第8話 大王の発展戦略(2)

 ところで、ワカタケル大王の名を有名にした「稲荷山いなりやま鉄剣てっけんめい」(埼玉県行田ぎょうだ市稲荷山古墳から出土)には、ワカタケル大王の朝廷が「シキ(斯鬼しき)」の宮にあったとあります。これを現在の磯城しき郡と考えれば、田原本たわらもとはこの範囲に入ります(現在も磯城郡田原本町)し、昔はもっと範囲が広かったので泊瀬はつせも磯城の一部と言えます。『日本書紀』では、ワカタケル大王の宮は「泊瀬はつせ朝倉あさくらのみや」という名で伝わっていますが、当時は「磯城の宮」と呼んだのかも知れません。

 ワカタケル大王は、この大和王権発祥の地を押さえ、さらに大和川の水運・舟運しゅううんを支配した。「磯城の王」だったのではないか。その「磯城」がその権力の基盤だったのでしょう。

 その大王の名と磯城の名を含む銘を刻んだ「稲荷山鉄剣」の持ち主は、そのルートで伊勢に出て、伊勢いせから海上ルートで東京湾まで来て利根川とねがわ(当時は東京湾に流れ込んでいました)か荒川あらかわをさかのぼったのか、それとも伊勢から対岸の伊良湖いらごみさきなどに上陸して陸上ルートで東へ向かったのか。

 その泊瀬から流れてきた大和川は、田原本からさらに北上し、近鉄線平端ひらはた駅の手前で西へと流れを変えて、北から流れてきた佐保さほ川と合流します。

 ここで合流することで大和川は大河になります。

 佐保川の上流にあたる佐保というところは、春日かすがに近い土地で、このあたりは和珥わに氏の勢力の強かったところです。

 で、『白香しらかひめの冒険』では、姫と関係のよくないお母さんが和珥氏の血筋にこだわっている、ということになっていますが。

 これはフィクションです!

 いやぁ。

 ちょっとこのお母さん(春日かすが大娘のおおいらつめ)、よくない役回りになってますね。

 ほんとうに手白香姫と仲が悪かったかは、手白香姫もお母さんの春日大娘も歴史上の事績がほとんど伝わっていないので、よくわかりません。

 でも、たしかに、この時期、和珥わに氏の存在感って高まるんですよね。

 大王に后妃こうひを送り込んでいた葛城かつらぎ氏が衰退したあと、大伴おおとも氏や物部もののべ氏が有力になるのですが、大伴氏や物部氏は大王のもとにあまり后妃を送り込んでいません。やがて蘇我そが氏が擡頭たいとうして大王家と関係を深めるのですが、葛城氏が衰退し、蘇我氏が擡頭するまでのあいだ、和珥氏や和珥系の王族が后妃を出すようになる時期があります(ただし、手白香姫の長姉が和珥系の春日かすが氏に嫁いだというのもフィクションで、史料的根拠はありません)。

 それがなぜかと思っていたのですが。

 佐保川と、泊瀬のほうから流れてきた大和川を押さえれば、大和平野東半分の水運・舟運しゅううんを押さえられる!

 陸上の道がまだ整っていなかったとすれば、これは大きい。

 開発が進んで、生産力が上がってきた大和平野の東半分を押さえて経済力を確保し、大和平野の西を押さえていた葛城系の氏族を抑制して(物語でうめが語っている眉輪まゆわのみこ事件のときに葛城氏の直轄ちょっかつ地を献上させています)河内かわちへの物流・人流ルートを押さえ、河内湖から九州や朝鮮半島へのルートを押さえ、泊瀬から伊勢を経て東国へのルートを押さえ、というのがワカタケル大王の発展戦略だったんだろうな、と考えています。

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