第9話 「水の国」大和

 その大和やまとがわを渡ると、そのあたりから道が少しずつ上りになります。

 ところどころに、高いつつみで囲われたため池が見えてきます。

 そのため池には説明版のあるところもあり、それによると、近代でもこのあたりの川は水害を起こしたことがあるということです。

 ため池が造られるのは、その水害を予防するためでもあり、また、ほうっておいたら流れてしまう水をめて農業用水に活用しようということもあるわけです。

 いまでもこのあたりには道ばたには水路が多い。その水が深くたまっているところ、流れのとてもゆるいところもあれば、急流になって流れているところもありました。

 川を改修し、水路を整備し、堤を築きため池を掘って水をため池に導き、水害を防止し農業を発展させる。その治水の事業が近代まで続いた、現在でも継続中ということは、治水技術が十分でなかった古代にはその水が何度も暴れていた、と見たほうがいいと思います。洪水を起こし、田畑を水浸しにし、村を押し流し、ということがときどき起こっていた。また、淀んだ水は、食用になる魚も育んだかわりに、その湿気や有害プランクトンの大発生で人間生活に悪い影響を与えたりもしたでしょう。

 大和平野は、「水か豊か」というよりも、水に浸かりやすい土地だった。水は農業にも活かせるけれど、水害ももたらす。だから水をコントロールする必要が常にある。そんな土地だったわけです。

 それは、古代の大和平野だけでなく、現在でも日本列島のいろいろなところがそうですけどね。

 このエッセイでは、大和平野の移動は水運・舟運しゅううんが中心だったのでは、ということを強調しています。

 後の壬申じんしんの乱では、大伴おおとも吹負のふけいが軍を率いてなかみちやまの道よりも平野寄りの街道、田原本たわらもとしもツ道よりは東側)を奈良ならやままで北上していますので、そのころには道路も整備されていたのでしょう。また、『古事記』・『日本書紀』にも陸上での河内かわち方面との連絡ルートの話は出て来るので、陸上交通路が完全に未整備だったとも考えられないのですが。

 やっぱり、古墳時代には、水をコントロールする権力や水上交通を支配する権力っていうのが重要だったのではないかな、と思います。

 ワカタケル大王の権力にもそういう面があったのではないかと思うのです。

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