第6話 鏡を作る人びと
その
ここは「
このうち、天照国照彦火明命は「天照」とついているので伊勢神宮の
また、
光の神様、鏡の神様をおまつりした神社なのですね。
この神社の起源は、私のいう「大和」発祥の地(
もともと、崇神天皇は、祖先神である天照大神と、大和の土地の神である
このとき、世が治まるまでのこの判断の過程で神がよりつく
政治の中心となる宮中に祖先神と土地神をお祭りしていたのを外に出したということで、一種の古代的な「政教分離」が行われた、ということでしょうか。
天照大神をおまつりする場所はまず
それにしても、災異が起こるのは「宮中でおまつりしている神様の力が強すぎるため」という発想は興味深いと思います。
ただ、そうすると、宮中で祖先神をお祭りするところがないことになります。そこで、鏡を作って、それを天照大神の「ご神体」としてお祭りした。
その鏡は宮中にお納めしたわけですが、その鏡を作ったときの「試作品」の鏡をお祭りしたのが、この鏡作神社の起源だということです。
ところで、弥生時代には中国から銅鏡がもたらされました。それが日本国内で「威信材」(それを持ってると「すごいぞ」と自慢できて、威信を高めることのできるアイテム)として使われたらしく、各地の古墳などから鏡が出土しています。
中国側の記録で日本にもたらされたことになっている枚数より多くの鏡が出土しているということです。失われたものや未発見のものもあるはずなので、実際にはもっと多くの鏡が、日本列島で、とくに大和王権の支配や影響が及ぶ範囲で流通していたことでしょう。
中国側がなんでもかんでも記録しているわけではないので、実際には記録に残っている以上の枚数が日本にもたらされた、ということはあり得るわけですが、同時に、中国の鏡を手本にして日本で作っていた、ということもあるのでしょう。弥生時代の日本列島にはすでに青銅製品を鋳造する技術があったのですから。
その鏡を作る人びとの神様が、弥生時代の「みやこ」だった
しかも、そこで作られた鏡を、大和王権が神様のかわりにお祭りした、というのです。
唐古・鍵遺跡の「みやこ」の人びとが大和王権にそのままつながっているかというと、文化の違いはあるので、単純にそうは言えないと思います。
ただ、初期の大和王権にとっても、鏡はその支配を具体的なものとして見せるための重要アイテムでした。その初期の大和王権が唐子・鍵遺跡の弥生文化の人たちと関係を結んで支配を行っていた、ということは、十分にあるだろうと思います。
学術的にはどうかわかりませんけど、たがいに、互いの住んでいる場所が見える範囲で、生活や
石と土で、「神様と協力しながら」という意識で古墳を築いていた人たちが、銅と
また、前の時代から伝わる技術で鏡を作っていた人たちが、巨大な古墳というものを造って土地の景観を変えてしまう人たちをどう見ていたか?
その鏡を作っていた人たちが、巨大な古墳に納めるからと、古墳を造る人たちから鏡の供出を求められたとき、どう思ったか?
想像してみるのは興味深いことだと思います。
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