第2話 生きにくいセカイでも

「はい、おしまい」


 両肩をぽんと叩かれ、軽い眠りから浮上する。縫い合わせてもらった左腕をグルリと回し、指先を複雑に曲げ伸ばし、各指先に爪を立てて触覚の通りも確認。特に異状はないようで、縫い目のほうも細かく丁寧なものだった。


「ああ、良い出来だ。ありがとう」

「お礼に名前、教えてくれていいのよ?」

「感謝はするが、好きでやっているのではなかったかな? ニンゲン」

「ここまでお裁縫うまくなってもダメなんて、ケチよねバケモノさん」


 確かに。何かさせようと初めて縫わせてみた日から比べると、早さも的確さも大した熟練度だ。だがそれを、名前で呼び合っていい理由にはできない。

 俺が話をすり替える前に、向こうから話題を変えた。


「今まで、こんな頻繁ひんぱんにつけ替えることなかったよね。しかも手足ばっかり」

「ちょっと厄介な絡まれ方をするようになってな。あいつらも、狩り場に入ってこなければいいものを……」

「耳が良すぎるのも大変ね。気が休まらないもの」


 いきどおる俺の背をニンゲンがなでる。じんわり広がる熱がやけに心地よくて再び目を閉じた。


 解凍してからの日々を思うと、多少なりと胸が熱くなる。あの日の暴れ方といい、俺を認識しての取り乱し方といい、互いの言葉のズレを少しずつ埋めながらこの時代の常識を教える作業といい。どれも俺からしてみれば楽しいものだったしニンゲンも今ではよく笑う。

 だが、その心根の部分に巣食う闇の色は、薄まるどころか濃くなっているように思えてならなかった。


 ニンゲンが笑うようになったのは、前の住処から程近い湖畔に行ってからだろうか。女はみんな花が好き、だなどと〈蜘蛛〉に言われて連れて行ったあのときの目の輝きようは良かった。摘んで帰った花が翌朝には枯れてしまったことをとても悲しんでいたから、二度は行かなかったが。


「ねぇ、バケモノも飲むでしょ?」


 いつの間に移動したのか、茶器をコンと鳴らしてそんなことを言う。習慣にした覚えはないが、こうもりずに毎度楽しそうに聞かれては断わりにくくて、最近はなるべく素っ気なく「ああ」と曖昧に返してばかりだ。


 解凍前は「生きているのに生きられない」と称したが、実際は生への執着が希薄な〝死にたがり〟。他人の心配はするくせに、コイツは自分をないがしろにする。しっかり飲み食いさせてはいても血の生成は早くないし、月に数日の出血もあるというのにそれすら気にも留めず吸血させようとするから叱りつけたこともあるほどだ。


 そもそも、ニンゲンたちが短命なのは何故だろう? 体の造りは決して頑丈ではないし、身体能力もさして優れてはいない。だから、そもそもの寿命がそうだと言うならば致し方ない。だが、集めた飼育情報を眺めるにどうやら命むしばむ何かがあるようだ。

 その原因が環境――主に「空気」に在るらしいことまではどうにか掴めたものの、どうすれば延命に繋げられるのかという部分は全く見えてこなかった。


 コイツも詳しいことは知らないと言う。自身が眠っていた容器の名も用途も知らなかった点だけは少し気になるが。


『そんなの、調べるだけムダだと思うが……旦那の頼みじゃ仕方ねぇ』


 他のニンゲンにも話を聞ければと、あれから仲の良くなったニンゲン屋のトカゲから買取先を聞き出して回ってもみたが、どこのも怯えきって口を開かないかコワレテいて何も得られなかった。仮に正気のニンゲンが居たとして、腐肉混じりでツギハギだらけの俺を見て「安心しろ」というほうがどうかしているか。


 ニンゲンのものであった世界は、一度滅びている。その発端もニンゲンで、生き残ったのは環境に適応し進化した獣人だの幻想種だのの〈亜人〉と、〈時間タイム凍結器カプセル〉で眠りについた一部のニンゲンたちだけ。アンデッドは、まぁ……その〝一部〟からこぼれて死んだ奴らがなったものだから、生き残ったとは言えないか。しかも、肉が残っているのはきっと俺だけだ。


 自身が生きられないほどに空気を汚染したくせに浄化は時間頼みとは、技術の進歩する方向を誤っている気がする。そんなだから、半端に使われるばかりでほとんど朽ちていったんだ。

 今は凍結から四百年と少しくらいか。こよみも一度失われたが、熱心な亜人が広め直したからそれほど誤差はないだろう。残念ながら、月日だけでは浄化はあまり進んでいないようだ。


 乾いた咳が聞こえて、感覚だけでニンゲンを見やる。本人は茶葉の香りで隠しているつもりのようだが、咳き込むたびに少量の血を吐いていることくらい俺にだって嗅ぎ分けられる。


 体内の毒素を浄化できないか、考えつく限りいろいろ試した。汚染度の低い薬草を煎じて飲ませる、吐かせる、高地で獲った食料を与える、逆に深海生物を釣って与える。少しでも空気や水の綺麗な環境で過ごしてみたらと、こうして引っ越してみたりもした。

 効果のほどは顔色や体調観察の他、吸血でも確認している。どれも回復のきざしはなかったものの、進行を遅らせることはできていたようで、同時期に解凍されたどのニンゲンも死んでいるのにコイツだけはまだ生きている。


 近づく死期を遠ざけるすべは持たないが、止める方法は一つだけあった。


「本当に飲まないのか? 俺はいつでも首を切るぞ」

「やめてよ。せっかくのお茶が美味しくなくなっちゃう」


 べぇっと舌を出して彼女は抗議する。


 切るといっても、切り落とすわけではない。死後に吸血鬼化したために、腐食が進んだ部位の定期新調を要するいびつな身といえど、さすがに頭だけでは長く生きていられない。

 なるべく心臓に近い部位から血を流すことが目的だから、首筋でスラリと刃を引くだけでいい。半分死んでいるから血が噴き出す心配もないのだが、その点についても納得してもらえなかった。


 その血を飲んだ者はヴァンパイアと化し、悠久の時間ときを得る。試したことはないが、亜種であるこのヴァンデッドの血も例外なく有効だとあるじからは聞いている。


「生きてればいつかは死ぬんだし、いいんだよ」


 ヒト喰いになんてなりたくない。そうこぼしたのは初めの一度だけで、あとはいつもこの諦観ていかんの言葉で終わる。

 眼差しがどこか遠くなるたび、コイツは死にたがっているのだと感じる。他のニンゲンたちは、踏みにじられてもコワレテも生きようと足掻いているのに。


 解凍したばかりのころは確かに、その瞳に生への執着心が宿っていた。それが今はどうして、死を見つめる時間が増えているのだろう? ヴァンデッドとして生きた年月に比べればたかだか少しを共に過ごしただけだが、その間にそこそこ湧いた親愛の情をハッキリと伝えたら、少しは生きたいと願ってくれるだろうか。


 ねぇ、とまた呼びかけられる。応えてもなかなか続く言葉が返らないので視線をやれば、用意された一人分の茶器に視線を落としたままニンゲンはぼそりと呟いた。


「……欲しいものがあるの」

「なんだ?」

「外にしかない物なの。取りに行ってもいい?」

「ダメだ」

「どうして? 前はよく連れ出してくれたじゃない」


 顔を上げ、俺を見つめる。怒っているのでも悲しんでいるのでもなく、ただ純粋に疑問に思ったのだろう。まっすぐでキレイ過ぎて、痛くて目を逸らしたくなる。だがここで不審がられるわけにもいかない。


「冷んやりジメジメしたところのほうが俺は落ち着くんだよ」

「地下室があったじゃない」

「あそこは湿気が少ないんだよ」

「なら水でも撒けばいいでしょ?」

「ダメだ。窓もないのにそんなことしたら俺より先に部屋が腐る」


 まだ生きている珍しさから他の亜人たちに目をつけられている。その露払いに俺は奔走してるというのに、遠出などさせられるものか。従者としてつけた小蜘蛛からの提案で洞窟周辺を出歩くくらいは許可したが、たとえ俺が一緒でも守りきれる自信はない。


 しばし見つめ合った末に、向こうが折れた。普段に比べてしおらしい態度が珍しくてご機嫌取りに「俺が取ってくるぞ?」と問えば、「自分で手に入れなきゃ意味ないの」と来た。最終的に自分のものになるなら同じだろうに――ニンゲンの考えることはイマイチ分からない。


 解凍してからもう一年になるが、コイツ自身についてもそれほど知ってはいない。背が伸びた。髪も伸びた。胸の膨らみが大きくなった。そういう外見のことばかりで、体年齢は十七歳、というのが持てる情報のせいぜいだ。


「はい。どうぞ召し上がれ」


 いつの間にティータイムを終えたのか、長椅子に腰掛け、胸元までシャツを開けて俺を呼ぶ。少しはつつしみを持てと言っているのだが、どうにも聞き入れてはくれないようだ。

 きかけた溜め息を飲み込み、足を投げ出して座るニンゲンにまたがる。しなる腰と華奢きゃしゃな背にしっかりと腕を回して、しぶしぶ左胸に牙を立てた。


「んっ」


 肩を掴む力が強まる。痛み止めの薬茶を飲んだとはいえ、痛いものは痛いのだろう。噛むときばかりはどうしようもないとして、せめてゆるやかに血を吸い上げる。

 高級食材なだけあって、そこらで狩ったケモノよりも格段に美味しい。甘さに酔いしれて飲み干してしまいたくなるが、あくまで冷静に加減に気を配る。


 喰われるよりはマシとでも考えたのだろうか。初めは、今この地に根付いている者たちと何処が異なるのかを調べる為に口にした。その後も調査目的でときどき飲んでいただけで、常習性のある嗜好品の類いを飲み続ける気はなかったのだが、何を思ったのか向こうから吸血をい始めるとは思いもよらなかった。


 高台の地下深くに越したこと自体にも効果があったが、どうやら俺が飲むことでも血中毒素はいくぶんか薄まっているようだった。毎日は無理でも乞われたときは極力吸うし、そうでないときは調査と称して定期的に飲むようにしている。

 原因は取り除けなくとも、これで毒の回りがゆるやかになっているのは確かなのだ。


 けれど、死にたがりのコイツにそういった事実を伝える気はないし、悟らせるつもりもない。遅いか早いかの差こそあれ、何をしようと死へ向かい刻々と進んでいくことには変わりないし、伝えたことで避けられでもしたら、少しでも長く生きてほしい俺が困る。


 肩を掴んでいた手がすべり落ちた。一時いっときの眠りに沈んだ彼女をそのまま横たえ、そのひたいうやうやしく口付ける。命むしばむ呪いがそれで解けるわけなどないが、不思議とそうせずにも居られなかった。


「おやすみ、ニンゲン」


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