29.ドレスが欲しかっただけなのですが

「ああ、愛しの妖精姫。あなたにこんな乱暴はしたくなかったのに」


 縛られた私はもごもごと文句を言いますが、それも猿轡に吸い込まれていきました。なんという失態! ちょっとドレスを買おうとしただけなのですが。


 始まりは公爵家の頃と同じように、衣装屋を呼んだことでした。残念ながら辺境伯家御用達のお店が私の趣味に合わず、いつも利用するお店に連絡を入れます。ここまでは問題なかったのです。


 今度のお兄様の結婚式は、上位貴族がこぞって参加予定でした。そのため、新しいドレスを仕立てる貴族も多く、お針子さん達は忙しく。私は簡単に口にしてしまいました。こちらから出向きます、と。


 婚約して安心していたのでしょう。これが油断なのですね。


 アントンに馬車を用意させ、二名の騎士を付けて外出しました。王城でもお屋敷でもない外は久しぶりです。ごとごと揺られるうちに、うっかり居眠りをしました。馬車の止まる気配で目が覚めたら、見知らぬ方が扉を開けていて。


 驚いて悲鳴をあげたら、口を押さえて連れ出されました。騎士の方々はふいを突かれたのか、倒れています。近くに別の馬車があり、連れ去られる危険性に思わず……そう、咄嗟のことなので仕方ありませんよね。


 殿方の大切な部分を勢いつけて蹴飛ばしました。呻いて蹲る男を尻目に、私は馬の綱を解きます。裸馬は初めてですが、乗馬は嗜んでおりますの。御者台から飛び乗ったのがいけないのでしょうか。転げ落ちてしまいました。


 そこを立ち直った男とその従者に拘束され、馬車でどこかへ運ばれたのです。あまりに大声で騒ぐので猿轡をされ、暴れるので手足を縛られてしまいました。ほぼ蓑虫状態ですわ。


 失敗しましたね。馬に乗って逃げる算段なので攻撃しましたが、この場合はしおらしくやり過ごすべきだった気がします。仕方ないので、妖精王に声が届く夜までじっとしていましょう。そう思った矢先に、誘拐犯が現れました。


 するりと髪を撫で、頬に手を触れてきます。ぞわっと寒気が走りました。動けない淑女相手に、なんて無礼な! 私はすでに人妻ですのよ!! 叫んだ声も届かず、もどかしさが募りました。


 アレクシス様に申し訳ないわ。攻撃された騎士の方、ご無事かしら。現実逃避のように別のことを考える私は、もうアレクシス様に会えないかも知れないと悲しくなりました。助かったとしても、もし一晩過ごしてしまえば不貞です。そんな女は捨てられてしまう。


 じたばたと全身を使って拒絶し、壁際へ逃げました。男が距離を詰め、にやりと笑う……その顔を殴ってやりたいですわ。苛立ちに任せて「あなたなんて大嫌いです」と猿轡で叫んだところで、大きな音がしました。


「な、なんだ?!」


 男が驚いているので、予想外の出来事なのでしょう。これはチャンスです。この男の味方ではない人がいるのなら、助けを求めるくらい出来るはず。顔に傷がつく可能性も無視し、壁に擦り付けて猿轡をずらしました。


 男は入り口の方へ近づき、次の瞬間……扉ごと吹き飛びます。驚いて目を見開く私は、ようやく緩んだ猿轡の隙間から、声を絞り出しました。


「アレク、シス……様?」

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