カイトウシナイデ

あずま八重

第1話 変人のきまぐれ

 人のまばらな通りをフラフラと彷徨さまよう。初めて来る場所のような、見慣れた場所のような。記憶は相変わらずボンヤリしていて判断できないが、そのわりにこうして思考だけはシッカリしているのだから、なんとも器用な体だ。

 引きずり歩く足がもつれて地に倒れ込む。亜人の誰もが俺を避けて歩く中、ただ一人駆け寄ってきた気配が俺を足蹴あしげにした。


「うちの前で何してやがる! 早く消えろよ、〈アンデッド〉が!」


 ――またか。どいつもこいつも。

 首をもたげて相手の顔を見る。その男は一瞬だけ怯むような顔をし、舌打ちを漏らして背を向けた。立ち上がり、うつろな気持ちで見送る。男が入っていった廃墟には白い容器がいくつも立ち並んでいた。アレがあるということは、どうやらここは〈ニンゲン屋〉らしい。


 鳥の卵を少し平たくしたような形。その白い保存容器は、入れたものの時間を止めるそうだ。生き延びるためにニンゲン自身が作り、長いこと眠っているとかなんとか耳にしたことがある。今や目覚めるときは喰われるときなのだから、皮肉にもおりひつぎ同然と言えよう。

 仕返しをするつもりはないが、何の気ナシに店へと歩み寄った。


「掘り出しものだと思ったんだがなぁ。まさか全く見向きもされないとは……」


 ボソリと呟かれたそんな言葉を耳が拾う。

 男が触れている容器だけ外殻が透けてあらわになっていた。中身は、何も身にまとっていないニンゲン。目を奪われたのは、ただその珍しさからだろうか。


 どの容器のも服は着ている。覗く肌にもこれといった異状はない。でも、あのニンゲンの体はアザだらけで、身が透きとおるような淡い色のせいか余計に目立っている。それでも高級食材であることに変わりはないが、服飾をコレクションしている者も多いからこそ、そういった物珍しさだけでは売れないのだろう。


 死んでいるのに死んでいない自分と、生きているのに生きられないニンゲン。そう。どうしてか心惹かれるのは、似たものを感じているからに違いない。

「俺が買う」

 口をついて出た言葉も、きっと。


「なッ――ふん、いいだろう。何を持ってる?」

「逆に聞くが、どんなものを出せば売ってくれるんだ?」


 安易に手の内をさらすと相場以上の高値で買うことになりかねない。そもそも、先程の口ぶりからするとこのニンゲンは売れ残り。買いたたけば持ち合わせで十分間に合うだろう。

 そんな考えを見透かしたのか否か、男の差し指がスッと上がり、俺の顔で止まった。


「その紅玉ルビーの目を一つもらおうか。〈ンデッド〉さんよ」


 随分と吹っ掛けられたものだ。よほど肝が据わっていると見える。目玉をえぐり出すこと自体は容易だが、希少で価値の高い取り引き素材と知りながらくれてやるほど俺は困っていない。何より、視界が狭まってしまう不便さを代償にするのはゴメンだ。


「こんなもの何に使うんだ。あめ玉の代わりにでもする気か?」

「さあてね。それでも不老の御利益ごりやくがあるってぇんなら、形がなくなるまでねぶってやるよ」


 男が長い舌をのばしていやらしくわらう。あまりの舐めた態度に血が冷ややかに沸いた。うしろ首を掴み、こっちが舐るようネットリ言い聞かせる。


「では、払いすぎた分は体で返してもらえるのかな? そうだなぁ……まずはそのジャマな四肢を落とそうか。オマエが動き回る自由をもらうんだ。いくらのたうち回ってくれてもかまわないよ。きっと大型魚類のいい生き餌になるぞ。それに」


 ――死んでしまえば不老になれるだろう?

 吐息のかかる距離でささやき、爪の背であごをなでる。実際は相当気が弱かったのかドサリと尾が地に落ちた。


「さ――三級鉱石一掴み! それでいい!」

「いや、二級鉱石半掴みにしてやるから配達してくれ。アンデッドよりずっと頑丈だが、さすがに一人じゃ運びにくそうだからな」


 それと、と続けてトカゲ男の太い切れ尾を拾い上げる。


「これは釣り銭にもらっていくぞ。俺の目と違って、オマエのはまた生えてくるだろう?」




 目的地もなしに何日もボーッと放浪してはいるが、そんな俺にも根城の一つくらいある。どの集落からも離れた森の中に建つ、地下室付きの小さな屋敷。俺に血を与え眷属けんぞくにしたあるじが、俺ごと棄てたものだ。


『お前は生きていないからつまらん』

 だから好きに生きてみろと、別れ際に彼は言っていた。何をもって「生きている」と言えるのかは知らないが、少なくとも俺は〝死んでいないだけ〟だったのだろう。


 久しぶりの自室で物思いにふけっていると、控えめな遠吠えが響いた。どうやらお待ちかねの食材が届いたらしい。


 玄関を開け放ち、モノクロしま模様の制服を着たけむくじゃらの男たちを迎え入れる。あの男がファイアロー運送を選ぶようなバカじゃなくてよかった。あそこは速達に特化してる分〝ガワ〟が焼け焦げるのは常識で、梱包に不備があると最悪荷物が消し炭になってしまうのだ。

 その点、届くまでに時間はかかるがブラックドッグ運送はいい。荷物の大小・重さ・中身に関わらず丁寧に扱ってくれるし、頼めばこうして奥の部屋にも荷物を運んでくれる。喋りが上手くないせいか、あれこれ詮索してくることだってない。しいて難を挙げれば、よだれと残り香が少々キツイ点だろうか。


 好青年配達員三人にチップ代わりのジャーキーを与えて見送り、開封の儀を楽しむ。このときだけは、漂うケモノ臭も気にならないのだから不思議だ。

 一閃、二閃。爪を十字に走らせる。切り裂かれた梱包材の一部が弾けるように飛び散り、少しだけ中身を覗かせた。どんな香りがするだろう? その血はどんな味がするのだろう? 甘い、苦い、塩辛い、スパイシー、あるいは薄くて水っぽいのかもしれない。それに触り心地も気になるし――残りをベリベリと剥がしながら考えるのは、そんな興味ばかりだ。


 高級食材〈ニンゲン〉。煮てよし、焼いてよし。生きているから当然鮮度は抜群で、ナマで食べても大丈夫との触れ込みだ。が張るためか、飼い慣らし愛玩あいがんする者、家畜化して繁殖をこころみる者もいると聞く。どちらも長くは生きないそうだが……さて。


 梱包クズをそのままに、タマゴ型の白いひつぎを眺める。つるりとした表面に一箇所だけ描かれている黒い丸は、汚い字が踊る手元の説明書きによれば、そこに触れると中の様子が少しの間見えるらしい。

 ふわりと前面が透ける。


「なるほど。俺とほぼ同じ構造だな」


 口にしてから、当たり前かと苦笑いする。生きているうちにヴァンパイアになり損ねたせいで〈死吸血鬼ヴァンデッド〉なんてものになっただけで、俺も元はニンゲンなのに。生前のことを覚えていない理由も、きっと半分アンデッドだからなんだろう。


 毛むくじゃらの獣人とは違い、頭部だけにある長い赤毛が背中から臀部でんぶにかけて半円を描いている。ところどころ赤黒くなっているが、肌は触れば気持ち良さそうだ。膝を抱えて横たわっている状態だから細部は確認できないが、胸と股の形状が自分とは異なることを考えると、どうやら女らしい。

 興味のままたわむれに買ってしまったが、このニンゲンのどこに興味が湧いたのかはいくら考えても分からなかった。ただ、こうして顔をじっくり見ていると妙に胸がざわつく。生前に縁でもあったのか? ――いいや。そんな夢物語、ニンゲンを食い物にする〈亜人〉の時代につむがれてたまるか。


 見えなくなっては黒点に触れ、またじっくり眺める。よくよく観察して他に得られた情報は、どうやら泣いているらしいということだけだった。

 頭をかきかきうなることにき、ひとまず説明書きに目を通していく。開封手順、オススメの美味しい食べ方、この商品の略歴。そして、最後はこんな注意書きがしてある。


『このニンゲンは暴れる可能性が高いため、完全解凍せずにお召し上がりください』


 ぐしゃり。知らず手に力が入って書類を丸める。

 今まで避けてはきたが、ニンゲンは食料だ。確かに俺も血を飲んでやるつもりでいたのだが――未知の味よりも、どこからか湧く不快感の原因と興味がまさった。


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