第8話 「だからこそ」は風と共に去りぬ

 僕はご主人の過去に出てくる登場人物たちを知らない。キミたちは今でも交流のある昔馴染みの友達って居るんじゃない?故郷をはなれたせいで頻繁に会えなくなったり、例えば誰か特定の相手が出来たことで交流が減ったりなんてことはあるのかもしれないけれどさ、それでも「古い友達」っていうのは居るんじゃないかな?

 そんな中でも、「親友」と呼んだ相手はどう?そりゃあもちろん、親友だった当時があって、現在までの間に「仲違い」があったのだとしたら、そこで途絶えることもあるだろうね。でもやっぱり、「親友」だと言える相手は今も親友なんじゃないのかな?

 改めて言うよ?僕はご主人と出会う前に居たはずの人間たちを1人も知らないんだ。話に出てきたってだけで、姿を見たことも、声を聴いたことも、気配を感じたことすらもないんだ。

 ご主人が時折、きっとその時その時で名前も顔も知らない誰かよりほんのちょっぴりとだけ、大事に思っていた人たちに話していた過去。その時々で話してた記憶の断片だけれど、僕はその全てを耳にしてるんだ。僕はご主人が誰かに話した過去の全てを知ってる。そのどれもが、当事者じゃない僕にとって痛みを伴うんだ。そして全てを知っている僕だからこそ、ご主人の現在に過去の人物が居ない理由を知ってる。

 前に言ったね?みんな自分が一番大事だって。でもそれって、みんなそれぞれに大事な人が2番目、3番目と列を作ってるんじゃないの?僕だって自分が一番大事。だってそうじゃないと、自分をないがしろにしてたらきっと、ご主人が悲しむんだもの。だから僕にとってご主人は2番目に大事。でもそれは僕がご主人にとって特別な存在だからなんだよ。ねぇ、教えて?ご主人も誰かの〝2番目〟だったことってあるのかな?


 「オマエ・・・里恵まで・・・なんで来たんだよ?」

思っていたよりも早く再び開いた扉に現れたのは森口 総司だった。最初は扉に隠れていたが、続けて扉が完全に引ききられたとき、総司の隣には早坂 里恵の姿もあった。その後ろには校長に促されて2人を呼びにいった学年主任が立っている。

「アホか?別にオマエを助けに来たんじぇねぇよ。ただ、自分がやるべきことをやりに来たってだけだ」

あまり華焔と視線を合わせようとしない総司を横で見ている里恵は、どこか「可笑しい」と言いたげな表情を浮かべている。華焔と総司がぎこちないのも当然で、華焔が「関わるな」と総司に告げた時、言い合いの喧嘩になって以降、今の今まで会話することがなかったからだ。とは言え、里恵の表情で総司がどんな思いで校長室に〝駆け付けた〟かは容易く想像できる。

 「2人とも、授業中だというのにすまないね。先生から少しは聞いたかな?今学校中でウワサされていることについて、少し話が聞きたいのだが、いいかな?」

「ああ、いいぜ?そっちの2人に証明してやればいいのかよ?」

誰が許可したわけでも、促されたでもなく、総司は2人の刑事の方に向かって歩を進めた。総司は不良と呼ばれるほどのことも無いが、間違っても優等生ではない。解かりやすく言ってしまえば「ヤンチャ」な高校生だ。きっとその場に居合わせた教師の誰もが、事の大小はあれど、華焔と総司の関係性のような青春を経験してきたのだろう。そして2人のソレを目の当たりにし、昔を懐かしんですらいたかもしれない。刑事に食って掛かりそうな総司を誰も止める素振りもなく見守っている。

「刑事さん、言っとくけどコイツは白だぜ?」

「私たちは感情でシロクロは付けないわ。でも敢えて感情で彼を見るのなら、私の目には彼が真実を語ったように見える。でもね?私たちは仕事柄、人を疑わざるえないのよ。確信じゃダメなの、確定でなければイケナイのよ」

総司が真正面に相手取ったのは男性刑事の方だったが、その2人の間に滑り込むように女性刑事がいつの間にか入り込んでいた。その女性刑事の言うことは理解できる。学校中、それどころか町全体が華焔を犯罪者として見ているかもしれない中、信頼されていないワケでもないだろうが絶対的な信頼を得ているワケでもないただの高校生1人の言葉を採用するはずもない。

 「まぁ、そういうことだ。まずは座りなさい。そして私には理解できないところがあるから、そこを理解できるよう、君たち2人に助けてもらいたいんだよ」

華焔の座ってるソファの両側には、それぞれ人1人が余裕をもって座るだけのスペースがある。驚いたことに、先にそこへ腰を下ろしたのは里恵の方だった。先ほどの困ったような笑顔から一変、決意に満ちたような表情をしている。華焔からしてみれば、なにやら爆弾発言でもしかねない雰囲気すらあった。そんな里恵を察したのだろう、総司も刑事から距離を取るかのように後ずさり、華焔を挟んで里恵の反対側へ腰を下ろした。それでも、まだ華焔と視線を合わせることはできていない。

 「では早速・・・ここに居られるか方のどなたでも構いません。ウワサの出どころを知っている方は居ませんか?」

女性刑事の線の細さと対照的にガッチリとガタイの良い男性刑事はしかし、その口調は穏やかなものだった。まるで「事情を知っている」とでも言い出しそうなその雰囲気は、女性刑事の言うように裏取りにすぎないとすら感じる。おそらくその雰囲気を醸し出せるのはその刑事の経験によるものだろう。

 すでに広まりきったと言ってもいいこのウワサは、当然教師の耳にも入っている。それでもこれまで教師が動かなかったのは、華焔に対する信頼があったからであり、そもそも彼に対する妬みや恨みといった類のゴシップだと認識していたからだ。少ないながらも、最近になって学校の外からウワサの問い合わせがあったが、全て根も葉もないデタラメだと返答していたほどだ。ただ教師が予想できなかったのは、警察の動きの速さだった。ウワサに対する行動を起こすよりも早く到来した刑事の問いに対する答えを持ち合わせている教師は1人も居なかった。

 「本人ですよ?中川 由香里、本人がウワサの出どころです」

まさかこうもハッキリと物怖じもせず言い切ると誰が予想できたろうか?教師が互いに顔を見合わせ、誰も答えを持ち得ていない様子に刑事は、「やはりか・・・」と半ば諦めるかのように視線を送る最中、ハッキリと答えを示したのは早坂 里恵だった。その言葉には確定事項だという説得力が籠っている。

「・・・彼女はこの件の一番の被害者だ。そんな人物が自らの被害を衆目に晒したうえ、想い人である彼に謂れのない罪を背負わせたということになる」

刑事は少し考え込む時間を取ってすぐ、里恵の回答に正面から対峙した。そして「彼」という言葉を口にすると同時に華焔を指示した。華焔の目には、自分を指さすその指の先端に合った焦点が、その向こうに見える男性刑事の顔に合っていくと同時に、この刑事が何かを知っている・・・いや、何かに感付いているもしくは、この件で自分なりの確信めいたストーリーがあるように見えた。

「そうですね。ですが、それはたぶん男目線だからじゃないですか?不思議なコトですけど、この時期って学校内での告白が多いんですよ」

里恵はそう言って男性刑事から視線をずらし、横に居る女性刑事の方へと視線を映した。見て確認したわけでは無いが、その部屋に居る教師は「毎年のことだ」という表情が浮かんでいることだろう。

「なるほど・・・確かに彼は見た目だけでもモテるでしょうね。確か彼女は3人と同じクラブよね。彼女、クラブ活動には顔を出してないでしょうけれど、もしかしたら時折、部室ぐらいには顔を見せていたんじゃなくて?」

「・・・ええ」

その事実は総司も華焔も知らないことだった。彼ら2人は部内でも中心的人物であり、運動場へ誰よりも早く到着し、誰よりも遅くまで残っている。そこから少し離れた場所にある部活は視界に入ることもなく、部室内はもちろん、人の出入りですらそこから確認することは不可能なのだから、由香里が部室に姿を現していたとしてもそれに気付けるはずもない。

 「はぁ・・・さすがですね、先輩」

女性刑事は天井を見上げるように1つ大きく息を吐き、次いで隣に立つ男性刑事の方をチラリと見た。

「なぁ?言ったとおりだろ?コイツは痴情のもつれで彼は冤罪だ。なにせ当事者たちは思春期真っ只中の高校生だからな。大人に成りきれていないが子供と言えるほど無邪気でもない。間違うことも多いだろうさ」

どうやらこの刑事は正しく刑事らしい。世間が〝事実〟だと認識しているウワサを鵜吞みにすることなく、当事者たちの為人を自分自身で調べたのだろう。そして自らで調べたことを判断の材料として〝事件〟を予想したのだろう。それも何通りも。刑事が中心となり、事の顛末が里恵、総司、そして華焔に確認しながら紐解かれていった。


 中川 由香里は例の男子生徒と付き合っていた。一見するとあり得ないことのように思えるが、おそらく最初は脅されてのことだろう。犯罪行為のあった当時、ソレ事態が表沙汰になっていないことがその証拠と言えるだろう。行為に及んだ当初、彼女は意識が無かったのだから、例えば裸体を撮影されているといった脅迫は容易に想像できる。そしてもともと行為そのものが目的だったわけではないのだから、男子生徒は中川 由香里に純粋な好意を持っていたはずだ。行為によって舞原 華焔という想い人を諦める他無いと自らを追い込んだ由香里にとって、徐々に明らかになっていく男子生徒の優しさなりは幾分かの慰めとなり、やがてそのその存在を受け入れるようになったとしても、無い話ではない。

 行為から数カ月。新入生が学校生活に慣れ、すでにそこを生活の一部としていた教師や先輩たちへの好き嫌いを判別するころ、それは新しい出会いの良し悪しを自らで定める時期でもある。加えて1カ月にも及ぶ夏休みという自由時間は学生を開放し、その期間、巷で開催される多くのイベントに異性を伴いたいという欲求に駆られる時期でもある。女子生徒という括りから見れば、表立ってアイドル的扱いは無いにしても、華焔がその対象と成り得る人物であるということも想像に容易い。

 世間が事件と認識するにいたったウワサは、この時期に発生した。陸上部の部室に限らず、着替えを必要とする全てのクラブは部室が男女で分かれている。女子だけが1つ所、それも密室と呼べそうな場所に集まったとなれば、いわゆる〝恋バナ〟というものが咲くのは避けられるものでもない。そのころには、部活動そのものへの復帰はまだ難しくとも、徐々に傷が癒え、中川 由佳里は部室ぐらいには顔を出すようになっていた。そこで1年生の口から好意を寄せる相手として「舞原先輩」は当然の選択肢だ。

 舞原 華焔の姿を見たとしても、その声を聴いたとしても、由香里は平常を保つ努力が実りだしたその頃、自分が諦めざるを得なかった舞原先輩を、無邪気にも横取りしようとする存在が突然目の前に沸いたような感覚に囚われた由香里は、すでにソレを諦めたハズだったにも拘わらず、自分の奥底に封じたはずの想いは突然に溢れ出し、彼女にしてみればおそらく、自分でも思ってもみない言葉となって、舞原という存在が誰かのモノに成ることを阻止した。

 「舞原先輩には注意しなければならない」

「あのヒトは自分がモテることを利用して、女子にヒドいことをする」

「舞原 華焔には近付いてはダメ」

そんな言葉が由香里の内側から溢れ出した。この話を早坂 里恵が耳にしたときには、すでにウワサは部室を飛び出し、1年生の間に広まった後だった。そして彼女1人がウワサを否定しようとするよりも早く、そのウワサは上級生へと広がり、学校の外にまで影響を及ぼすのにそれほど時間は必要とされなかった。


 「痴情のもつれってのは、大人でもよくあることだ。そしてそれが人命に関わる事件に発展したなんてケースはイヤというほど見てきた・・・華焔くん。私はキミの両親を知っている。今の状況もだ」

それまで特に目立った動きが無く、それこそどこかから持ってきた人形だとでも言うように静かだった華焔がピクリと身体を震わせた。その動きは今、ここではない場所だったとしたら誰も気付かなかいかもしれない程度の動きだったが、動きが振動となり座面を伝い、両隣に腰掛けている2人には確実に伝わっているようだ。2人もまた大きな動きではなかったが、ゆっくりとわずかに、でも確かに華焔の表情を横から様子を伺うように盗み見た。

「オイ、華焔・・・オマエの両親、元気か?」

総司も知っていたわけではないだろう。ただ何となく、そんな気がしただけのことだったが、ふと自分の中を横切った〝イヤな予感〟がどうしても消えてくれない。そのしこりのようなものは飲み込むことを拒むかのように這い上がり、ついには抑えきれなくなって口から飛び出した。

 「彼のご両親は今病院に居る。2人揃って3日ほど前から入院中だよ・・・誰も知らなかったかな?」

「刑事さん、両親はこの件に関係ないですよ。両親と僕の間ではちゃんと話し合ってますし、それぞれ納得してることです・・・それにそもそも、両親の入院はそれぞれに抱えていた持病の悪化だ」

おそらく教師は誰も気付いていないだろう。里恵もそこまで気付いてはいないと思える。もしかしたら刑事はその様子に気付いているかもしれないが、刑事の話を遮った華焔はしかし、明らかに途中で話し向きを変えていた。そしてその瞬間、ほんの一瞬だったが「しまった」という表情がチラリと浮かんですぐに消えた。

「キミ、間違ってるよ?ご両親の持病は確かにあった。けれど悪化の原因は間違いなく心労だわ。そりゃあそうよね?たった1人の息子が高校生でありながら後輩の女の子をレイプしたんですもの・・・私たちはね・・・犯罪を犯してしまった人の親がどうなっていくのかもイヤと言うほど見てるの。けれど、この件は止められるでしょうに!」

口調が徐々に熱を帯びていく。表情からは怒っているというよりも今にも泣きだしてしまいそうな雰囲気が読み取れる女性刑事を、どちらかと言うと険しい表情を見せている男性刑事が手で制した。

 「そして教師の皆さん。それに彼の友人の2人。私は刑事だ。彼に犯罪の容疑は無い。だからここからは刑事としてではなく、彼らのような青年を正しく導きたいと願う大人として話をしようと思う。華焔くん・・・キミはこの件をどうしようと考えている?」

その刑事の「口を挟むな」という雰囲気と相まって、誰も口を開くものは居ない静寂が訪れた。当然、その静寂を破るのは華焔の役目だ。

「両親はもともと誘われていた仕事もあって、僕の卒業を待って海外に移住します。僕自身は夏休みが終わればあと半年ほどで卒業。この地を離れる予定です。でもあの子たちはまだここでの生活が1年以上残っている。僕はあの子を護れなかった。だからこそ、これ以上あの子を苦しめるようなことはしない」

特段力の籠った口調でもなく、ただ淡々とした雰囲気が華焔にはあった。それが今決意したということでなく、ずっと以前から変わらず決めていたことなのだと言っているようだ。どのタイミングで、どの程度の情報を得た状態でその決意をしたのかは定かでないが、その場に居る誰もが華焔は勉学が出来るだけでなく、根本的に頭の良い子だと知っていたからだろう、華焔が放つ雰囲気を覆してまで言葉を挟む者は、ただ1人、男性刑事以外には誰も居ない。

「ウワサを肯定こそしないが、否定することもない・・・と?それによって周囲がキミに何をもたらすか・・・は覚悟の上か・・・1つ確認させてくれ。キミの予測するサイアクの世界で、キミは何と呼ばれている?」

校長室にはもちろん空調設備が整えられている。部屋の大きさからすれば確かに人口密度は高く、人体が発する熱量もそれなりのものがあるだろうが、そもそもソレを見越した温度設定がされている。それでも、今言葉を交わしている2人以外の誰しもが、その額にいくつかの汗を浮かべている。刑事の問いかけが明確な答えを求めていたからだろう、それぞれの脳裏には「犯罪者」「レイプ魔」といったレッテルがいくつも浮かび「死ね」と連呼される華焔の姿が浮かんだ。それらがまるで内部から押し出すかのように、額に浮かぶ汗の量を増やしていく。

「親殺し」

エアコンの動く音ですらも消え失せたかのような静寂の中で、それがまるで美しい音色かのように華焔の口から奏でられた。その音はそれまで汗を浮かべることもなかった男性刑事の頬に、1つの雫を流れ落とさせた。ただ他の者たちと違ったのは、その雫が汗ではなく涙だったことだ。

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