第6話 青春はかくも甘いかしょっぱいか

 僕のご主人は自分自身のことを考えるのがニガテなんだ。苦手とは言ったけれど、僕が見ている限りでは、たぶんソレが出来ないのがご主人なんだと思うんだ。そりゃあね?家族と言う括りだったり、恋人とか、自分を犠牲にしてでも救いたい、幸せであってほしいって相手が居ることは知ってるさ。けれど、基本的に人間って自分が一番大事でしょ?ううん、イヤミとかじゃないよ。だって、生きている存在は基本的にみんなそうだと思うから、人間もそこから大きく外れるなんてことはなでしょ?けれど、ご主人は少し違う。

 ご主人はさ、僕を除けばすでに家族と呼べる存在の全てを失っているでしょ?普通ならこれから先の未来で出会うだろう大切な人も、今のご主人は諦める他ない。自分より優先すべき相手が居なくて、自分を優先させちゃイケナイなんて考えてるんだから、あとはもう、自分の目に映る範囲は少なくとも、全て優先対象なんてコトになる。きっと千絵にとってもツラい話になってしまったんだろうけれど、基本的にご主人の過去はそうした過去で埋め尽くされてきた人生だし、それを変えるコトなんて、神様にだってムリなことでしょう?きっとね?ご主人に問題があるんじゃなくて、ご主人という存在をどう受け止めるのか、受け取り手の問題なんだと思うんだ。


 「3年2組、舞原 華焔くん。至急職員室まで来てください」

ピンポンパンポーンというどこでもよく耳にする音が、全て響き終えるよりも早くしゃべりだした声はしかし、今度はしっかりと最後まで言い切ってなお一呼吸の間を置いた後、全校放送の終了を知らせる音が、今度はソレと分かるように音程を変えて学校に鳴り響いた。華焔が高校最後の年を迎えて夏の入り口に立ったころ、その〝事件〟は起きた。

 呼び出された華焔が職員室の扉を「失礼しまーす」と同時に開いたとき、最初に目に入ったのは担任女性教師の困惑した顔だった。傍らには学校内では見たことのないスーツ姿の男女が並んで立っている。男女ともに紺色のスーツ(女性もパンツスーツだ)だが、ネクタイはしていない。どこにでも居るサラリーマンかのようなその姿は、目立たないことを意識されているかのようだ。入り口に立った華焔を見る目つきが、どことなく品定めをしているかのような印象を受け、今日1日、特にサイレンの音は耳にしなかったが、華焔はその2人が〝刑事〟だと直感的に感じていた。

 「舞原、そっちに行くから出てなさい」

華焔のクラスを担任する女性教師は、特に古文などを得意とする文系教師で生徒からの受けもいい。実際華焔も信頼できる相手だと認識していたからこそ、困惑の表情を見せているその教師の言葉に従い、職員室に踏み入れた左足を、まるで逆再生かのように再び部屋と廊下の境界線を跨いだ。左足が廊下に接地するころのには、女性教師が立ち上がったことを知らせる音が聞こえてきた。

「舞原・・・ちょっと校長室まで行くよ?大丈夫だね?」

その「大丈夫」が何を指しているのかは大きな問題だ。そもそも担任教師に呼び出されている。この後に控える授業を受け持つ教師にも、その授業に華焔が参加しないことは知らされているはずだ。この後の時間に対する問題はすでに解決済みだろう。おそらく華焔の精神状態を指した「大丈夫」なのだろうが、何かしらトラブルが元で外部から来客があった場合、生徒が入室するのは応接室になることがほとんどで、校長室に出入りする生徒なんてものは限られた者しか居ない。それはもう、この後に待ち受けることに対して、担任教師の信頼が現れた言葉だったのだろう。だからこそ、担任教師の言った「大丈夫だね?」という問いかけと、職員室に張り詰めた雰囲気が非常事態だということを知らせていた。

 校長室にはその主である校長の他、教師は教頭と華焔の担任教師、3年生の学年主任、そして何故か2年生の学年主任の顔もあった。その他には職員室から同行しているおそらく刑事だろう2人と、華焔の8人が揃った。おそらく応接室の方が広さとしては相応しい人数だったが、場所を校長室としたのにはそれなりの理由があるのだろう。それは校長室の位置。ここは学校内で生徒はもちろん、教師であってもそうそう立ち寄る場所でも、通る場所ですらもない。

 「舞原くん、なにやら物々しくてすまないね。緊張するなと言える雰囲気でもないが、まぁ、まずは座りなさい」

校長の表情は柔和なままだ。それは舞原が学生生活の中で培った教師との信頼関係によるもののおかげだろう。チラリと周囲に立ち並ぶ教師の顔を見ても、決して険しい視線を向けて来る者は居ない・・・いや、1人だけ居た。2年の学年主任教師だ。確か男子テニス部の顧問をしている男性教師だが、正直なところ、これまでの学校生活の中で関わった記憶がほとんどない。その視線は鋭く刺さるような眼光の奥に、〝嫌悪〟が隠れているように見える。

 「さてと・・・舞原くん、私たちは君がどういう生徒かを知っているつもりだ。そこで単刀直入に聞きたいのだが、今、生徒の間で広まっているウワサは知っているね?」

校長室に置かれた応接用のテーブルを挟んで向かい合った校長は、表情を崩すこともなく、声音も優しいものだった。

「はい。知っています」

「うん、舞原くん、キミの話を聞きたいのだがいいかな?先に言っておくと、そちらのお二人は刑事さんだ。怯える必要は無いよ。話してくれるかな?」

どうやら教師立ち合いによる刑事からの事情聴取とはならないらしい。建前かもしれないが、華焔の話し相手はあくまで校長だということらしい。

「分かりました。では、結論から。ウワサは真実とは異なりますが、根も葉もないというワケではありません。少し長くなりますが、時系列でお話ししますので、まずは最後まで聞いていただけるとありがたいです」


 華焔は学校生活において優秀な学生だった。勉学は常に学年でも上位に位置し、部活動においても陸上部を主軸としてサッカー、バスケ、テニスなどをかけ持つほどに運動神経にも恵まれていた。教師、学生どちらからも受けが良く、どんなタイプの学生グループとも交流がある。例えば少々教師から目を付けられるようなグループは、彼の存在によって事なきを得たことも多い。それは特に2年生の夏以降に顕著であり、急激に伸びた身長と共に学校内で存在そのものが頭角を現したと言えばいいだろうか。華焔の成長は思春期真っ只中の高校生にあって、女子からの視線にも大きな変化をもたらしていた。

 不思議なことに、高校生活の中で華焔に〝彼女〟と呼べる特別な女性は1人も存在していない。面白いことに、華焔の友達のほとんどは男子だ。そんな中でも親しい女子に言わせると、「女子からすると冷たくあしらわれそう」という印象で一致しているらしく、それが彼女が居ない原因なのだが、華焔自身、それでいいと思っている。「隠れファンがケッコー居るから、私は馴染んでるからいいけど、迂闊に話しかけることもできんのよ」とはその仲の良い女子の弁だ。

 女子の間で暗黙のルールとして成立していた〝アンタッチャブル〟な華焔ではあったが、それでも人の想いを完全にしまい込ませることもできないようで、華焔が2年生のころ、1つ年下の後輩から寄せられる想いがあった。その後輩は、華焔と同じ陸上部に所属していたことで、ルールに縛られた華焔の内側に入ることに成功していたようだ。ついでに言えば、華焔が高校の3年間において唯一親友と呼べる友とその彼女の介在もあった。その半年間は後輩にしてみれば夢のような半年間だったのかもしれない。そんな後輩がある寒い冬の日を境に部活に顔を出さなくなり、華焔の前から姿を消した。


 「おーい、華焔!ちょっといいか?」

陸上部の部活終わりは数ある部活動の中でも遅い方だ。それは他のほとんどの運動部と異なり、太陽がすでに視界からは消え失せ、その残り火のような明かりであっても走ることに支障が少ないからで、常態化していたことでもある。そんな暗がりの中、自転車置き場に向かう華焔の背後からかかった声は、華焔が唯一の親友だと認める森口 総司のものだった。振り返った華焔の見る風景は、校舎が作り出した暗闇と呼んで差し支えないような場所から姿を現す2人の影だ。その影が小走りしている様子が音として伝わってくる中、華焔の頭上にある外灯の明かりが照らす影響範囲内に入って来たのは、やはり総司とその彼女、早坂 里恵だ。

「どうした?2人して・・・深刻そうだな」

「まぁな。けど、オマエも他人事じゃないと思うぞ?」

総司が促すように里恵の方に視線を向けると、里恵は一歩だけ歩を進め、総司の前に出た。華焔が175cmほどあるのに対して総司はそれほど高くはない。そして里恵はさらに小柄な女性だ。童顔な顔立ちの総司と合わせて、どう見ても中学生カップルにしか見えない。

「華焔くん、実は由香里のことなんだ。あの子、最近部活に来てないでしょ?1こ下だったから知らなかったんだけど、しばらく学校も来てなかったみたいなの」

 里恵の口から出たのは中川 由香里。3人からすれば同じ部活の後輩だ。ただし、華焔と総司が長距離ランナーなのに対し、由香里は里恵と同じくマネージャーである。由香里の家は華焔とそれほど遠くない距離にあり、遅くなりがちな部活のおかげで、一緒に帰ることが多い間柄だ(ただし2人きりかと言われればそうでもない)。夏の終わりごろ、里恵から「由香里、華焔くんのこと好きだって」と言われたときは、どう反応していいのやら困り果てたものだ。その時の2人の顔は今でも覚えている。

 総司と恵里は、高校内で唯一、華焔の過去を知る2人だ。華焔に恋愛感情が無いことを承知しているが、総司からすればどうやらそのまま放っておくことはできないらしく、華焔の周りで少しでも女子の煙が立とうものなら、盛大に煽って来る始末だ。表面上は面白がっているようにすら見える素振りは、しかし真剣に華焔の身を案じていると知っていた華焔としても、冗談交じりにスカして見せるが、内心ではその気持ちに感謝こそすれど怒る理由は無い。

 「今は学校に来てるから僕に動けって?・・・2人とも、中川に何があったのか知ってるってことでいいか?」

2人の言葉が表情とともに詰まったように見えた。その様子からすれば、やはり2人は理由を知っていて、おそらくは華焔に言いにくい内容なのだろうと想像がつく。そのうえで、華焔に「動け」と言うのだから、そこに隠れているのは「痴情」なのだろう。ならば、華焔からしてみれば間違いと言えるが、由香里からしてみれば間違いではないのかもしれない。何より、2人の頼みとなれば簡単に断るというのも気が引けるところではある。華焔は2人の次の言葉を待った。

 「なぁ、華焔。オマエ、本当は恋愛感情・・・って言うか、そもそも誰かを好きになるということに憧れてるんじゃないのか?」

問いの返答に困った場合によくあることだ。質問に質問が返って来た。内心で「そう来たか」とさえ思う。さすがに総司は〝親友〟と思っている相手らしく、普段の総司とは打って変わって慎重に言葉を選んだようだ。総司の言うとおり、確かに〝憧れ〟を抱いている。そして、たぶんコレも総司は理解しているのだろうが、心底ソレが出来ないと思っている。

 〝憧れ〟というのは厄介なモノだ。大体の場合において、憧れる対象は自分に無いモノである。言い換えれば、〝諦め〟た対象が〝憧れ〟に成る。他者からすれば「諦めるな」と言うのかもしれないが、そうできるのならば、そもそも諦めたりしないものなのだ。人が〝出来ない〟と感じていることを〝出来る〟ことなのだと促す行為は、そう言ってくれる気持ちが理解できてしまうからこそ、心に深く突き刺さる。

「ありがとうな、総司、それに早坂も。解かった。自分のためにも、中川のためにも結果がどうなるかは分からんけれど、動いてみるよ・・・詳しく聞かせてくれ」

「そうか!・・・けどな、頼んどいてナンだけど、結構重たい話なんだよ。まぁ、オマエなら聞いたからって悪影響は無いだろうけど・・・里恵?話していいな?」

「話さないと進まないでしょうに。でもきっと、あの子の力に成れるのは華焔くんしかいないと思うんだ」

そう言って話し出したのは里恵の方だった。なるほど、その内容は里恵という存在がなければ華焔は元より、総司の耳に入るはずもない内容だった。


 中川 由香里は上級生の間でも時折話題になるような容姿の持ち主だ。性格も基本的に明るく、社交性も十分に備えている。まだ1年生ということもあって、美人と言うよりは可愛らしいという表現が当てはまるのだろうが、これから大人に成長するに連れ、さぞ美人に成っていくだろうと思わせる魅力を放っている。要するに、学校内で男子からの人気が高い女子だ。ならば言い寄る男子は多いだろうと想像できるのだが、新入生が打ち解けだしてそうした恋愛絡みの動きが出始めるには少し時間がかかる。往々にして夏休み前にはそうした動きが活発になるものだが、由香里とて感情を持つ女の子なのだから、誰かを好きになることも想像できる。幸か不幸か、由香里にとってその相手は陸上部の先輩である舞原 華焔だった。

 「由香里ちゃん、俺と付き合ってほしいんだけど、どうかな?今度の日曜にでも映画とか一緒に行かない?」

部活に行く前、クラスメイトの男子に呼び出された由香里は、もう何度目かと数えることもしなくなった似たような告白を受けていた。いくらクラスメイトだからと言って、それほど親しい相手でもない。友人ですらないその男子生徒は、なるほど見た目は整っている。確かこの男子生徒が気に成っている女子もそれなりに居たはずだ。由香里自身の親しい友人にそうした意思表明をしている友達は居なかったが、〝表明〟していないだけで〝秘めて〟いる女子が居たとしても不思議は無い。そもそも、その男子にどうという感情も持ち合わせていない由香里からすれば、迷惑この上ない申し出なことは間違いない。

「すいません。私、好きな人、居るんで。なので付き合いませんし、当然、映画にも行きません」

4月からこっち、わずか4カ月間で告白してきた男子は全て断ってる。「またか」というちょっとしたイライラが言葉選びに支障を来したかな?って思ったけど、どこにもウソは無いのだから問題はないはず。1つペコリとお辞儀をして、その場を立ち去ろうとクルリと踵を返すと、案の定、その男子から追加のご注文が来た。

「好きな人って誰だよ?」

その追加は想像できた。正直、聞いたところでどうなるのだろうと思うけれど、それで引き下がるのならばという考えが浮かんだ。舞原先輩に悪いとは思うのだけど、恵里先輩やその彼氏で舞原先輩と仲の良い森口先輩、さらには3年の先輩たちですら、「1年生!学校で何か困ったコトがあったらコイツの名前を出せ。ほとんどソレで丸く収まる」なんて言ってたし、当の舞原先輩も「いや、まぁ、そうでしょうけど、扱いヒドくないっすか?・・・まぁでも、いいよ、名前出してもらって」と言っていた。まさか入部初日の主将の挨拶がソレだとは思いもしなかったけれど。さらに付け加えるなら、その後の女子部だけのミーティングでも「今年は可愛い子しか居ないねぇ。お姉さん、嬉しいよ。さっきも言ってたけど、舞原くんの名前は便利だから覚えておくよーに!特にアナタたちはヤローどもから声かけられたら遠慮なく使いなさいね。面白いぐらい効果テキメンだから」だそうだ。名前を使わせてもらうとして、心の中で舞原先輩には謝っておくとしよう。

「2年の舞原先輩ですよ」

「えっ・・・アノ?・・・つ、付き合ってんの?」

それは気が早い。なんなら告白すらしてない。でも「アノ」ってどの?なんて少し可笑しくすらある。まさかここまでの効果が1年生にもあるなんて想像してなかった。

 舞原先輩の交友関係は驚くほど広いと聞いている。この学校にだってコワそうな先輩たちが居るのだけれど、そんな人たちとも笑い合ってるところを目にしたし、なんなら先生を差し置いて、そういった不良(?)的な生徒とワリと真面目そうな生徒の間を仲裁していたのだって目にしてる。恵里先輩に聞いたところによると、舞原先輩は頭が良い。そしてオタクでもある。運動神経もビックリするぐらい良くて、ここ最近、身長も急激に伸びてる。さらに古武術?とかやってるらしく、恵里先輩曰く「そこらの不良が束になっても勝てないわよ?」だそう。ちょっと回りの女子からは「舞原先輩ってカッコいいけどちょっと・・・女子に冷たそうよね?」なんて声も聞こえるけれど、それも恵里先輩によると「確かにそうだけど、内側に入っちゃうとトコトン甘いよ?」なのだそうで、同じ部の後輩である私たちはどうやら〝内側〟に居るみたい。そしてトドメが容姿端麗。この学校でもとびきり有名人なのだから、きっとこの人も部の先輩辺りから舞原先輩のことを聞かされてるんじゃないだろうか?

 「付き合ってはない!けど家も近いし、しょっちゅう送ってもらってるし、仲は良いと思う。先輩のこと知ってるんなら、そういうことだから」

さすがに「舞原先輩に勝ってから来い」とは(思ってても)口にはしない。さてとこれで引き下がるだろうかと相手の様子を覗き見てみると、それはどう表現したものかと悩んでしまいそうな表情を浮かべている。まるで見る角度によって表情が変わる不思議な絵でも見てるように、諦めの表情に見えたかと思うと怒ってるような表情にも見える。そうかと思えば「アクマかよっ」とツッコミたくなるような笑みを浮かべた次の瞬間には、今にも泣きだすんじゃないかと勘繰ってしまいたくなる表情に変化している。まるで感情の整理が追いついてないと自ら証明しているようなその男子学生に少しばかりの寒気を覚えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る