seven

 「再戦って...もう一度戦えるってことですか?」

 『そうだ...向こうの陣営が強く希望しとってな』


 再戦を要求してきたのは、先日の大晦日の対戦相手だった。井ノ坂から3度のダウンを奪った因縁の相手。

 

 「しかし...どういう風の吹き回しです?」


 勝っておいて、要求してくるということは、何かしらウラがあるはずだ。


 『うーん...』と会長はため息を吐くように唸ってから、続けた。

 

 『理由なんざ1つしか思い浮かばん。あの試合後の世間の声は、お前にも届いとるだろう?』

 「まぁ...少しは...」

 『前日計量の大幅な体重オーバー...契約体重の2階級上の体重だったんだ...。明らかな確信犯。奴は...ボクサーではない...』


 会長は静かに言ったが、声が震えていた。

 井ノ坂は、胸がずきりと痛むのを感じた。


 『新聞、テレビ、ネット。やつに対する批判の声は高まっとる。その汚名を晴らすために、再戦を望んどるちゅうわけだ...』

 「負けは負けです...会長...。試合前の体重差はわずかしかなかった」

 『お前は、そう言うだろうがな...だが、仲間は皆、お前がどれだけ苦しんで体重を作ってきたか分かっとる。同じ条件であるはずがないわい...』


 「...でも再戦したいってことは、向こうも今度こそ体重を...」

 『だろうな』


 会長は低い声でぴしゃりと言った。


 『問題は再戦の時期だ』

 「いつなんです?」

 『2ヶ月後だ』

 「に、2ヶ月...」

 『陣営は、お前の拳の怪我を知っとるんだ。それを承知で回復を許さない時期で要求してきている。尚且つ、自分の減量は無理のない期間で、というわけだ...』


 受話器を支える右手が自分のものではないように冷え切り、ずきずきと疼き出した。

 あの夜、打ちのめされた時の衝撃がフラッシュバックする。


 『どうする...井ノ坂...。俺は、正直気が進まん...。しかし...お前の気持ちを聞かずに断わることはできんかった...』

 

  ── あの時、勝っていれば...この人にこんな思いをさせずに済んだのに。

 会長だけじゃない。ジムの仲間。ファン。両親や兄弟。そして妻。自分が負けた後のみんなの顔が浮かんでくる。

 みんなにあんな顔をさせてしまう自分は、情けない奴だと井ノ坂は、拳を握りしめた。

  ── 少年。俺は、強くなんかないんだよ。


  ── かっこよかったぁ ──

  ── 俺もおじさんみたいになれたらなぁ ──


 少年の声が頭の中でこだまする。

 その声は、井ノ坂の遠い記憶を呼び覚ました。

 何度倒れても、立ち上がり、立ち向かっていくおじさんの背中。自分自身の背中だ。


  ── そうだ。あの日、俺は、誰かを勇気づけられるような存在になりたい。そう願ったんだ。


 誰かの希望になりたい。笑顔にしたい。井ノ坂の中に夏の太陽のような気持ちが湧き上がってきた。

 その熱が井ノ坂の拳に宿った。


 「俺...やります...戦わせてください」

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