第5話 愛しても恋しても

 何処に。何処へ行ったんだ、考えろ。早く見つけないとアイツは――

 気ばかりが焦って地下洞窟の入口前をグルグルと歩き回る。まだ夕暮れ前だというのに、いつもより暗くなり始めた空が憎たらしい。


「ああッ、さっぱり分からん!」

 欲しいものがあると言っていた。自分で取らなきゃ意味がない? だからって、外にしかないと言われて誰が許すかそんなこと。


 今ほど自分が純血種ヴァンパイアでないことを悔いたことはない。なり損ないヴァンデッドなんて、ちょっと腐りやすい不老で、ちょっと五感が鋭くて、ちょっと力が強いだけじゃないか。あれほどの嗅覚があれば。空を飛ぶ能力があれば!

 とにかく、主のことが恨めしい。いったい俺が何のために血を受け入れたと思ってるんだ。


「何の、ため?」


 ふいによぎった思考に足を止める。主は言っていた。生前の記憶は、大事なものほど厳重に封をされているだけで忘れるはずがないと。どうしても開けられなかった鍵が今になって外れかかっているのなら、彼女に繋がる手がかりがそこにあるのかもしれない。


 思い出せ。ほんの少しでもいい。掴んで離すな。たぐり寄せろ。

 粘り強く考えていると、真っ暗でぐちゃぐちゃした思考の真ん中に、久しく会っていない主が現れた。


『いいね。やっと生きてるのが楽しくなってきたかい?』


 銀髪から覗く、細まった金の瞳。俺には向くことのなかった笑みを浮かべて、脳裏の彼はうそぶく。そんなことどうだっていい。そう一蹴するとあっさり姿をくらまして、代わりに小さく白い光が灯った。そこに意識を集中させればそれは花になり、徐々に周囲のモヤが晴れ、それを手にして微笑む何者かが見えてきた。


『カモミールよ。〝逆境に耐える〟って花言葉もあるけど、〝あなたを癒す〟のほうが私は好き。だって、ジャックったら怪我してばかりなんだもの』


 少しだけ照れながらはにかむこの少女を、俺は知っている。知っていた。一度死してなお俺を生かし続けていたのは彼女だというのに、そんなことも忘れて俺は――


 頬を殴る。今は後悔に浸っている場合じゃない。よく考えろ。同じではなくても、似た花をどこかで見たおぼえがある。蘇って以来、花に目をやるようになったのは彼女を買ってからだ。いったいいつ、どこで?


――ふもとの湖。


 思い至ると同時に駆けだす。此処に引っ越すとき、近くを通ったのを覚えていたのだろう。今思えば、しきりに振り返っていた気がする。この高台の開けた場所からなら、きっと見えたはずだ。

 ふさぎ込んだままの彼女を一度だけ連れ出した場所。そこで嬉しそうに摘んでいた花は窓辺に飾るも一夜で枯れてしまったが、その短時間だけでも楽しみたかったのかもしれない。


 もうすぐ湖というところで、見知った匂いを嗅ぎつけた。ケモノ臭さも混じっていることに焦りつつそちらへ行けば、随分と争っただろう爪痕の中心近くで小蜘蛛スライを見つけた。

 手ですくい上げ、息が在るのを確認してから揺さぶる。


「おい、アイツはどうした?」

『イトの、さき……』

「よくやった。今は休め」


 礼を言ってスライをポケットに忍ばせ、言われたとおり糸をたどる。途中で糸は切れていたが、嗅ぎ慣れた血の匂いを拾うには十分な距離まで詰め寄れたらしい。ただ、獣人どものそれよりも濃く感じられるということは、安堵していられるほどの出血量ではなさそうだ。


 なにごとか言い争っている獣人どもを捉え、その近くに伏しているニンゲンをみとめて頭に血がのぼる。勢いのまま飛びかかり、二匹まとめて組み敷いた。


「彼女に何をしたッ!」

「まだどうもしてねぇ! 勝手に倒れたんだ」

「そっちこそ何したんだよ。あのヴァンデッドさまが大事に飼ってるって有名だったのに、死に掛けてるじゃねぇか」


 その言葉に我に返る。こんな奴らより今は彼女だ。

 裂かれた服が血まみれで焦ったが、よく見れば確かに外傷は無い。微かな震えを感じて外套がいとうくるむ。弱々しい呼吸を見るに、この獣人どもの毒息くさいいきを浴びたのだろう。


 アマンダが摘んできた今日の分の薬草をみ崩し、水を含み足してそのまま口移しで飲ませる。無意識であっても彼女が顔をしかめて、少しだけホッとした。茶にする分にはそうでもないが、この薬草の葉はそれほどに苦いのだ。


「そんなんで良くなんのか?」

「オマエらには関係ない」

「冷たいねーぇ。拾ってやったんだから指の一本も駄賃に――」


 一閃、振り向きざまに爪を走らせる。絡んできた茶色の獣人が鼻を押さえてキャンキャンわめくよりわずかに早く、黄色の獣人が俺の片腕を噛みちぎっていくのを見た。

「所詮はヴァンデッド。腐った味しかしねぇな」

 プッと吐き出された右前腕ぜんわんは唾液でテラテラしていて、拾う気にもならない。


 深く、深く息を吐く。一度はひるんだ茶色の獣人も持ち直して、種の固有語でまくし立てた。ひどい興奮の仕方で全く聞き取れないが、おおかた汚くののしっているのだろう。

 時間に猶予はない。あの薬草でどうにかできるのは神経毒だけだ。命むしばむ毒に効果がないことは、薬茶にして飲ませてきて分かっている。


 キイ。耳に届いた声に右足を引いて半身の姿勢を取れば、できた死角をスライが伝い降りていく。お互い、守りたいものをシッカリ守れなかったなりに突き通したい意地があった。


「オマエらの舌はさぞかし肥えてるんだな。同族の味を知らないらしい」

「……最近の獣人殺しはテメェか」

「別に好き好んでそうしてるわけじゃないさ。かかる火の粉は払うものだろう?」

「だとしても、〈不殺ころさずの誓い〉を破っていいわけじゃねぇよな。それも吸血鬼おえらいさん直属の眷属がよぉ」


 主の事情など知るものか。たとえ知っていたとしても、棄てられた身で守ってやる義理もない。


「次から次へと湧いて出てくるオマエらが悪い。ただのアンデッドに関しては俺も同意するが、ヴァンデッドも素材扱いしてくるんじゃ返り討ちにするしかないだろ」

 何より、今となっては〈誓い〉の対象にニンゲンが入っていないことも気に食わなかった。


 黄色の獣人が鼻で笑う。公の場ならまだしも、それ以外でもキッチリ守っている奴などいないからだろう。要はお互い様なのだ。


「1つ聞く。この辺りでオレよりデカイ奴を見なかったか?」

「なんだ知り合いか。確か半月くらい前かな、とてもいい腕だったよ」

「だろう? オマエ、よく逃げ切れたなぁ」


 同情が混じった蔑みに、今度は俺が鼻で笑ってみせる。


「ああ、気付かないなんて薄情な奴だな。それとも鼻が利かないだけなのか?」

 獣人の足許に転がる右腕を指さして続けた。

「毛は剃って使わせてもらったんだ――黒は嫌いでね」


 やっと理解した黄色の獣人が咆哮ほうこうを上げた。全身の毛は尻尾の先まで刺さりそうなほどに逆立ち、ギラつく目が迫る。


「おや、肉親か何かだったかな?」

「ダマレ!」


 くりだされる乱撃をかわし続ける。怒りで力の入り方も雑になっているようだが、受けようものなら縫ったばかりの左腕も持っていかれるに違いない。

 蹴りを一つ見舞い、距離をとる。すかさず茶色が飛びかかってくるが、こちらは力も速さも全然だ。鼻っ柱に肘を見舞って返り討ちにする。


「オマエはすっこんでろ役立たずが!」


 怒りの矛先がブレたその一瞬の隙を突いて、俺は〝右腕〟を振るう。スライが結びつけた蜘蛛糸に引き寄せられ、狙い通り心臓を貫いた右手が獣人の胸で花ひらいた。


「それ、けっこう気に入ってたのになぁ」

「キ…サマ……」

「オマエの大事なモノだったんなら返すよ。『悪かったな』とは言わないがね」


 重たい体が地に沈む。殴り飛ばされたまま成り行きを見ていた茶色の獣人が、情けない声を上げて走り去った。逃げ足の速さで有名な毛色だけあって、すぐに見えなくなる。

 他に危険な気配がないのを瞬時に確かめて、ニンゲンに駆け寄った。


「おい、しっかりしろニンゲン!」

 手を取り、何度も呼びかける。薄くひらいた目はまだ少しうつろだが、指先はゆるく握り返した。


「そうだ、戻ってこい。また失うなんて俺はゴメンだ。まだ一緒に居てほしい――愛してるんだ」


 初めて伝えた気持ちに、血濡れの口許が笑む。けれど彼女ははかなげに首を振るだけだった。

 分かっていた答えだが胸にチクリと刺さる。説得して気持ちを変えさせようにも、今はとにかく時間が足りなかった。


 事切れた黄色の獣人から右腕を切り取り、スライの糸で手早く仮縫かりぬう。戦うには支障あっても、華奢なニンゲン一人運ぶくらいならこれで事足りる。

 彼女を抱えて前の住処へと急ぐ道行き、スライが俺の分まで健気に声をかけ続ける。励ましと願い、懺悔ざんげと祈り、憤怒に悔悟かいごに恋慕。いろんな気持ちがとめどなく湧き、湧いた先からこぼれていった。


 出迎えたアマンダは顔を突き合わすなり察したらしく、何も言わずに俺の頬を引っぱたいてすぐ彼女を受け取ってくれた。


 一足先に奥の部屋へ駆け込み、理論上は単独でも再凍結可能になった〈時間凍結容器タイムカプセル〉の起動準備を始める。

 こんな事態のための備えではなかった。「もしも」さえ、少なくともまだ先のことだと思っていた。単にそう信じたかっただけに過ぎないが、こうして現実になっても、ふいに目が覚めて「悪夢でよかった」と胸を撫で下ろせるんじゃないかと淡い期待をしている。


 気まぐれに買ったつもりだった。でもそうじゃなかった。思い出せなくても君だと分かったから、誰にも渡したくなかったんだ。

 早くに思い出せたなら、もっと、もっと良くしてやれたんじゃないかと、更なる後悔が心を折りに来る。だが、ここで折れてしまったら後悔で済まないことくらい明白で、愚直に着々と準備を進める。


 アマンダが遅れてやってきて、俺の外套ごと彼女を容器に寝かせた。隙間につつみを差し入れ、前祝いさとその頭を撫でる。


「お前が今すべきは、名付け親とともに眠ることなのかい?」

 母の言葉に、付き添ったままのスライがビクリとする。俺はそれでもいいと思っていたが、考え直したのかニンゲンに頬ずりしてから無言のまま肩に飛んできた。


「必ず。世界を変えてでも必ず救ってみせるから。そのときまでゆっくりお休み」

 今からでも血を飲ませてしまいたくなりそうで、俺は触れずにタイムカプセルを起動させた。


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