第6話 本音の語らい

 人目につかない所まで来る、校舎の端にある階段下のスペースだ。授業で使う教室が近くにない事も相まって、今は静か過ぎる程にしんとしている。


「ここなら大丈夫でしょ、サボりに使えるって言ってたを聞いたことあったけど、確かにこの様子を見たら納得ね」


 五十嵐は廊下にすとんと腰を下ろすと、空いた隣をぽんぽんと叩いた。どうやら俺に隣に座れと促しているようだ。俺は指示されるがまま五十嵐の隣に座った。


「私授業サボったのって初めてだよ、尾上くんは?」


 そう言って気持ちよさそうに背伸びをする五十嵐、俺はその様子を見ながら答える。


「ないよ、今まで一度もな。サボった人を見たことないから、初めてづくしだな」

「そう?うちのクラスの人に何人か居たよ?まあ大抵は真面目だから一度やって後悔するみたいだけど」


 知らなかったけれどそうだったのか、正直クラスメイトの顔と名前が一致する人の方が少ないので、誰がどんな行動を取っているのかなんて分からなかった。


「って偉そうに言ってるけど、私も人から聞いただけなんだ。進学クラスにいるのに授業サボる人がいるってびっくりしちゃった」

「ふっ本当だな」

「あっ!今笑ったね!」

「なに?」


 五十嵐がやけに嬉しそうに俺の顔を覗き込む。


「尾上くんが笑った所って初めて見た。いつもムスッとしてしかめっ面してるから」

「そうか?」

「うん、少なくとも私は初めて笑った所を見た」


 確かに俺はあまり人前で笑わないかもしれない、まあそもそも人とあまり接しないようにしているので笑うも何もないのだが。


「俺だって面白ければ笑うさ」

「そうなの?どんなことで笑ったりする?」

「最近見て笑ったのはカバのまき糞」


 五十嵐が首を傾げているので、俺はスマホを取り出して動画を検索して見せた。尻尾を器用に振り回して糞を撒き散らす様子が映っている動画だ、五十嵐は食い入るようにその動画を見て顔を上げた。


「これ面白い?」

「えっ面白くない?」


 俺がそう言うと五十嵐はぷっと吹き出して笑い始めた。やっぱりカバの動画が面白かったんじゃないかと思って俺は少し得意げになった。


「あー面白い、尾上くんやっぱり面白いね」

「そうだろ?まき糞ってのはだな」

「いやそれは別に面白くなかった。だけど尾上くんがあんまり真剣に言うから、それが面白かったよ」

「嘘だろ…、こんなに面白いのに」


 俺は返してもらったスマホの画面で一生懸命まき糞をするカバを見て落ち込んだ、その様子を見て五十嵐は更にけらけらと笑った。


「やっぱりもっと早く尾上くんと話しておくべきだったな、面白そうな人だと思ってたけれど、中々勇気が出なくて話しかけられなかったから」


 五十嵐は笑いすぎて目に浮かんだ涙を指で拭って言った。そんな風に思われていると思わなくて俺は聞き返した。


「勇気が出ないって何で?」

「尾上くんって誰も近づくなってずっと態度に出してたから、それって何か理由があるの?」


 そう指摘されて俺は俯いた。困った事に五十嵐は結構観察眼に優れている、確かに俺は敢えて人を近づけないように立ち回っていた。


「そういうの見てて分かるか?」

「分かるよ、何となくだけどね。だからさっきの行動は驚いたな、教室で人が集まってる時に話しかけられるとは思わなかったから」


 あの時は夢中だったからそんな事を気にする余裕もなかった。結果としてあんな大騒ぎを起こしてしまった事は悪いと思っていた。そしてそれを五十嵐に謝っていない事に気がついた。


「さっきは悪かった。あんな大事になってしまって」

「え?何が?」

「何がって、教室での騒ぎだよ」

「ああ、あれか。残念だけどその謝罪は的外れだね」


 今度は逆に俺が首を傾げた。五十嵐が言っている意味が分からなかったからだ。


「私ね、言いたいこと尾上くんが言ってくれてスッキリしたの。だから謝ることないよ、私はお礼言いたいくらいだから」


 予想外の答えが返ってきた俺に対して、そんな事を笑顔で告げる彼女は、本当にスッキリと晴れやかな表情をしていた。




 五十嵐は折り曲げていた足を投げ出して話し始めた。


「人ってさ、集まるとグループが出来上がるでしょ?私何処行っても大体いつの間にか中心にいた。と言うよりも私の周りに人が集まってくるって言うのかな?兎に角そんな感じ、分かる?」


 俺は黙って頷いた。昔の五十嵐は知らないけれど、確かにあっという間に人気者になる奴は必ずいた。それと似たようなものだろう。


「だけど私って、自分で言うのもなんだけど中心人物ってタイプじゃないの。別に何かを主張する訳でもないし、皆に何しようって提案する事もしない、ただ何となく私の席が作られてて、そこに強制的に座らされるの。それに甘んじてしまう私も悪いんだけど、いつも気が重かった」

「五十嵐は人気者グループにいるのがしんどかったのか」

「うん。そうだね、しんどかった。皆が私に期待してるのは、優しく物事を受け入れてくれて、何にでも笑顔を向けてくれるような理想的な人だから」


 俺はまた五十嵐の知らなかった一面を聞いて驚いていた。外から見ていると楽しそうに笑っていた彼女も、内心では苦労を抱えていたのか、こうして話してみないと絶対に分からない事だった。


「ね、尾上くんが言ってくれたお為ごかしってきっと当たってるよ。言われてドキッとした人一杯居たと思う。勿論本当に私の事を心配してくれていた人もいたと思うけどね」


 五十嵐はそう言って笑った。


「グループ内にいた女子は喜んだと思うよ、もう私が持て囃されることもなくなるから、自分が勝手に私を中心に据えた癖に、プライドとか見栄を気にして疎ましくも思ってるのよ」

「そんな理不尽な」

「理不尽だけどそんなものよ、小さくまとまって大人しくしてるだけの私が、男子にちやほやされるのを面白く見てられる子なんていないよ」


 あの賑やかそうな和気あいあいとしたグループ内の水面下で、そんな殺伐とした駆け引きが行われているとは思わなかった。特に女子は親しげに五十嵐に話しかけていたのに、彼女自身はそう思っていなかったのか。


「五十嵐はそれを分かっててそこに居たのか?」

「まあね、私って主体性がないのに打算的なの。少なくともあそこにいる限り厚遇される、そうやっていつも逃げてきた」

「逃げって?」

「人間関係の薄汚い部分、いじめとか仲間外れとかそういうの。中心にいれば少なくともそれは避けられたから」


 成る程と俺は納得した。確かにあの様子を見るとそう言った事には無縁そうだ、寧ろ率先して誰かを標的にしそうだとも思う。五十嵐達のグループではそういう事は無さそうだったけれど。


「男子達が集まってくるのは私が欲しいから、よく分からないけれどトロフィーか何かと勘違いしてるんじゃない?それに目を見て話してくれる人って全然居なかった。大体は私の体見てたから」


 俺から見てもきっと誰から見ても五十嵐は美人の部類に入るだろう、すらっとしながらもメリハリのある体型は嫌でも目につく。思春期の男子高校生なら目を奪われて当然だろう。


「ねえ、変なこと聞いてもいい?」

「あ、何?」

「どうして尾上くんは私に何の興味もないの?と言うより、他の人にも興味ないよね?もしかして人を近づけない理由ってこれ?」


 そういえば最初はそんな話しをしていたな、これだけあけすけに自分の事を喋ってくれた五十嵐に対して、俺が何かを隠しておくのはフェアじゃない気がした。


「面白くない話だよ、本当はあまりしたくない。だけど五十嵐から話を聞きたいって言っている俺がこの話をしないのは道理から外れるからな、聞いてくれるか?」


 五十嵐は黙って頷いてじっと俺の目を見つめた。その吸い込まれそうな大きな目としっかり向き合い、俺はゆっくりと自分の両親についての話を始めた。

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