第5話 田原本から東へ

 その次の日は、近鉄の田原本たわらもと駅から東へ行って大和おおやまと神社、そこからさらに東へ行って西山にしやまづか古墳、西にし殿塚とのづか古墳、そして北へ向かって石上いそのかみ神宮じんぐうへ、という計画を立てました。

 ただ、当日は、出発ぎりぎりまで迷っていました。

 体調があまりよくなかったからです。

 なぜ体調があまりよくないかというと……。

 ……前の日、からです。

 すみません。

 それでも、晴れていて、あまりにも気もちよさそうだったので、とりあえず電車で田原本駅まで行ってみました。田原本に着くと、体調はなんとかなりそうだったので、計画どおりの歩きを実行することにしました。

 ところで、田原本は大和平野のまんなかにあり、やまの道に行くにはちょっと遠い。

 どうしてそこを出発点に選んだかというと、田原本には弥生時代の「大規模集落」の遺跡である唐古からこかぎ遺跡がある、ということがありました。

 唐古・鍵遺跡には高い建物があったことがわかっていて、「都市」と言っていいかはわかりませんが、弥生時代の「みやこ」(「宮」のあるところ)だったとは考えていいでしょう。

 その唐古・鍵遺跡から東へ行くと、大和おおやまと神社があります。

 私は、このあたりが最初の「大和」(「やまと」)だった場所だと考えていますので、物語にもその考えを採り入れています。

 その考えにじつはあんまりはっきりした根拠はありません(おいっ!)。

 水の入り口が「みなと」ならば、山の入り口が「やまと」だろう、というような考えなのですけど。

 ただ、この大和神社から南の三輪みわやまのあいだに、「卑弥呼ひみこの墓」と推定されることもある箸墓はしはか古墳(宮内くないちょう治定じじょうではやまと迹迹とと百襲ももそひめのみことの墓)や行燈あんどんやま古墳(崇神すじん天皇陵)、渋谷しぶたに向山むかいやま古墳(景行けいこう天皇陵。なお、崇神天皇陵と景行天皇陵は逆に推定されていたこともあります)など、初期の前方後円墳が数多く残されています。だから、「王権の地大和」はここから始まったのだと考えていいと思います。

 大和王権最初の王都とされる纏向まきむく遺跡は箸墓の附近に広がっていて、唐古・鍵遺跡からは南東の方角になります。

 現在の唐古・鍵遺跡史跡公園からまっすぐ東に行くと大和神社は少し南になります。纏向遺跡はさらに南になりますので、私の考えている「大和」発祥の地と完全に東西の位置関係が一致するわけではありませんが。

 弥生時代の「みやこ」と、大和王権発祥の地が、ほぼ東西の位置関係にある。

 じゃあ、その弥生時代の「みやこ」の地から、古墳時代初期の大和王権発祥の地まで歩いて見よう、という企画です。

 ただし、その日のうちに石上いそのかみまで行く予定だったので、時間が限られていました。それで、唐古・鍵遺跡の展示施設などがある史跡公園までは行きませんでした。また、石上へ向かうことを優先したので、その反対方向の纏向遺跡や箸墓古墳、行燈山古墳や渋谷向山古墳には行くことはできませんでした。

 最初は田原本の市街地を歩きます。ここは、奈良時代ごろの大和平野縦断大街道の一つ「しもみち」に沿って市街地が発展したということです。南北方向にずっと昔ながらの市街地が続きます。


 *「やまと」の語源については、大津透『天皇の歴史 1 神話から歴史へ』が同じような見解(「三輪山のふもと」)なので、私のしろうと的な考えもそれほどまちがった考えではないと思っています。

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