第5話 新しい日常にも影は必ず
2回目の雪ってヤツを見るころまではあっという間だったよ。新しい家は〝えれべーたー〟ってのに乗るんだ。外から見た大きさにしたら部屋は小さかったし、えれべーたーで他の人に会ったこともあるから、たぶん何人かが同じように住んでるようなトコロなんだろうね。面白かったのは一番下の広いトコロ。たくさんの人が犬と一緒にご飯食べてるんだ。最初、ここに住む人がご飯食べる場所なのかと思ってたけど、外からやってくる人の方が多かったし、犬を連れていない人も居たから、誰が利用してもいい場所なんだね。確かご主人が〝どっぐかふぇ〟って言ってたっけ。
ご主人はココをよく利用してた。もちろん僕も一緒だ。座る場所も決まってた。けれど僕とご主人だけじゃないことが多かったんだ。何度も見る人も居れば1回しか見なかった人も居た。テーブルの上でノートやパソコンとやらを広げて、よくわからない話をしてたんだけど、どうやらご主人の仕事というものに関係してたらしい。
実を言うとね?ここの〝マスター〟っていう名前の大きな犬にいろんなことを教えてもらったんだ。すっごく優しい顔をしたゴールデン・レトリバーって種類なんだって。そのマスターが言うには、ご主人とマスターのご主人の間で約束事をしてたらしい。
人間は生きていくためにお金ってのが必要で、それを手に入れるためにするのが仕事だってマスターが教えてくれた。ご主人の仕事は詳しくなかったけれど、ココで同席した人のお願いを叶えることが仕事で、お願いを叶えるとお礼としてお金がもらえるみたい。マスターのご主人は、ここに来る人に食べ物や飲み物をあげる代わりに、そのお金ってのを手に入れてるんだって。マスターが言うには、ご主人たちが約束をして以降、ここに来る人が増えたって聞いた。マスターは「ウィンウィンだ」って言ってた。
マスターのところは〝お店〟、ご主人のところは〝会社〟って言うらしいこともマスターに聞いたけれど、それは名前じゃないらしく、マスターのお店は〝いぬの店長〟って名前なんだって。僕のご主人の会社は〝華色(はないろ)〟って名前だった。ご主人と僕の名前をくっつけたもので少し嬉しかったな。
そうして過ぎた日は穏やかなものだったけれど、今にして思えば少しずつ変化ってものはあったんだと思う。気付かない間に少しずつ変わっていく日常は、ある日突然、大きな変化となったかのように誰の目にも見えるようになるんだ。
華焔は自らのデザイン会社を〝華色(はないろ)〟と名付けた。オリジナルのデザインで宝石をあしらった装飾品を作る会社だ。もちろん自分の名前と秋色の名前から決めたものだ。もともと得ていた人脈によるところが大きかったとは言え、インターネット社会というものは華焔にとって助けとなったようで、華色はその中に存在する。取引先や顧客とのやり取りの多くは電話やオンラインで行えたが、どの相手であっても必ず1度は対面している。華焔にとって特に個人客のデザインを起こすとき、その人を直接目で見ることは重要だった。
「華焔のおかげで今年は過去最高益だ。いやぁ娘の目に狂いは無かったねぇ」
そこは6階建てのアパートの1階にあるドッグカフェ〝いぬの店長〟だ。カウンター越しに会話している女性は園田 真紀。ここの店長と言いたいところだが、店名が示すとおり、店長は真紀の飼っているゴールデン・レトリバーだ。ややこしいことにそのゴールデン・レトリバーの名前は〝マスター〟だという。1階フロアのほとんどを占めるいぬの店長内を自由に歩いているものの、どうやらマスターの意味が分かっているフシがある。店内に人が入ってくれば必ず出迎え、会計を済ませる客があれば必ず見送りにやってくる。なんなら来店した客を空いている席に誘導すらしているのだから、常連客はもちろん、来店者の心を掴むには十分すぎる握力と言っていいだろう。
「お母さん、華焔さんにかこつけて私を持ち上げるとか、ハズいからヤメテよね」
華焔の後ろから箒を手に母親へ抗議の声を上げたのは園田 千絵。20歳の大学生だ。母親の運営しているいぬの店長をアルバイトとして手伝っている。そもそもこの建物自体が祖父の持ち物だと教えてくれた千絵は、小柄な身長と大きな瞳が相まって、どこか幼さを宿した可愛らしい女性だ。そんな彼女の足元には、手にしたほうきで今日一日に訪れた様々な犬たちの落としていった毛が集められている。1本1本では気付かないソレも、こうして集められると手のひらにポンと乗せられそうな程度の束になっている。
外はすでに暗く、時間はいぬの店長閉店時間である夜9時を少し回ったところだ。外に面した解放可能なガラス窓はすべて閉じられ、カーテンが下ろされている。本来の出入り口には〝open〟の文字が見える掛札があるが、内側からであって、外から見る分には〝close〟の文字が見えているはずだ。扉の木枠に合わせてか、ダークブラウンの木材で作られている。
「僕にしたら光栄な話なんだけどね。ココを使わせてもらってるから華色としてもありがたいしね。なぁ?秋色」
そういって少し振り返りながら視線を落とすと、声をかけられた秋色はすでに丸くなって眠っているようだ。
「アキちゃん、もう寝てるじゃない。普段って一緒のベッドなんでしょ?」
「うん?粗相することもないからね。今の時期だと布団に潜り込んでくるね」
「つぶさないでよ?」
実際そうした事故があったと聞いたことはあるが、気付けば潜り込んでいる。秋穂に知られたときには「ゲージに入れなさい」と叱られたこともあったが、すでに手遅れと言っていいのだろう。実際、秋色と一緒に眠ることで受ける恩恵を、華焔も手放すことができずに今日に至っている。
「大丈夫だよ。僕ってすこぶる寝相がいいから」
「もぅ・・・うらやましい」
わざとらしく言い聞かせるような表情を作っていた千絵だったが、「うらやましい」の言葉が尻すぼみになると同時に、華焔に向けていた視線をスヤスヤと眠っている秋色に下ろした。千絵の視線を受けていた華焔は気付かなかったが、カウンターの中では真紀が少しイタズラっぽいようなニヤニヤとした表情を浮かべている。母親として娘の将来に思うところがあるのだろう。真紀は今の千絵がそのまま年齢を重ねたような容姿をしている。千絵から教えてもらった47歳という年齢にはどう見ても見えない。
いぬの店長が1階に収まっているアパートに住んだことは偶然だったが、この場所を商談の場として使えるよう、華焔と真紀の間をつないでくれたのは秋穂だった。何のことは無い。マスターの主治医が秋穂だったのだ。
真紀のいう〝過去最高益〟は事実だ。それは一言で言えば宣伝効果によるものだった。もともとパソコンを始めとしたIT系に強かった華焔ではあったが、それはハード面でのことであり、ソーシャル的な知識は人並み以下だと自覚していた。真紀は「自由に使えばいい」と言ってくれたが、それでは申し訳ないと頭を悩ませていたところへ顔を出したのが千絵だった。けっしてマーケティングに長けているということでもない千絵は、どこにでも居るだろう女子大生だったが、そうした年代の女性に漏れることなく、様々に世界に溢れたソーシャルネットワークを活用していた。華焔の知識と千絵の経験、そして真紀の料理にマスターや秋色の癒しが加わったことで、それまで主流だった女性客やカップルがさらにその数を増やしたようだ。
真紀からしてみれば、ビジネスとしての面も人柄そのものも身近で見てきた半年間は、舞原 華焔という人物を見定めるに充分な期間だったのだろう。その結果はあえて語らずとも、千絵との接点が劇的に増えていることが教えてくれる。だからこそ千絵が口にした「うらやましい」の対象が、寝相のいい華焔にではなく、秋色と一緒に眠れることでもないということは、華焔にも分かっていた。
「ねぇねぇ、華焔さんって年末年始ってどうするの?」
本当なら「クリスマス」を含めて聞きたいところだったが相手は社会人だ。会社に勤めているタイプの社会人ではないが、その職種はと言えば〝宝石やアクセサリー〟のデザイナーなのだから、クリスマスが過ぎ去るまではケーキ屋さんと並んで激務だろう。実際、平日だというのに今日はほとんどの時間をいぬの店長で誰かと過ごしていたのを目にしている。
「ここのところ忙しかったからって言いたいトコなんだけど、年始に向けてもすでに依頼が詰まってきてるんだよね・・・けどま、31日から2日ぐらいまでは休むつもり」
ふと見ると華焔の左手の甲を500円玉よりもわずかに大きそうなコインが、人差し指から小指までの指の奇妙な動きに合わせて右へ左へと転がっている。よく見かける光景ではあるが、華焔にとってはペン回しと似たようなモノらしく、自らの手の甲に視線を向けることなく指の感覚だけでそれを永続させている。千絵は何度か華焔に教えてもらってはいたが、どれだけ練習してみたところで、華焔のソレのような流れる動きには到底至らないどころか、すぐにコインが手から零れ落ち、その繰り返しは千絵に習得を諦めさせるに充分だった。
「相変わらず気色悪い動きよね・・・まるでコインが生き物みたい。にしても、休みって言っても3日間だけ?それじゃ実家に帰っておしまいじゃない」
「いや、上でゆっくりするつもりだよ?って、まぁ、帰るような実家もないんだけどね」
何気ないいつもの調子だった華焔ではあったが、まるで華焔と千絵の間にすっと誰かが入り込んだかのように、一瞬の間が生まれた。真紀の様子をチラリと盗み見てみれば、まるで「余計なコトを・・・」と言っているかのような表情を浮かべているのが分かった。一瞬、その空気感が生まれた理由を探ってみようとしてすぐ「実家が無い」と言ったコトを思い出し、それが両親の他界を連想させたのだろうと思い至った。
確かに両親は他界している。なんなら血縁のある者は誰一人として生きていない。それは結果的にそうなったというだけのことで、誰であれ血縁のある者、自身とつながりのある者が死を迎えることは悲しいことだと思うが、(近縁の)血縁者が全て他界していることを不幸だと思ったことはない。とは言え、事情も何も知らない者が、意図せず遠回しであったとしても「両親が死んでいる」ことを聞き出してしまったことは、聞いてしまった者に気まずさを植え付けることも理解できる。大体の場合で、その空気感に気付いた者は「お気になさらずに」と言うのだろうが、そう言われて気にしなくなるような人も居ないのではないだろうか?
「もうズイブンと昔の話だよ、両親が病死したのはさ。まぁ、2人揃ってっていう珍しいタイミングだったけど。それに、家族ならもう居るしさ」
「え・・・?」
千絵の疑問がどこで生まれたのかは判断に悩むところだ。千絵の心情によって疑問に思うところは変わってくるのではないだろうか。もしかすると複数個所で疑問を感じたという場合だってある。とは言え、まずは簡単で、それでいてもっとも重要な事実を共通で認識する必要はありそうだ。キョトンとする千絵の瞳を真正面から若干見上げながら、その視線が互いに絡み合ったことを認識して自らの膝の上に視線を落とした。華焔の瞳の動きに誘導されるように膝の上に視線を向ければ、いつの間にそこに乗せたのだろうか?千絵の瞳には華焔に優しく撫でられながら、それでいて当の本人は完全に夢の中に居そうな秋色の姿があった。千絵にとって疑問の1つだったろう「家族」が誰なのかを知った千絵は、優しい笑みを浮かべながらも、それが自分でなかったことに僅かばかりの寂しさを覚えていた。そんな千絵の心情を察したのだろうか。華焔は静かに口を開いた。
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