92.申し分ない屋敷と砦ですわ

 領地に入り、農地の間を走り抜けます。領民が作業の手を止めて、帽子やスカーフを振ってくれました。どうやらアレクシス様は尊敬される領主のようですね。素晴らしいです。


 お顔が怖いと嫌厭されていたら、領民に悪夢が届くよう祈ってしまうところでしたわ。呪いではありませんの、あくまでお祈りです。妖精が叶えてくれるんですよ。


 以前、私に嫌がらせをしたご令嬢は、怖くて一人でトイレに行けなくなったそうです。ふふっ、何をされたのでしょうね。


「疲れたか?」


「いえ、思ったより速かったですわ」


 お世辞ではなく本心です。王都を抜けたら、街道が荒れていると思っておりました。シベリウス侯爵領へ避暑に赴いたことがありますが、その際は馬車が揺れて揺れて。荷物は崩れますし、私達も疲れました。距離はさほどないのに、すごく大変でしたの。


 翌年のお誘いは、ご遠慮いたしましたわ。道理でお母様が「忙しいのでご辞退しますわ」などと仰ったわけですね。理由を教えてくださったらよかったのに。


「ああ、軍事作戦に影響するため、辺境伯領への街道は最優先で整備されるんだ」


 アレクシス様のご説明に、なるほどと納得しました。やはり王都で豪邸を構える商人を締め上げて正解でしたね。これほど整備された道に荷馬車を走らせれば、辺境といえど快適でしょう。時間も早いでしょうし、品物の傷みも少ないはず。


 もっと高く買い取ってもバチは当たりません。お母様と相談して、当初の予定より買取価格を上げてもらわなくてはいけませんわ。頭の中で計算しながら、窓の外へ手を振り返しました。


 立派な街を抜けて、要塞のようなお屋敷に入ります。国王陛下のお城のような優美さはなく、ごつごつと岩を積み重ねたような。無骨で質素で、けれど頑丈そうです。


「美しくはないと思うが」


「頑丈で修理費が節約できそうですし、全体に威嚇効果が高くて好きですわ」


 アレクシス様の言葉を遮りました。だって、続くのは自虐っぽい内容でしょう? そんなの不要です。代々お役目を果たしてきた辺境伯家のお屋敷として、これ以上ない立派な砦ですもの。


 立地も申し分ありませんね。国境を示す森が目の前に迫る、まさに最前線でした。王都から走ってきて、農地が見えて街を通る。つまり、守るべきものを背後に庇い、両手を広げた形の砦が領主の館なのです。


 戦う能力の低い農民を奥へ、逃げ足の早い身軽な商人は近くへ。緊急時の支援や食糧調達も容易で、文句のつけようがありませんでした。


 興奮して捲し立てる私を促し、アレクシス様は屋敷に入っていきます。騎士達も砦で暮らしていると説明を受け、様々な仕掛けも見せていただきました。吊り橋や吊り格子は話で聞いていましたが、初めて実物を目にしました。


「ヴィーが嫌でないなら、問題はないな」


「いいえ……アレクシス様。大事な問題がございます」


 夫婦の寝室をぐるりと見回し、私は大きな息を吐きました。なんということでしょう。


「何が?」


「ベッドが小さすぎます。お忘れですか? アレクシス様は閨の時に……もごっ、むぐぅ」


「それ以上は言うな、わかった。買い替える!」


 激しすぎてベッドから落ちてしまいますと告げる前に、口を塞がれてしまいました。でも大きなベッドを購入していただけるなら、安心ですわね。

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