第4話 いつかの備えと大蜘蛛と

 古巣のドアを2回、3回、4回に分けてノックする。すかさず返るノック音3回に4回ノックで応えると、重そうな物音が続いたあとで取っ手のないドアが内側に少し開いた。

 顔をのぞかせた大きな子蜘蛛が鳴く。


『かかさま、でかけてるよ』

「そうか。なら遠慮なく作業できるな」


 手土産を入れた袋を留守番役の子に渡し、今のうちにつまみ食いしてしまえと入れ知恵する。キキイと鳴いて身をよじるのを見て、その勤勉さに脚をなでた。


 ドアのバリケード組みを任せて地下室へ向かう。長い石段を下りきった先の分厚いドアを押し開けると、ひんやりした空気がまとわりついた。元は主の寝室だった此処は、温度・湿度の低さを利用して食糧庫として使っている。

 天井に張り巡らされた蜘蛛の巣から等間隔に垂れ下がる保管物。今日はどれにしようかと眺めればその内の一つが動いた。歩み寄り、眼前で足を止める。それはうめき声を上げ小刻みに首を振り続けていた。


「ずいぶん活きがいいねぇ。味はともかく、これは絞りがいがありそうだ」


 体毛は柔らかいようだから、口をふさぐ蜘蛛糸から飛び出しているうっとうしいヒゲだけを爪で削いでいく。噛みつきの心配はないし頭突きやツツキも大して威力が出ないから構わないのだが、刺さったヒゲはあとあとこの身がいたむ原因になるのだ。


 続けて、蜘蛛糸の巻かれていない首の付け根も毛を剃る。それも終えたら保管物をくるりと逆さにして、暴れるのも気にせず俺は噛みついた。ニンゲン相手のときとは違い、遠慮も気遣いも必要のない食事。自身の全身に行き渡るよう勢いよく、けれど音は立てずに吸い続ける。何も出なくなるところまで吸い尽くすと肉の味が落ちてしまうらしいから、痙攣けいれんし始めた頃にやめた。


「ごちそうさん。残りは骨まで大事に食べるから、未練なく来世にでも行くんだな」


 血抜きを兼ねた食事のあとは忘れずに毛皮をいでおく。かなり面倒な作業だが、これをやっておかないと後々起こる更なる面倒を思うとこちらのほうが断然マシなので黙々とこなす。

 続く解体作業は俺の役割じゃないから、今日の食材手入れはここまで。地下室から戻り、ドア番とは別の子蜘蛛に吊り下げ保管を頼んだ。




 今度は1階奥の部屋に移動する。こっちは、元・俺の寝室だ。タイムカプセル改造の邪魔にならないようにと家具類は全て撤去しているから、本来は手狭だがそこそこ広い。


 出したままだった工具類を片付け、黒点に触れてテスト運転の経過を見る。中で眠る野ウサギのケガに変化はナシ。凍結してから半月になる今日は解凍も試してみよう。

 物好きな主を持ってよかった。そうでなければ、改造だなんてことは成し得なかったろう。蜘蛛たちの助けでカプセルの資料をコレクターたちから拝借できたのも幸運だった。


『ほら、生きてるって楽しいだろう?』

 主の口癖が脳裏に響いて、そうでもないさとあしらう。いつまでこの幸運が続くか分からないのに、楽しいかどうかなんて考えていられるものか。


 小柄な野ウサギを選んだから解凍時間は短く済むだろう。ニンゲンの時は完全解凍まで半日はかかった。

 あの日、カプセルの蓋が開いてすぐに目を覚ましたニンゲンは、何を認めるでもなく泣き叫んだ。赤毛をぐしゃぐしゃに掻き乱し、落ち着かせようと手を伸ばせば全て弾かれる。やっと落ちついたと思えば、今度は俺を認めるなり悲鳴を上げ、部屋のすみでうずくまり同じ言葉を繰り返していたっけ。用意していた服を置いて、部屋の外で気長に待ったのを覚えている。

 今との言葉のズレを埋める中で知ったが、呪詛のようにつぶやいていたのは「助けて」と「ごめんなさい」だった。救いを求める気持ちは分かるが、なぜ謝っているのかは今でも分からずじまいだ。


 数刻かけて覚醒した野ウサギは、ひと鳴きして部屋の中を逃げ惑ったあとで息絶えた。治癒なんてそんな便利な機能は付いてないのだから、そこは問題ない。凍結中に死んでいないことが重要なのだ。


「よし、大丈夫そうだな。あとはなるべく元気な内に凍結させる方法でも考えないと……」


 口では理想論を言いつつ、緊急事態にしか使えないだろうことも当然覚悟しておく。あとは解凍後に的確な処置をできるかどうかだ。




 後処理を済ませてエントランスに戻ると、現・やかたの主人が居た。上着を持った子蜘蛛を見るに、帰ってきたばかりらしい。


「おや。今日もあの子は留守番かい」

「連れてくるわけないだろうが。せっかく引っ越したってのに」


 何度繰り返したか分からないお決まりのやりとり。だが、そんなごとも互いの無事を楽しみつつ確かめるには丁度いい。


 上半身がヒト型で、その下は蜘蛛の腹。紫がかった長い黒髪と、メリハリの利いたタイトな服装が妖艶さを一層引き立たせている。獣人には無いその雰囲気も、化生けしょうの類いだからだとすれば合点がてんがいく。


「そろそろまた新しい服が必要なんじゃないかい? なんなら前みたいに採寸もしたいところだけど、あんまり長く空けるわけにもいかなくてねぇ」


 蜘蛛が値踏みするように俺の周りを歩き始める。


「最近ここいらにも獣人連中が来るようになったんだよ。アンタ、何か心当たりないかい?」

「さてねぇ。サッパリだよ」

「ふうん。じゃあそういうことにしておくさ。ところで、何かお忘れじゃあないかい?」

「はいはい。〝おかえりなさいませ、アマンダさま〟」


 言ってからうやうやしくこうべを垂れれば、女主人は満足げに笑った。見た目こそほがらかだが、その内心はけっこう下卑げびている。


「お前、ホントそういうとこだぞ」

「いいじゃなーい、くしてあげてるんだからそのくらいのご褒美」


 軽口を叩きながら髪をもてあそぶアマンダを見て、ニンゲンも長ければなぁと思う。今でこそ肩ほどだが、アマンダに髪をくれてやるまでは同じくらい長かった。取り引きなんてしなくてもどうせ衣類づくりは趣味でやっているのだから、返せるものなら返してほしい。あれから伸びなくなっているからなおのこと。

 考えていることが顔にでも出てしまったのか、子蜘蛛ともどもあわれみただよう目を向けられた。


「はいこれ、追加の〈糸〉とモロモロ」

「ありがとう。お礼はいつもより上物の肉さ」

「アンタもそういうところよ。短命相手に入れ込むとあとでツライっていうのに……ナイト気取りもほどほどになさい。アンタに何かあったらあの子、きっと悲しむわよ」


 心からそう思っているかは測りかねる。もしそうなったなら俺の代わりにニンゲンの保護はしてくれるだろうが、死にたがりのアイツを着せ替え人形にするだけで終わるという保証はない。


「……いや。生きるのに少し困るだけさ」


 仮に俺が居なくなったとして、それで今よりほんのちょっぴりでも強く生きてくれるというなら死すら本望だ。今のままどんなにサポートしたところで、本人が願わなければ何も変わらないのだから。

 差し出されたものを受け取り、しんみりした思考を一旦振り払った。


「それじゃあ、肉の解体とカプセルの護衛よろしく」



      *



『やめて』と少女はあらがった。何度も、何度でも叫んだ。痛めつけられても、余計に手酷いはずかしめを受けることになっても。

 返さなくてもいいと知ったから。返らなくても与えたい人に出会えたから。応えなければ与え続けてもらえないなんて、そんなの愛なんかじゃない。気付いたのは、ただそれだけのことだった。


 少女は、父だった何かから逃げ出した。事情を知った庭師の彼は、屋敷から少女を連れ出してくれた。

 子どもと大人の境界は、どう線引かれているのだろう? 交われば大人なのだとしたら、愛に飢えた子どもは居ないはず。愛を理解したら大人なら、奪われるだけの子どもは居ないはず。


『いやよ、やめて! 死んじゃう!』

 今さら後悔して、言われるまま自分が悪かったと認めたところで、血溜まりをつくる彼の傷がふさがりはしない。少女わたしが愛したために死んでしまうなら、こんな心も、命にさえも価値なんてないのに。




「あの変人ヴァンデッドがニンゲンにご執心しゅうしんって話、ホントだったみたいだな」

「いいよな。血さえありゃ生きられる連中はよぉ」


 浅い眠りから覚めて声を聞く。得体の知れない煙を吐きかけられただけなのに、息苦しくて目が霞む。

 一人で出るべきじゃなかった。バケモノの居ない間に目が覚めるよう薬茶の量を減らしてまで外へ出たのは、こんな奴らに喰われるためじゃない。


 情けなくて涙が浮かぶ。こうもあっさり捕まるだなんて、多少鍛えたところでヒトとソレの作りは根本から違うという認識が足りなかった。体力も筋力も、地の利さえ持ってないくせに、どうして何とかなるだなんて思えたのか。


「ここまで来ればいいだろ」


 揺れが止まって下ろされたかと思えば、両腕を掴んで地面に立たされた。ビリビリと紙をやぶくように容易く服を裂かれる。抵抗しようにも体が痺れて指先1つ動かせなくて、せめて声をと思うが、喉がヒューヒュー鳴るだけでうまく音にならなかった。


「ふーん。噛み跡がある以外は状態もそこまで悪くないし、拾い物の中じゃあ、かなりの上物だな」

「スンスン……これでヴァンデッド臭が無けりゃ、もっと高値で売れたんでしょうねぇ」

「小さいの1つずつくらいは豪勢に喰えたかもな」


 売る? すぐ喰べるわけじゃないのか。

 バケモノから今の世界の話――特にニンゲンがどう扱われているのか聞いた記憶をたぐり寄せる。食用でないなら愛玩か繁殖用か。そんなことに使われるくらいなら、いっそひと思いに喰われたほうがマシだ。


 嫌悪感とは無関係に、むせて血を吐く。いつもと違い、今回はボタボタと赤が込み上げて止まらない。痛みの無いことだけがせめてもの救いか。

 投げるように手放され、地に身を打ち付けた。


「うわっ、キッタネェ!」

「なんだよ、死に掛けてんじゃねぇか。もったいねぇし、喰っちまおうぜ」

「待てよ、腹壊しちまうかもだって」


 言い合う声が遠ざかっていく。死ぬ。やっと死ねるんだ。はずかしめを受けることなく、喰われるよりも早く。

 乾いた喜びの反面で気がかりなのはバケモノのことだ。突然居なくなった私を探すだろうか、見つけられなくて悲しむだろうか。それでも私は、差し伸べられた彼の手を取ることはできない。人喰いになってまで生きる価値など、私にはないのだから。


『――――――』

 微かに震えるだけの唇で、愛していた少年の名を呼んだ。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る