七支刀の年代に合致します。
手白香姫につながる系譜だと、神功皇后の子が
手白香姫の生年は不明ですが、だいたい西暦四八〇年くらいと見積もって(どうしてそう考えるかは小説が終わってから書きます)、一世代が三十年とみると神功皇后の生年が三〇〇年となります。この推算だと、神功皇后は、七支刀がもたらされた時代に君臨するには時代が古すぎる感もあります。しかし、当時の王族では最初の子を産むのは二十歳台でしょうから、最初の男子が位を嗣いでいるとすると、一世代は三十年より短い可能性が強い。そうすると神功皇后の治世に七支刀がもたらされたとしても無理はありません。
また、応神天皇陵とされる
ところで、石上神宮の主な祭神は
この石上神宮のまつりを管理したのが
同時に、神剣「ふつのみたま」は
また、布都御魂大神に似た名の
藤原氏はもともと
物部氏は西暦587年の「
中臣氏も蘇我氏に圧倒されたのでしょうけど、「大化の改新」で
で、中臣氏と物部氏で、まつっている神様の関係が近い。
また、前に書いた
もしかすると、「神祭り」を含めた物部氏の「遺産」の一部を中臣氏が受け継ぎ、それが藤原氏に伝えられたのではないか、というようなことも考えるのですけど、どうなのでしょう?
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