第4話 ある出来事の記憶
キミは僕が捨てられていたことをヒドいことだと思うかい?たぶん〝ほとんどの〟キミは僕を捨てた相手に怒りを感じ、そのときの僕の境遇に悲しいと声をあげるんじゃないかな。僕のご主人だってそうなんだから。けれど不思議なコトに、僕自身は誰とも知らない〝僕を捨てた人〟っていう架空の存在に怒りを覚えたことはないんだ。
ご主人の過去を聞いたときも、その出来事は悲しい出来事だったと理解はできるよ?けれど、その悲しみをその時に背負ったのはご主人だけで、それがそのときのご主人にどれほどの悲しみを与えたのかを、僕は知らないし、知ることもできない。だから今のご主人に今の僕ができることがあるとしたら、ご主人が自分の話したことで再び悲しみを覚えたとき、ただ側に居ることだと思うんだ。ホントは、「独りじゃないよ」って言葉を出せたらいいのにとは思うんだけどね。
それは無邪気と背伸びが同居する子供時代、事実を言えば小学4年生のときだ。一般的に言われるような〝子供っぽさ〟が薄らぎ始め、下級生に対してお兄さん、お姉さんであろうとする年頃。膝の上で見つめ上げて来る秋色をそっと撫でながら話し始めた華焔の時間は、それを聞く2人を巻き込んで遥かに時間をさかのぼった。
もしかしたら、そのぐらいの歳で〝好きな子〟という特別だと思える存在に出会う人も居るだろう。華焔もそのうちの1人で、幼馴染の女の子にその感情を見出していた。それが大人になってから知識として知った〝恋愛感情〟と呼べるほどの想いだったのかは解からない。けれども、大勢いる友達や知人の中で、家族すらも差し置いて特別だと思える相手だったことを覚えている。それが長い年月の中で美化された感情ではないと信じている。
冬がすぐそこに迫ろうかという秋の午後。華焔もその少女も、その他大勢の子供たちと一緒に公園でサッカーをしていた。もともと住宅地や市営のアパートといった住居が立ち並ぶ場所だったこともあって、そこに集まっている子供の数はサッカーの定数よりも多い。よく見れば、サッカー以外に興じる子供の集団もいくつか見えるほどだ。地域柄と言えばいいのだろうか?面白いことにどの集団を見たとしても、男女が入り混じっている。
そこはサッカーをするためにあつらえられた場所ではなく、土の代わりに駆け回る子供たちが足を乗せるのは砂利だ。ゴールも公園の出入り口をソレに見立てているのだから、左右にゴールを規定する境界はあっても上方にはそれが無い。なんなら、車の侵入を防ぐためにあると思われる、入り口に等間隔に設置されたブロックやポールすらあるが、そこにボールが当たろうものなら「自動キーパー」などと小学生の発想で生まれた言葉が叫びを上げている。
その公園でサッカーが繰り広げられる光景は、その地域に住む人々にとって何も変わらない日常だった。サッカーだけじゃない。その公園では野球が開幕する日もあれば、一画に設けられたアスファルトのコースで、ラジコンのレースが催される日もある。そしてそこに設置されたたくさんの遊具を活用した様々な遊びも考案される。そこは一昔前の文字通りの公園だった。
しばらくサッカーの様子を見ていると、どうやら華焔とその少女は同じチームだということが分かる。学年も入り乱れていると思われる身長や体格差の中で、華焔はむしろ小柄な方だったが、どうやら華焔はサッカーが得意らしいということも見て分かった。華焔のチームが自然と華焔を中心に動いている。
たぶん誰も得点など記憶していないのだろうが、うまい具合にゴール前に蹴り入れられたボールを、華焔が空中を滑り込むような格好でゴールに蹴り入れた。トンと合わせただけのようなボレーは、ボールの勢いとは関係なく綺麗なものだったからだろう、相手チームだろうと思える子供たちは驚きと悔しさが混ざったような表情を浮かべている。味方チームはと言えば、「スゲー」やら「ヤるなぁ!」などと称賛の声が子供ながらに上がっている。
「今のはカッコ良かった!けど、私も飛び込んでたんだからねっ!」
その声は内容に似つかわしくない明るい音程で奏でられた。まだ座り込んだままの華焔が振り向けば、背中の中央辺りまであるだろう髪をポニーテールに纏めた少女が立っている。見上げたその顔は、笑顔だということが分かりはするものの、さらにその向こうにある太陽の眩しさで、口元辺りしか認識できない。それはまるで、太陽の眩しさとその少女の笑顔が溶け込んでいるかのようにすら思えた。
「ボール取ってくるねー」
そこで興じられるサッカーのゴールは、本来は子供たちをそこへ迎え入れ、夕飯時になれば見送る出入り口なのだから、ボールは止まる術のないままに転がっていく。今回の華焔が放ったシュートは〝蹴った〟というよりも〝合わせた〟といった具合で、ボールが彼らから離れようとする力がそれほど強くなかったことは幸いだった。暗黙の了解とでも言うのだろうか?ゴールしたボールを取りに行くのはシュートした子であることが多い。
いくら距離が短いとは言え、暗黙に従うのならば、などと難しいコトを考えたワケでもなく、ただ自然と華焔はその場で立ち上がり、一歩を踏み出した。自分よりほんの僅か前を行く少女のポニーテールが、正しく左右に揺れ動く様にキレイだという感情がこみあげて来る。
「いいよ、いいよ。僕が取りに行くから」
駆け出した華焔が発した言葉は、果たして左右に揺れるポニーテールが払い落したのだろうか?少女は止まる気配どころか反応すらしていないように見える。華焔はさらに音量を上げてもう一度言葉を届けるべきか、それとも触覚として直接訴えかけるべきかと頭で悩んでいると思っていたが、すでにその左腕は前方へと延びていた。気が付けばすでに公園と歩道を隔てる境界線をまたぐところまで到達している。
「僕がちゃんと記憶しているのはここまでです。この直後に記憶しているのは、目の前で揺れるポニーテール・・・次に目にしたのは、まるでマジックのように入れ替わったトラック」
〝トラック〟という言葉に魔法でもかけられていたかのように、華焔から発せられた言葉が〝トラック〟だと認識した瞬間、孝輔と秋穂の表情から色が消えたかのようだった。もしかしたら、次の言葉が華焔の口から出るまでの1秒足らずは、2人にとって1秒ではなかったのかもしれない。
「そして左の方で〝ドチャっ〟って音が聞こえたかと思うと、スーっと画面がそっちの方にスライドしていって、血の池の真ん中に横たわるその子の姿がありました。最後は、その池にゆっくりと近付くボールが、縦にゆっくり赤い線をその身に描いて、その子の足先に当たって止まったところで、僕は記憶を失っています」
まるでそれは場違いだと言わんばかりに、どことなく照れたような表情を浮かべた華焔は、話の間中ずっとこちらを見ていたのではないかと思わせるような視線を向けて来る秋色の頭をそっと撫でた。不思議なことに、華焔の胸中に〝悲しみ〟や〝苦しみ〟といった感情が湧きあがってくることもなく、ただただ何も無かった。
もしかしたら、孝輔と秋穂にはそんな華焔の様子がさらに追い打ちだったのかもしれない。およそサイアクの事態と言っていい少年時代の光景を口にした青年が浮かべていい表情ではないと感じたのだろうか。2人の目が大きく見開かれ、表面に見える華焔の表情ではなく、そのさらに奥にあるだろう感情を読み取ろうとしているかのようだ。
2人の雰囲気に気付いたからだろうか、それとも気付いていないからこそだろうか?秋色の頭を撫で、その愛くるしい姿に視線を落としたまま、華焔はさらにその先を続けた。
普段その辺り一帯は、朝と宵の口を除けばほとんど車の往来は無い。要するに住宅地であり、親たちの出勤と帰りに車の姿を見る程度な場所だった。だからと言って安心していいものではなく、公園の出入り口を超えればそこには歩道があり、ちょうどガードレールの無い子供3人ぐらいが並んで通れるほどの隙間を抜ければ、目の前に広がるのは向こう側のガードレールや歩道と、一般に広く開放されているグランドが広がっている。しかし当然、その間には車道が存在している。いつも大人たちからは「公園の出入りには注意しなさい」と言って送り出さていることだろう。
道を挟んだ向こう側に広がるグランドには、野球とサッカーが同時にできるほどの広さが確保されている。もちろんそこでサッカーをする場合、備え付けの〝ゴール〟がちゃんと用意されているのだが、これも暗黙の了解なのだろうか?そこでサッカーに興じるのはもっぱら中高生だった。その日、そのグランドでサッカーに興じる少年少女の姿は無かったのだが、ある意味、日々の習慣とでも言えばいいのだろうか?子供たちは悩むこともなくサッカーの場所に公園を選んでいた。
そして子供だから、そんな習慣だったから、そういう土地柄だったから、その日、華焔の目の前でその不幸は起こった。もしかしたら、例えばトラックを運転していた男が出発までに1秒余分に時間がかかっていたとしたら、巡り巡ってその不幸は起こらなかったかもしれない。華焔のゴール前への飛び込みがほんの僅かでもズレていたら、ボールは車道に向かうこともなく、ただチームメイトから「ヘタっぴ」とからかわれただけだったかもしれない。結局ソレは、複雑に重なった様々な偶然が引き起こした事象だ。本来〝良いこと〟に使われがちな言葉だが、その偶然の重なりは〝奇跡〟という言葉に置き換えられる。
後に華焔には様々な人から同じ言葉が贈られる。それは決まって「キミのせいじゃない」だ。だが、仮に精神が十分に成長した大人だったとしても、耐えられるかどうか分からない〝好きな人が目の前で死んだ〟という事実は、実際には小学生でしかない華焔の心を壊すに充分だった。・・・そこに〝自分のせいで〟という言葉が追加されていたのだから猶のことだ。
華焔にはそこから1カ月ほどの記憶が無い。家族や学校の同級生から聞かされた話では、事故の直後「自分のせいで」と言葉を繰り返していたらしい。不思議と泣いてはいなかったと聞いた。2日ほど学校は休んだらしいが、3日目には普通に登校し、授業を受け、家に帰った。学校での様子を親が教師から聞かされていたようだが、言葉を一言どころか一音すら発さず、何に対しても反応を示すこともなく、感情すらそこに無いことが、誰が見ても分かる様子だったらしい。そしてそれは、学校以外の時間でも同じだった。
一言で言えば、華焔は全ての感情を失っていたのだろう。そんなコトが起こり得るのかと思いもするが、それぐらいのコトが起こっても不思議ではない事象なのだとも思える。ただ幸いにも、家族、親族、友人たちの助力もあって、失くしてしまった感情の1つ1つを再び思い出すかのように、小学生を終えるころには人間らしく振舞う術を会得していた。小学校卒業のころ、華焔を知る者たちは誰もが声を揃えて「元の華焔ちゃんに戻れて良かった」と言っていたのを華焔は覚えている。
華焔が元に戻ったワケではないということに気付いた人物は2人だけだ。それは華焔の祖父母。その2人だけが、感情を〝取り戻した〟のではなく、〝作り直した〟のだと気付いていたという。おそらくこの2人が居なければ、華焔は今存在していない。祖父母は何があったのか、どうやったのかの多くを語ることは無かったが、新たに構築された感情がどういう種類のモノなのかを華焔に理解させたという。
華焔が自身の感情を再構築する際、根底にあったモノがある。それは言葉で言うのならば「自己犠牲」だ。これが根底となった原因は、あの事故が起こった直後、華焔がずっと口にし続けていた「僕のせいで」なのだろう。そこで成立した感情に自らを案じるという概念が欠落していたとしても、誰がそれを責めることができるだろうか。
もう1つ、こちらこそが孝輔と秋穂の求めた答えだろう。華焔があの日失った人は、幼いながらにも〝愛した人〟であった。愛した人を自らの手で殺した(と認識してしまった)少年が、その自責から逃れるために自らに課したことは、論法を捻じ曲げ「愛した人が死んでしまう」と変容し、時間をかけて定着した結果、人を愛するという感情、つまり〝恋愛感情〟そのものを放棄するに至った。
「あ・・・大丈夫ですよ?確かに今でも恋愛感情ってのは判りませんけど、ちゃんと生きてますから。他の感情ならちゃんとありますし・・・だから、そんな顔しなくていいんですよ」
そんな顔と言われて、タイミング良く鏡があることなど滅多にない。それでも孝輔と秋穂にとって幸運だったのは、その顔をしていたのが2人だったことだ。2人は互いにゆっくりと首を動かし、まるでそうなるように作られたカラクリかのように〝そんな顔〟の正体を相手に見た。相手の表情を見たことで、自分がどんな表情をしているのかに気付いた孝輔と秋穂は、まるで驚かされたかのようにビクリと身体全体を震わせ、次いで華焔に視線を戻した。その時に浮かべていた表情が悲哀だったことは致し方無い。
「辛いわね・・・あ、ううん、華焔ちゃんがってイミじゃなくて、私が、なんだけども」
その言葉を聞いた華焔の脳裏には、人数は少ないがこれまでにこの話をした相手のことを思い出された。その記憶の中では誰もが「かわいそうに」や「ごめんね」と言っていたことに比べ、秋穂が真正面から〝聞かされて〟辛いと言ったことに驚いた。
「そうだね・・・いくら華焔くんがその過去をある程度乗り越えていたとしても、その経験をしたキミに掛けるべき言葉を持たない僕たちだからね」
華焔は続けざまに驚いた。こんな話を聞かされればイヤでも心は沈む。どうあがいても押し寄せて来るのは〝哀れみ〟に類する感情だろうはずなのに、孝輔の言葉から読み取れる感情はソレではなかったからだ。
まだ互いに知り合って2カ月と経っていない。それでも孝輔と秋穂が向けて来る好感というものが、寒い冬場に心地いい暖かさを与えてくれる。そんなことを朧げに考えていた華焔は、手に暖かなものを感じた。その温もりに視線を落とせば、秋色の頭を撫でていた手を、それほど姿勢を変えずに首の角度だけを変えた秋色がしきりに舐めていた。
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