第4話 予感の布石
夕食時、俺は叔父さんと梢さんにアルバイトの許可を申請してきた事を話した。それと通った場合、何処で働くのがいいだろうかという相談も兼ねていた。
「なあ、やっぱり考え直さないか?」
叔父さんがそう言うと、隣に座っていた梢さんが脇腹をどついた。うぐっと呻いて腹を抑える叔父さんを苦笑いで見ている事しかできなかった。
「その話は何度もしたでしょ?こうちゃんの意思も尊重してあげてよ」
「分かってる、分かってるけどさ、学費の為なんてそんな事、寂しいじゃあねえかよお」
「叔父さん…」
俺にかかるお金は両親が叔父さんに渡している、恐らく自立していこうとする俺が、両親の事を置いて行ってしまうように思っているんだろう。
「光輔と兄さんお義姉さんの僅かな繋がりがお金ってのも寂しい話だけどさ、それでも親子何だから助け合って欲しいよ俺は。学費も俺たちだってお前に何の不自由もさせず用意してやりたいんだ」
叔父さんの気持ちは本当に嬉しかった。叔父さんも梢さんも、俺が一番大変だった時にずっと側で支えてくれたし、いつも親身になってくれている。俺はただの甥っ子だって言うのに、我が子のように接してくれる。
「それによ、光輔。お前まだ発作が起きる時もあるだろう?本調子って訳でもないんだ、それも心配だよ俺は」
「それは私も心配だけど、こうちゃんも東条先生と話し合って決めた事じゃない。いい加減切り替えて応援してあげようよ」
梢さんが言った東条先生は、俺がかかっている精神科の医者だ。定期的にカウンセリングを受けていて、症状についての理解と対策を教えてくれている。
「叔父さん、心配してくれてありがとう。でも俺やっぱり決めた事だからさ、やりたいんだ。それに俺は将来結晶解離病の研究者になる、その為の準備も兼ねているんだよ」
謎が多くて研究もまだ全然進んでいないこの病気を解明するにあたって、それはもう長い月日が必要になると思う。俺は朽ち果てるまで研究を続ける覚悟だ、だからこそ今から備えておきたい。
「そっか、そうだよな、光輔には光輔の道があるんだよな。俺が応援してやらないで誰が応援するってんだよな」
寂しそうにうんうんと頷いている叔父さんを見ると決心が揺らぐけれど、俺はぐっと堪えて拳を握りしめた。
「こうちゃん、バイト先何だけど中井さんの所とかいいんじゃない?手が足りないって言ってたし、こうちゃんの話をしたら是非って言ってたわ」
「中井さんが?」
「喫茶店は禁止されてないでしょ?顔見知りだし私達も安心して預けられる。勿論こうちゃん次第だけど」
中井さんは駅前の辺りで喫茶店を経営していた。脱サラして夢だったお店を構えた人で、コーヒーが美味しいと評判のお店だ。
「ありがとう梢さん、あそこなら学校からも近いし丁度いいと思う。すぐ相談してみようと思う」
「そうよかった。でもねこうちゃん、これだけは覚えておいて、何でも一人でやろうとしちゃ駄目だからね。あなたの両親もそうだし、私達だってあなたの味方なのよ?頼るべき時には頼る、絶対よ」
梢さんはそう言うと、二度パンパンと手を叩いた。
「さ、もうちょっと明るくご飯食べましょう。忠さんが雰囲気を暗くしたんだから何か面白い事でも話してよね」
「えええ無茶振りが過ぎるよ梢ちゃん…」
「口答えするならこの唐揚げはこうちゃんにあげよう」
「ああ、待って待って!」
俺たちはそれから明るい食卓を囲んで笑って食事を終えた。食器を片付けて俺はお皿を洗う、当番で持ち回りにして家事を担当していて、自然と二人に協力する事ができて嬉しい。
風呂掃除を終えた叔父さんが、一番に入っていいと言ってくれたので俺はお言葉に甘える事にした。湯船に浸かると一日の疲れが汚れと共に溶けていくようだった。
夜、俺はベッドに入るまでずっと机に向かっていた。
学校の課題は大した事もない、いつも終わらせるのに十分もかからなかった。俺が机に向かって遅くまで睨めっこしているのは、結晶解離病の論文を読む為だった。
分厚い辞書を何度も開いて和訳していく、細かな所まで読み解きたいのでこの作業には特に時間をかけていた。
「やっぱりデータが少ないよな」
俺の呟きも夜の静寂に消える、辞書を閉じ電気を消すとベッドの上へどすんと体を預けた。頭の後ろで手を組んで天井を見上げる、長い溜息をついて目を閉じた。
結晶解離病にかかる患者はとても少ない、それだけ珍しい病気だった。数が少なければ症例のデータだって限られる、研究が遅々として進まない理由の一つだ。
それに記憶が宝石になるなんて現実離れした症状に、誰もが苦心していた。そもそもいつどうやって記憶が宝石になるのかも分からない、作られる宝石の種類も多種多様で、そしてどれもが成分から何から何まで本物の宝石と寸分違わぬ代物だ。
患者の中にはその宝石を加工してアクセサリーに変え「メモリージュエル」なんて名付けて販売している人もいる。その逞しい姿勢は目を見張るものがあるけれど、記憶を売り渡すなんて冗談じゃないと個人的には思っている。
でも、前にメモリージュエルを販売している外国の老婆のインタビュー記事を読んだ事がある。そこで彼女はこんな風に言っていた。
「記憶が消えていく恐怖と戦うのに、綺麗に磨かれた宝石はとても心強いの。だって私の思い出が価値のあるものだったって思わせてくれるから」
ピカピカに磨かれた宝石と一緒に写った写真は、正直とても美しいと思った。解決のない難病を抱えて尚前向きに生きる事が出来る人は本当に強い人なんだろう、恐怖も病気も力に変えていく勇気は羨ましくもあった。
だけど宝石に変えられてしまった消えた思い出はどう思えばいいのだろうか、俺は父と母から落ちこぼれた宝石の一つ、未だ心の奥底で呪いのような記憶が俺を苛んでいた。
中井さんにアルバイトの話をしに行くと、二つ返事で採用を決めてくれた。元々梢さんが相談していてくれたらしく、話はとてもスムーズに進んだ。
学校が定めている時間以上の活動は禁止されている、だから俺はその上限ギリギリまで仕事を入れてもらう事に決めた。勉学に影響が出ると許可を取り消されてしまうけれど、俺にその心配はない。
成績も授業態度も何もかも模範的優等生を勤め上げてきた。授業内容についていけなくなった事は一度もない、偏差値の高い進学校だが授業さえしっかり聞いていれば十分だった。
教師の知識をそっくりそのまま頂いてしまえばいい、俺より内容を理解している人の真似さえできればそれ程難しい事でもなかった。
そんな事よりこれでようやく計画通り動き出す事が出来る、俺は後日もう一度書類を書いて職員室の扉を叩いた。
失礼しますと入室し、林先生の机に向かおうとする。しかしそこには意外な先客がいた。
それは五十嵐だった。林先生は難しそうな顔をして何やら二人で話している、優等生な彼女が呼び出しを食らっているとも考えにくい、少しぴりっとした緊張感があって話しかけるのが躊躇われた。
「先生、今忙しいですか?」
「ん?おう尾上か」
それでも俺は意を決して話しかけた。五十嵐には悪いけれど、こちらはこちらで用事がある。
「お取り込み中なら後にします」
「うーん、そうだな。悪いな尾上、もう少し外で待っててもらえるか?」
雰囲気から察するにまだまだ話す事があるのだろう、俺は分かりましたと言って頷き職員室を後にしようとした。
だけどその時五十嵐が声を上げた。
「あ、あの!尾上くん、私の方はもういいから、じゃあ先生さようなら」
「あっおい五十嵐待て!」
五十嵐は逃げるように職員室を出ていってしまった。俺は突然の出来事に呆然としていると、先生が自分の頭をがしがしと掻いて困ったように呟いた。
「まいったな、あいつどうする気だ?」
何だか剣呑な雰囲気がそのまま残ったが、俺は取り敢えず持ってきた書類を先生に渡した。
「アルバイト先についての申請です。決まったので報告も兼ねて」
「早かったな、ちょっと待ってろすぐ許可証をやるから」
先生は机の上をごそごそと探し始めた。俺は先程までの五十嵐とのやり取りはなんだったのだろうと気になりながら、それを聞くこともせずただ黙って待っていた。
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