第9話 こんなに星がキレイな夜なのに
僕はご主人と出会って以降、いろんなご主人を発見しては都度それが嬉しく思えたんだ。どれだけのご主人を知ったとしても、新しい発見は嬉しいと感じるものだったし、そのどれもが間違いなくご主人だったから、そこに違和感みたいなのは何も感じなかったんだ。けれど、人間はそういうワケにはいかないの?
ご主人は確かにちょっと変わってる。他の人たちと違って、ご主人の中にある優先順位の一番下に・・・ううん、自分という存在は優先順位にそもそも含まれてない。自分が何かを得ることで、他の誰かが、それこそ顔も見たこともない他人だったとしても、誰かが何かを失うんだとしたら、ご主人はヘーキで得れるハズのものを手放しちゃうんだよ。でもそれだとご主人の手にはなーんにも残らないでしょ?だから僕がご主人の手から落ちちゃわないように、ご主人から離れることがないように見ててあげないといけないんだよ。1つぐらい、絶対に失わないモノがご主人にあったっていいでしょ?
「そこまで予想していても、それでもその道を通るつもりなのか、キミは?」
頬を伝った涙が涙だと気付くのに随分と時間が必要だったように思う。何故か右目だけから流れ落ちたそれは頬と顎がどの辺りで区別されるものなのだろうかと考えてしまいそうな辺りから重力に逆らえず皮膚を離れた。
すでに華焔を取り巻く世の中の人々は、彼が裁かれるべき人間だと認識している。そうなってからそれほど時間が経過したわけでもないが、人々の認識とは裏腹に華焔への追及が成されていないという事実は、彼らの持つ負の感情を増大させるのに大きな役割を果たしていた。その憎悪がやがて華焔だけに向けられるにとどまらず、その血縁者にも向かいだすのにそれほど時間は必要でないらしく、華焔の両親にも影響を及ぼし、目に見えるそのストレスは両親の心身を蝕みだした。もともと持病を持っていた2人が入院となったのは、つい数日前の話だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。「親殺し」だって?どういうことだよ?」
「総司、落ち着け。当たり前だがそんなコトはしない。ただ最悪の場合、結果的に僕はそう呼ばれるだろうなってだけだよ」
周囲に並び立つ教師たちに動揺の色は見えない。おそらく動揺のしようもないほど刑事と華焔の会話を理解できていないのだろう。それは総司も同じではあったが、ある意味で総司は華焔と同じ目線でこの場に居れたことで、理解できないという旨を示すことができたのだろう。
「今の世の中はね?誰もが他人を追い詰めることがカンタンにできてしまうのよ。しかもね、個人だったはずの意思は〝不特定多数〟という総意となって個人を攻撃するの。残念だけどコレを止める手立ては無いに等しいわ」
女性刑事はそう言いはしたものの、誰かの顔を見るでもなく、床に落とした視線を発する目に浮かんでいたのは悔しさと取れる表情だ。彼女の言っているのが、インターネットという空間の話だということはすぐに理解できた。そこに存在する個人たちを民衆として定義するのなら、それは集団暴行さながらに、最初は1つでしかなかった意思が複数の同意を得て肥大化し、自己を持たない者たちの賛同を得て民意と化して個人を襲う。早い段階で声を上げた者たちは他者からの称賛に酔い、どちらでもない者たちは自らも正義の中に居るのだと実感したがる。もしも自分の立ち位置が怪しく成れば、実体を持たない個人は容易に姿を消してしまう。この現実に対抗する手段を、実体のある市民を守るための組織である警察としても講じているものの、それで対処できたのが氷山の一角に過ぎないことは、誰しもが思っているところだろう。
「じゃあ、ナニか?アンタらやコイツの言うサイアクが巡って来たとしたら、コイツの両親は死んでて、ソレはコイツのせいだって誰もが指さすってのかよ!実際コイツは何もしてねぇんだぞ!なんでアンタら大人は飲み込もうとしてんだよっ!?」
その勢いは正に烈火のごとしだ。放っておけばその場に居合わせる大人の誰彼構わず殴り掛かったかもしれない。そしてその場に居合わせている大人たちもまた、総司に殴られても仕方がないとさえ考えているかのように、確かに誰も、華焔がこれからしようとする(実際には何もしないのだが)ことを止めようとする雰囲気は微塵もない。それはまるで大きく成ると分かっていた台風に、それでも何も対策をすることなく直面したとき、ただただ早く過ぎ去ってくれと祈るだけの姿と同じように思えた。そしてこの場合、その台風とは総司のことではないと誰もが理解しているのだろう。これから吹き荒れる嵐が半年以上に及んでココに停滞することを覚悟しているかのようだ。できることならば、華焔がそう望むのなら、その覚悟は別のことに使われるベキだと誰もが知っていた。
「舞原くん・・・この学校内で、キミの容疑を晴らすことは・・・少なくとも晴らそうとする行いはできる。私はこの学校の校長で、彼らはキミと関わりの多い教師たちだ。だが、確かにキミの言うとおり、この件は何がどうあっても誰かを傷付けてしまう」
校長という責任がその役を背負う1人の大人に口を開かせたのだろうか。彼ら〝学生〟3人の前に座り、唯一視線を真っすぐに受け止めることのできる位置に座していた校長が口を開いた。しかしその言葉とはまるで別物であるかのように、声音に力強さはない。
「校長、先ほども言ったとおりです。僕との関わりはあと半年ほどです。でも彼女たちは違う。校長、それに先生方。ああ、刑事さん2人も。僕は覚悟ができている。もしもサイアクが来たとしても、それでも進んでみせますよ。もしそうなったとして、両親はウワサに殺されたんじゃない。それは僕が公に否定しようがしまいが同じでしょ。そしてたぶん、全校生徒の誰であっても、僕より強いヤツは居ない」
決して誰も、華焔以外の誰かが納得できるはずもない会談は、華焔の言葉を最後に幕を降ろした。その瞬間を境に、華焔の学生生活は完全に孤立したと言っていいだろう。全校生徒はもちろんのこと、教師であっても華焔との関りは希薄なものとなり、それはやがて、より合わされて太く強い紐が1本1本、繊維単位で解けていくかのように細く、弱くなり、やがて紐としての存在そのものが無くなっていく。それはつまり、世の中と華焔をつなぐ紐が消失したということだ。
存在を認識されない。正直なところ、その方が良かった。だが、誰が始めたというわけでもなく、無視は迫害へと変わっていく。その様に拍車をかけたのは「何をしても許される」という本来ならあり得るはずもない風習だ。華焔の所持物は知らないところで傷付けられ、時には紛失した。校庭で燃やされていたこともある。華焔の通学は自転車だったが、徒歩で帰る必要に迫られることは頻繁に起こるようになった。華焔の机は校庭の隅に形を変えて捨てられ、靴は切り刻まれる。鞄はトイレで汚物と化した。それでも誰も咎めることもなく、まるでそもそも机も靴も鞄も、華焔という存在そのものが存在していないかのような大人たちの反応は、生徒たちが華焔そのものを傷付けるようになる手助けにしかならなかった。
幸いだったのは、その時期が3年生も終えようかというタイミングであり、学校にその身を置くのは暦で数える日数より遥かに短い時間で済んだことだろう。さすがに無事とは言えないが卒業式を1週間後に控えた日、朝に父を、夕に母が他界した。華焔の両親が他界した事実は瞬く間に学校内で広がっていった。華焔という存在そのものが無いにも関わらず。
舞原 華焔が卒業式に姿を見せることは無かった。さすがに両親の死後1週間という時間は、華焔に卒業式参列を許すほどの余裕は与えてくれなかったらしい。後日、華焔の自宅に卒業証書だけが郵送されてきた。送られてきたのはそれだけだ。彼のもとに卒業アルバムは無い。そして同級生が手にした卒業アルバムには彼の姿も、名前すらも載っていない。卒業式で語られた「3年生312名」は卒業アルバムに移っている個人毎の写真と同じ数字だった。
卒業式のあった日から数えて17日後、華焔は生まれた場所こそ違うが、それまでの人生の大半を過ごした場所をあとにした。華焔には学生という時間の中で、あまりにも大きく、そして多くのものを失ったという事実だけが残った。
「・・・両親が他界されたのは分かったけれど・・・なんなの・・・ソレ」
千絵の目からは大粒の涙が零れ落ちている。なんならもともと大きな目が涙と一緒に零れ落ちるんじゃないかと思うほどだ。話しのどのタイミングでこちらに寄って来ていたのかは分からなかったが、千絵のほんの少し後ろに立っている真紀に浮かんでいるのは苦痛にも似た表情に見える。
華焔は両親の死を話すにあたって、そこに至った自分の身に起きた出来事を要領よく、順を追って話した。最初それは、両親の死と直接かかわりのある話だと思えず、そもそも両親の死が話の主題だったことを2人に忘れさせるほどの内容だった。結果的に、両親の死がどうというよりも、2人にとって華焔が経験してきた高校生であった時の記憶は、自身に痛みすら伴わせるほどの衝撃をもって2人を突き刺したようだ。
「華焔さん・・・もう高校生のときの・・・ことってなんとも、ないの?」
千絵の目から零れ落ち続ける涙は止まる様子を見せない。千絵もまた、まるで自分の目から涙が溢れていることに気付いていないかのようで、流れるソレを拭う素振りすらみせない。
「なんともないよ?けど、「もう」って言うより「もともと」かな。いろいろあってね、たぶん僕はみんなが想像する以上に自分に興味がないんだよ」
華焔がポロリとこぼした言葉は、誰しもが「もしや」と思いながら、やはり誰もが「まさか」と思ってしまうことのようで、さらにソレが本人の口から出てきたことに2人は驚いた。
周囲の者が見て、「ああ、この人は鈍感だ」と思うことはよくあることだ。けれど往々にしてそういった場合、本人にその認識が無いことが多い。華焔の場合は「鈍感」というモノとは少々違う気もするが、華焔の過去を知らずに彼に好意を寄せる者からすれば、「鈍感」に見えてしまうのだろう。少なくとも千絵はそう思っていた。だからと言ってグイグイとアピールするというのも逆効果になるような気がする。それが華焔に好意を寄せる者が共通して持ってしまう感覚なのだが、その本質と原因、そしてそれを内在させてしまっている華焔という人間を見た時、もしかしたらその目に映るのは人の形をした〝ナニカ〟へと変貌してしまうのかもしれない。その存在は「バケモノ」と呼ぶにも異質過ぎる気さえする。
千絵も真紀も、華焔が小学生であったときに起こった事象を知らない。だが、華焔の過去から現在に至るまでに〝彼女〟と呼べる存在が居なかったことは知っている。華焔に彼女が居ないと知ったときは驚くほかなかった。いや、もっと正確に言うなら、今現在彼女が居ないことは理解していても、過去をさかのぼった時にその存在がただの一度も居なかったというのはどうしても信じることができないままだ。それでも華焔に彼女が居たことが無いのだと言うなら、容姿、頭脳、運動神経、性格、経済力などなどほとんどの要素が高スペックでありながら、それらを覆してしまえるほどの〝ナニカ〟があると考える。そう考えるのは自然の流れであって、真紀も千絵もそれが何なのかを知ろうとしてきた。そしてソレを知ったとき、「知らなければ良かった」と思うのもまた、よくある話なのかもしれない。
舞原 華焔という成人男性を始めて見たとき、そして彼に初めて接したとき、その男性はとても魅力的だった。たぶん、誰が見てもそうだ。娘が年頃でなかったとしたら、私自身がお近付きになりたいとホンキで思いそうで怖い。まぁ、男女としてではなかったとしても、お近付きになりたいと思える人だったし、実際、親しい間柄を築けてきた。今にしてみれば、舞原 華焔という人物は、男だ女だという前提を置いては関係性を構築できない相手だったのだろう。けれど案の定、それはきっと避けられないことだったのだろうけれども、娘の千絵は華焔くんに恋をした。
自慢の娘とまではいかないけれども、千絵はなかなかに可愛い。ここが喫茶店だから猶更なんだけれど、千絵を目当てに来る男性も居ないわけじゃない。まぁ、あの子は自分が好きって想った相手じゃないと付き合おうとはしない子だったし、そうだったからこそ、告白されてOKした試しはないんじゃないかな?そう、千絵は自分から告白するタイプの子。
しばらくは様子を見てたのだけれど、千絵がこれほど積極的になれない相手は初めてのような気がする。だってあの子、何かのキッカケで「好き」だと感じたらけっこうグイグイと押すタイプなのに、華焔くんに関してはどうやら「照れ」の方が強く表に出るみたいなんだもの。そんな娘の様子も新鮮で楽しいものだったし、華焔くんになら娘を預けても何の心配もいらない。何より、華焔くんが義理の息子となった日には、それこそ眼福がたまらないわ。時に娘の背中を押してみたり、ウラで暗躍してみたり、それはそれで楽しいと感じてみたり。そんな日々は私にとってとても楽しく、充実した日々だったのよね。
今日、華焔くんという人間が分からなくなった。いや、違うわね。より明確に理解できたというベキかしら。彼の一番いいところかもしれないなと思っていた「優しさ」は、それそのものは確かにそこにあるんだけれど、なぜそんなにも優しいのかを知ったとき、もしも彼女という立場だったとしたなら、ソレは2人の関係性を容易に壊してしまうモノに成り替わってしまう。
華焔くんはきっと、見ず知らずの他人だったとしても、自らを犠牲にすることで助けられるのならばそうしてしまうような人なんだろう。〝自己犠牲〟なんて言葉は、ふと耳にすれば心地よい響きを伴うものだけれど、それは犠牲を払う自己とあまり関りの無い周囲にだけ響くものであって、特に〝関係者〟には苦痛すら伴う言葉だと私は思う。
正直なところ、千絵の様子を見ても動揺が色濃く見える。たぶん、娘は華焔くんの告白で何かが想像できたワケじゃないんだと思う。もしそうなら、あの子はきっと怒りだす。けれど今、その表情に見えるのは、何をどうしていいのか分からないという一種の混乱のようなものなんだろう。華焔くんの身に起こったことは、それをもたらした相手に対して怒れるものだけれども、当の本人である華焔くんは怒るどころか自らそうなることを望んだ。もしも娘を助ける為だったとしたなら、私はどんな苦しみだって受け入れる。愛する相手に危害が及ぶことを防げるのなら、きっと誰だってそうするって言えると思う。それは親に限った話では無くて、千絵にとってもそういう相手はきっと居る。
なら逆に、大切に想う相手が居るのに他の誰か他人のために自らが不幸になることを受け入れられるだろうか?・・・ううん、華焔くんの場合はそれだけじゃない。(そんな相手は居ないけれども)千絵が自分を貶めた相手を助けるために自らを更に貶め、その影響を受けて私が死んでしまうことすらも受け入れたという事実なんて、千絵に飲み込めるはずもない。きっと娘はその瞬間、それまで絶大な信頼を寄せていた相手に裏切られただけでなく、その相手の存在そのものが実在なのかすら疑わずには居られなくなってしまったんだろうと思う。そしてそれは私も同じようなものだ。私の目には、それまで知っていたはずの華焔くんが突然姿を変えたけれど、娘と違ってこれまで生きた年齢のぶんだけ、かろうじてその存在が人間だと映っている。
それまで2人に注がれていた私の視線は、不意に窓の外の景色を映した。これまで長い時間を過ごしてきて一度もそんなことを思った試しは無かったのだけれど、窓越しに見えた夜空はここの空間と正反対に澄んだ綺麗な夜空だった。
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