第15話 石上へ

 計画どおり石上いそのかみに向かうかどうかも、やっぱり迷ったのですが。

 石上神宮まで四キロということです。

 平地ならば四キロなら一時間で歩けます。やまの道は山の中腹を通っていますが、それほど高低差がないとしたら、同じくらいで歩けるだろう、と考えて、行くことにしました。

 ところで、今回の目的のひとつに、山の辺の道から大和平野を見下ろしたときに、物語の「国見」の場面で描いたように見えるか、ということがありました。

 これもかなり昔に山の辺の道に来たときの記憶で書いたので、まちがっていたらどうしよう、と思ったのですが。

 道を歩きながら平野を見下ろしてみると、いちいち確かめてはいないですが、あまりまちがっていなかったと思います。

 葛城かつらぎのほうの山が軽くかすんで見える、というところも、そのとおりでした。

 まあ、遠いからですけどね。

 あと、現在は、工場とか自動車とかから人工の細かい塵が出て、それが空気中に漂っているので、それがまったく存在しない条件ではどうか?

 それは、もう現在からは検証できないですけど。

 山の辺の道は生活道路なので、住んでいる人たちが暮らしたり働いたりに使っている道を歩かせていただくことになります。

 それでも、観光客の人たちにはよく出会いました。

 若い人たちのグループから、歳をとった人たちのグループ、夫婦らしい二人連れ、家族連れ、子ども連れなどさまざまでしたし、欧米からいらした方たちにも多く出会いました。

 徐々に「観光地ににぎわいが戻りつつある」というのが現在の状況かな、と感じます。

 よく晴れた一日が夕方に向かって行く、気もちのいい時間帯です。

 石上まで行く途中で、夜都伎やつぎ(夜都岐;読みは「やつき」、「やとき」、「やとぎ」など)神社という神社にお参りしました。

 ここは春日大社と関係が深いところということです。

 ところで、小説のなかでも春日かすがという土地はよく出て来ますけど、この小説の時代にはまだ春日大社はありません。

 また、春日大社は藤原ふじわら氏と関係が深いですが、この物語の時代の春日一族は和珥わに氏の一部です。藤原氏は、この時代の中臣なかとみ氏から後に成立するのですが、和珥氏と中臣氏は別の氏族です。

 夜都伎神社が春日大社と関係が深いのはここが興福寺こうふくじと春日大社の荘園だったからということで、荘園という制度は古墳時代にはありません。

 では、この場所と春日に関係ができたのは、中央政治で藤原氏が権勢を強めてからなのか、それとももともとこの場所が和珥系の春日氏と関係が深く、あらかじめ春日と何か縁があったのかは、よくわかりません。

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