第7話 大王の発展戦略(1)
……けっこう遠い。
やっぱり、けっこう遠いですね。
二十歳台の若いころにはねぇ、池袋から新宿まで「この距離で百何十円も払えるか!」などとうそぶいて歩いたりしたものですが。
いまとなってみると、やっぱり遠いです。
思い出話はこれくらいにして。
田原本から見る
山並みのなかに囲まれているのですが、一度、その姿を見分けると、そのあとは自然と目に入ってきます。
前の日には、
道は、途中で、まだ川幅のそんなに広くない
この大和川は、上流は三輪山の南をぐるっと回って
長谷の谷から、いちど北上して、その唐子・鍵遺跡の弥生時代の「みやこ」と初期大和王権の本拠地とのあいだを流れ、やがて西に向かって
長谷は、古代の表記では
つまり、あのワカタケル大王(
ああ。
そういうことか。
なぜ、ワカタケル大王が、平野から少し奥まった泊瀬に都を置いたのか、ずっと疑問に思っていたのです。
その理由のひとつは、長谷を、
泊瀬から東に行くと伊勢に通じます。近鉄大阪線が通っているほか、もともと「
そして、伊勢から先は、海路が東国へとつながっています。それは、南北朝時代に北畠
もうひとつ、ワカタケル大王が泊瀬を拠点にした理由は、この大和川の流れを支配していたから、していたかったから、ではないでしょうか?
古代から川筋が変わっていないならば、という条件つきですが。
川の流れを支配するから上流に都が必要、ということもないですけど、大和川の流れと東国へのルートの両方を支配できる場所として、泊瀬が重要だったのではないかと思います。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます