第6話 鏡を作る人びと

 その田原本たわらもとの市街地の北に鏡作かがみつくり神社という神社がありました。

 ここは「鏡作かがみつくりにます天照あまてる御魂みたま神社」というのが正式名称だそうです。本殿の祭神は三柱で、天照あまてる国照くにてるひこ火明ほあかりのみこと石凝姥いしこりどめのみことあめの糠戸ぬかどのみことだということでした。

 このうち、天照国照彦火明命は「天照」とついているので伊勢神宮の天照あまてらす大神おおみかみの別名かと思っていたら、別の神様だということです。

 ひこ火明ほあかりのみことまたはあめの火明ほあかりのみことという神様で、天皇家の祖先神である瓊瓊杵ににぎのみことや、物部もののべ氏の祖先であるにぎはやのみこととも関係が深いということのようです。

 また、石凝姥いしこりどめ命は、天照大神が「天の岩戸」に隠れてしまったときに鏡を作った神様、あめの糠戸ぬかど命はその父神様ということでした。

 光の神様、鏡の神様をおまつりした神社なのですね。

 この神社の起源は、私のいう「大和」発祥の地(大和おおやまと神社から三輪みわやまふもと一帯)に初めて君臨した崇神すじん天皇(御間城みまき入彦いりひこのみこと)の世の「神祭り改革」と関係がある、と伝えられています。

 もともと、崇神天皇は、祖先神である天照大神と、大和の土地の神であるやまとの大国魂おおくにたまのかみの二柱の神様を宮中で祭っていたのですが、疫病が流行するなど、治世がうまく行かなくなりました。それは宮中でおまつりしている神様の力が強すぎるからだ、ということになり、天照大神と倭大国魂神を宮中の外に出して祭ることにしました。

 このとき、世が治まるまでのこの判断の過程で神がよりつく巫女みこの役割を果たしたのが、宮内くないちょう治定じじょう箸墓はしはか古墳の被葬者とされているやまと迹迹とと百襲ももそひめです。したがって、倭迹迹日百襲姫が、シャーマン的資質を持っていた卑弥呼ひみこと同一人物という説も昔からあります(シャーマンって戦車じゃないですよ)。

 政治の中心となる宮中に祖先神と土地神をお祭りしていたのを外に出したということで、一種の古代的な「政教分離」が行われた、ということでしょうか。

 天照大神をおまつりする場所はまず笠縫かさぬいに移され、最終的にいまの伊勢神宮に落ち着いたということです。現在の笠縫は田原本の南で、そこに笠縫駅もありますが、天照大神をおまつりする場所を移した先は笠縫駅よりは三輪山に近く、三輪山の桧原ひばら神社や、纏向まきむく遺跡に近い神籬ひもろぎ遺跡などがその地とされています。

 それにしても、災異が起こるのは「宮中でおまつりしている神様の力が強すぎるため」という発想は興味深いと思います。

 ただ、そうすると、宮中で祖先神をお祭りするところがないことになります。そこで、鏡を作って、それを天照大神の「ご神体」としてお祭りした。

 その鏡は宮中にお納めしたわけですが、その鏡を作ったときの「試作品」の鏡をお祭りしたのが、この鏡作神社の起源だということです。

 ところで、弥生時代には中国から銅鏡がもたらされました。それが日本国内で「威信材」(それを持ってると「すごいぞ」と自慢できて、威信を高めることのできるアイテム)として使われたらしく、各地の古墳などから鏡が出土しています。

 中国側の記録で日本にもたらされたことになっている枚数より多くの鏡が出土しているということです。失われたものや未発見のものもあるはずなので、実際にはもっと多くの鏡が、日本列島で、とくに大和王権の支配や影響が及ぶ範囲で流通していたことでしょう。

 中国側がなんでもかんでも記録しているわけではないので、実際には記録に残っている以上の枚数が日本にもたらされた、ということはあり得るわけですが、同時に、中国の鏡を手本にして日本で作っていた、ということもあるのでしょう。弥生時代の日本列島にはすでに青銅製品を鋳造する技術があったのですから。

 その鏡を作る人びとの神様が、弥生時代の「みやこ」だった唐子からこかぎ遺跡の近くで祭られている。

 しかも、そこで作られた鏡を、大和王権が神様のかわりにお祭りした、というのです。

 唐古・鍵遺跡の「みやこ」の人びとが大和王権にそのままつながっているかというと、文化の違いはあるので、単純にそうは言えないと思います。

 ただ、初期の大和王権にとっても、鏡はその支配を具体的なものとして見せるための重要アイテムでした。その初期の大和王権が唐子・鍵遺跡の弥生文化の人たちと関係を結んで支配を行っていた、ということは、十分にあるだろうと思います。

 学術的にはどうかわかりませんけど、たがいに、互いの住んでいる場所が見える範囲で、生活や生業せいぎょうのスタイルが異なる人たちが暮らしていたとすると、どうなんだろう?

 石と土で、「神様と協力しながら」という意識で古墳を築いていた人たちが、銅とすずの合金で精巧せいこうな鏡を作る人たちをどう見ていたか?

 また、前の時代から伝わる技術で鏡を作っていた人たちが、巨大な古墳というものを造って土地の景観を変えてしまう人たちをどう見ていたか?

 その鏡を作っていた人たちが、巨大な古墳に納めるからと、古墳を造る人たちから鏡の供出を求められたとき、どう思ったか?

 想像してみるのは興味深いことだと思います。

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