第10話 「万葉」

 歩いていると暑くなってきました。

 今年の冬は寒かったので、寒さへの用心から、なかなか冬対応の服装をやめられずにいたのですが、当日は暖かいのを通り越して暑いぐらいの陽気でした。

 そのうえ、「汗をかいても水を飲まなければダイエットになる」とかいう安易な発想で水を持ち歩いていなかったので……。

 古代権力が水をコントロールするとかより前に、自分の水分補給がコントロールできていませんでした。

 そうやってそろそろバテはじめた状態で、桜井さくらいせん、愛称「万葉まんようまほろば線」の長柄ながら駅に到達しました。

 東京民にわかりやすい表現で言うと、新宿しんじゅくから池袋いけぶくろの距離を歩き通したわけですね。

 ところで、名まえに「万葉」のつく鉄道は、ここ以外にもいくつかあります。

 滋賀県には「万葉あかね線」がありますし、富山県には「万葉線」があります。

 どれも『万葉集』に由来します。どちらかというと観光客向けにアピールする名まえとして選ばれたのだと思いますが、昔の日本の歌集として『万葉集』の知名度が高いことと、『万葉集』が日本各地を題材にする歌を収録していることの反映でしょう。

 鉄道ではありませんが、いまの元号「令和」も『万葉集』が出典です。「令和」の出典となった「初春の令月れいげつにしてよくく風やわらぎ」は、福岡県の太宰府だざいふで開かれた「歌会」の序文(ことばがき)にあります。

 なお、「令月」は旧暦の二月のことで、現在の三月ごろ、このばあいの「令」は「美しい」・「よい」の意味です。

 元号についての考えかたはいろいろだと思いますけど、「冬が終わって春に向かう日のように、うつくしく、きよらかに、やわらかに、平和に」というのは、この令和の時代に尊重したい理念だと私は思っています。

 それにしても、日本列島のいろいろなところが「万葉集ゆかりの地」を名乗れるのが『万葉集』のすごいところだと思います。

 そして、その『万葉集』の最初を飾る歌の作者が雄略ゆうりゃく天皇、つまりワカタケル大王です。

 その歌の大意は

かごをな、籠を持ち、土を掘るへらをな、へらを持ち、この丘で菜をんでいるお嬢さん! どこの家の子かきかせて? 名まえを言って? この広い空の下の大和やまとの国は私のいる場所、ここはすべて私のいる場所なのだよ。だから私にこそ言ってよ! 家をも、名をも」

というものです。

 歴史的な最初の詩集の最初の歌がナンパの歌。

 すごいです!

 いままねをするとコンプライアンス的にかなり危ないですけど。

 だいたい一般民が偉大な大王のまねをしたりしてはいけないわけで。

 『古事記』でも雄略天皇の部分はナンパの話が多いです。

 いろんな女性に声をかけることができる、そして女性に受け入れさせることができる、というのが、偉大な権力者の条件だった、ということではないかと思います。

 仁徳にんとく天皇もそうですし、ギリシャ神話のゼウスもそうです。

 『日本書紀』では、雄略天皇は殺伐さつばつとした政争と外交の話が多く、女性に声をかけるエピソードはそれほど目立ちませんけれども、(小説でも言及されている)市辺いちのべの押磐おしわのみこを狩りに誘って暗殺した話を含め、狩りに関係するエピソードが多い感じがします(「市辺」は小説では「いちべ」とふりがなを振っていましたが、「いちのへ」または「いちのべ」が正しいようです。追い追い修正して行きたいと思います)。

 女性に対しても、荒ぶる動物に対しても強い、というのが、「大王らしさ」の「原像」の一つだったんじゃないのかな、と思います。

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