第5話 打ち明けられた事実

 朝のホームルームの時間で林先生は連絡事項を告げた後言った。


「皆、今日は少し長めに時間を取る。他の先生には話をしてあるから聞いてもらいたい」


 この発言で周りは一斉にざわめいた。誰かが何かをやらかしたのかと口々に噂する人もいれば、勝手気ままに犯人当てごっこを始める奴もいる。浮足立った空気を林先生は言葉で制した。


「悪いが真剣な話だ。黙って聞いてくれ」


 大人の迫力に皆一斉に元気をなくして黙った。そもそも興味のない俺は、早いところ何かしらのトラブルでも発表して終わりにして欲しかった。


 しかし先生の発した言葉で俺の態度は一変する。


「皆は結晶解離病を知っているか?」


 何でここでその名前が出てくるんだ、俺は内心不安を感じていた。ドキドキと心臓の鼓動が体の内で響くのを感じる。


「確か記憶が宝石になる病気でしたっけ?」


 クラスの誰かが発言する。


「大まかに言えばそうだ、難病で研究もまだまだ進んでいない、一時期社会問題になったのを覚えているだろう」

「テレビで見ました。感染するとか何とか言ってたような」


 まだそんな馬鹿な事を言っている奴がいるのか、俺は頭が沸騰しそうな程怒りがこみ上げてきて、どんどん嫌な汗をかき始めていた。


「それらは全部デマだ、何の証拠もなくただ闇雲に不安を煽るだけの悪質な情報だ。すべて否定された今、まだ偏見を抱えている者は居るか?」


 クラスメイト達は困惑して周りの人と顔を見合わせていた。先生はどうしたいんだろうか、話の流れがさっぱり読めなかった。


「まあこんな聞き方をしても誰も何も言わんだろう、だけどな、言わばこれは楔だ。全部デマだと証明されているにも関わらずぐちゃぐちゃ言うような奴には先生も容赦しないって宣言だ」

「あの、先生。いいですか?」


 またクラスの誰かが言った。今度は挙手をして発言を求めていた。


「何だ高田?」

「いえ、その、それって今この場に関係ある話なんですか?」

「お前の言う事も尤もだ、そして関係はある。五十嵐、前に出てきてくれるか?」


 五十嵐?急に名前が出てきて俺は驚いた。しかし俺以上にクラスメイトの方が驚いて動揺しているようだ、一体何が始まるのかと不安が広がっている。


「これは五十嵐たっての願いだから、俺はそれを尊重する事に決めた。さ、言っていいぞ」


 先生に促されて五十嵐は口を開いた。


「私は結晶解離病を発症しました。これから皆さんに迷惑をかける事があるかもしれません。ですから無理を言って公表させてもらう時間を作ってもらいました」


 公表された事実に皆がざわめくなか、俺はただ一人違う衝撃を受けていた。身近に結晶解離病の発症者がいる、五十嵐雫、俺はどうしても彼女に近づきたい気持ちで頭が一杯になった。




 クラスの人気者である五十嵐の衝撃的な告白に、ただでさえ目立つ彼女は更に人に囲まれていた。中々接触する機会がなくてやきもきする。


「五十嵐さん体は大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だよ」

「痛かったりしない?」

「そういう病気じゃないから、心配してくれてありがとう」

「何かあったらすぐ俺に言ってくれよ、力になるから」

「あ、うん、頼もしいね」


 どいつもこいつも上辺だけの言葉をぺらぺらとよく回る舌でのたまっている。無意味な心配を押し付ける女子生徒に、下心まるだしの男子生徒が砂糖菓子にたかる蟻のように押し寄せていた。


 いい加減痺れを切らした俺は、生徒の間を無理やりかき分けて中に入り込んだ。何度押し返されても引くつもりもなく、逆にぐいぐいと押しのけて五十嵐の前に出た。


「五十嵐、教えてくれ。どんな記憶が無くなった?その時落ちた宝石の種類は?感情の変化ってあるか?」


 周りでざわめいていた生徒達が一斉に黙った。都合がいいと思っていた俺は次の瞬間誰だか知らない男子生徒に胸ぐらを掴まれていた。


「おいテメエ、いきなりずけずけ聞いてんじゃねえよ。テメエには思いやりって気持ちがないのか?」


 そいつの行動から始まって、五十嵐を気遣う言葉がすべて俺に対する罵倒に変わった。


「あんたマジ最低」

「雫の気持ち考えられない訳?」

「調子乗ってんなよオイ」


 馬鹿どもが馬鹿馬鹿しいことを馬鹿みたいに喚いている、元気でよろしいことでと呆れて俺は言った。


「お前らそれで五十嵐の事思いやってるつもりか?」

「あ?」

「いいから手を離せ、誰だか知らんが鬱陶しい」


 胸ぐらを掴む腕の力が尚更強まった。話も通じないのかと笑けてきた。


「暴力に訴えたいのは構わんが俺は引かない、俺は五十嵐に用事があるんだ。ここで殺されようとも一歩も下がらんぞ」

「本当にここで死ぬか?」

「だから殴りたければ殴れよ、けどな一つ言っといてやる。お前らが言ってる事は五十嵐にとって何の意味もないお為ごかしだよ、五十嵐が何かを忘れてしまった時にも同じ事を言うんだろ。大丈夫?とか何の意味もないことをな」


 頬に鈍い衝撃を受けて俺は床に転がった。胸ぐらを掴んでいた生徒に殴られたのだろう、口の中に血の味が広がった。


 転がされた俺の周りを男子生徒が取り囲んだ。拳をポキポキと鳴らして勇む奴もいれば、鬼のような形相を向けている奴もいる。周りにいる女子生徒共はその様子を見て嘲笑っていた。


「やめて!!」


 その大声を上げたのは五十嵐だった。机を叩いて勢いよく立ち上がった彼女を見て、周りの生徒達は面食らっていた。


「これ以上やるなら先生呼ぶから、皆大事にしたくないでしょ。だから止めて」

「で、でもよ五十嵐」

「聞いてなかったの?」


 いつもはあまり強く主張しない五十嵐が男子生徒を睨みつけていた。その姿がやけに印象的で俺も呆気にとられた。


「皆どいて」


 五十嵐は生徒たちをかき分けて俺の所に来た。殴られた頬にそっと手を触れられて、痛みに反射的にびくっと体が動いた。


「痛むよね?保健室に行こう?」

「あ、ああ」


 俺の手を掴んで起こすと、五十嵐はそのまま俺の手を引いて教室を出た。騒いでいた生徒たちは皆置き去りにされて静まり返っていたが、五十嵐はそれを一切無視して廊下をただ歩いた。




 保健室に五十嵐と共に訪れる、養護教諭は丁度席を外していたようで居なかった。中に入って椅子に座らされて、五十嵐は冷蔵庫を開けて氷嚢を取り出して俺に手渡した。


「殴られた所冷やしておいて、私先生呼んでくるから」

「ありがとう」


 勢いそのままにテキパキと手を進める五十嵐に、俺はまだ間抜けにも置いていかれていた。五十嵐ってこんな一面もあったのか、頬に氷嚢を当ててそんなことを考えていた。


 五十嵐が呼んできた養護教諭に手当てをしてもらってから俺たちは保健室を出た。俺の頬の打撲は殴られたのではなく転んだ時にぶつけたとごまかした。教室で暴力騒ぎがあったとなれば大事になってしまう、焚き付けた俺が言うのも何だけれどさっきは周りを無視してやりすぎた。


 俺は反省して五十嵐の後ろを歩いていた。でも、どうしても俺は五十嵐に聞きたかった。身近に、それもクラスメイトに結晶解離病を発症した人がいる。データや論文の中だけでは知れない生の人の声が聞きたかった。


「ねえ尾上くん」


 突然話しかけられて俺ははっと前を向いた。


「あっ、な、何?」

「結晶解離病の事聞きたい?」


 他ならぬ五十嵐からの提案に俺は食いついた。


「き、聞きたい!」

「じゃあ一緒に授業サボろうよ、そうしたら話してあげる」


 意外な事を言うなという驚きもあったけれど、そんな事よりも重要な事は話を聞くことが出来るという事だ。断る理由もない、俺は二つ返事で了承した。


「私についてきて」


 五十嵐は俺の前をどんどんと進んでいく、俺はその後を黙ってついて行った。


 こうして俺は生まれて初めて授業をサボる事になった。そしてそれは俺と五十嵐との関係の始まりでもあった。

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