第10話 制裁

SIDE:大神兄弟


「に、兄ちゃん……月が」

「あ? 月がどうした」

「2つあるんだけど」


 大神哲也が夜空を仰ぎ、指差しながら答える。その指先を追った兄の弘樹も、今まで見た事のない大きな月と、それに寄り添うような小さな月を見た。


「いや、CGだろ?」

「え? プロジェクションマッピングってやつ?」

「ああ、それそれ」

「なんだ……だよな、いきなり地球じゃない世界に飛ばされるとか、そんなマンガみたいなことが実際に起きる訳ないよな」


 見事なフラグを建立した哲也であった。


「しかし悪戯にしては手が込んでるな。おいっ! 誰だこんな真似するヤツは。いい加減出て来やがれ!」

「隠れて俺達を見て嗤ってんのか? いい趣味してるじゃねーか、卑怯者がっ!」


 こっそりダンジョンに感情石・黒を投げ込み、自らの手を汚さず千尋を亡き者にしようとした人間が言えば、盛大なブーメランになるとは露ほども気付いていない。


 自分達がこんな目に遭っていい筈がない。自分達をハメて面白がっている人間は絶対に許さない。そんな自分本位から生じる怒りに任せ、大神兄弟は大声で叫んだ。


「クソがっ! まさかあの女の仕業か? まさか生きてんのか?」

「いや、あの貧乏女にこんな大掛かりなこと出来る訳がない」


 ガサッ。


 現状を誰かのせいにしようとしていた二人が、突然の音に揃ってビクッとした。


「グルルルルゥゥゥ……」


 続いて聞こえてくる低い唸り声。そして、木立と丈の高い草の間から出て来たのは、真っ白な虎のような生き物だった。


 ただし、普通の虎と比べて遥かに巨大。2トントラックぐらいある。さらに上顎から伸びた牙は哲也の腕くらいの長さがあり、湾曲した刃物のようだ。その牙を伝って盛大に涎が垂れている。二つの目は月光を反射して黄色く光っていた。


(なななな、なんだあの生き物は?)

(ヤバいヤバいヤバい)


 彼我の距離、およそ20メートル。だがあの巨躯であれば、こんな距離は一瞬で詰められるのでは? 哲也がそう思った時、白虎は既にそこにいなかった。そして隣にいた筈の弘樹が宙を舞っていた。


「うがああああっ!」


 獣のような呻きは、地面に落ちた兄の弘樹が発したもの。その左腕は、肩の先からなくなっていた。10メートルほど離れた場所に、さっきの白虎がいる。その口には人間の腕が咥えられていた。


(に、兄ちゃんが喰われたっ!?)


「ああああ! 俺の腕! 俺の腕がっ!」


 左腕をボトリと落とし振り返る白虎。その目には一切の感情が浮かんでいない。哲也と弘樹の兄弟を、単に食べるための「獲物」としか見ていなかった。


「ああっ! 血が! 血が止まんねぇ……て、哲也、助けてくれ……」


 威勢の良かった兄の声が失血と共にか細くなっていく。一瞬とも言える短い時間で訪れた理不尽に、哲也は現実逃避していた。


(これは夢だ。夢に違いない)


 哲也は兄の声が聞こえないフリをする。間もなくグチャッという音と「あぐうっ……」という掠れた呻き声がした。視界の隅に、兄だった物の腹辺りに鼻面を突っ込む白虎の姿が映る。グチャッ、グチャッという音と濃厚な血の匂いが漂ってきて、哲也は頭を抱えてその場に蹲った。


 しばらくすると音が止んだので顔を上げてみると、覆いかぶさるように白虎が座っていた。逆光になって表情は見えないが、グルルルゥゥという低い唸り声は聞こえた。


(これは夢、これは夢、これは夢……)


 むせ返るような血生臭さが強くなる。白虎の顔が間近に迫っていた。


「ひぃっ」


 思わず出た小さな悲鳴をきっかけに、白虎が後ろ足2本で立ち上がり、鋭い爪のついた右前足を振りかぶった。


(死ぬ)


 哲也がそう思った瞬間――


「ドシュッ!」


 音がすると同時に、哲也の隣に誰かが立っていた。見上げると白虎は首を切断され、そこから噴水のように血が噴き出ていた。


「%▽ケ■$◎=? #rパ▲“ッ|¥?」

「えっ!?」


 逆光で隣に立つ人物の顔は見えないが、長く伸びた白に近い金髪と細い体の線から、辛うじて女性である事は分かる。

 身の丈程もある大剣を地面に突き立てたその女性の口から洩れたのは、大神哲也にとって理解不能の言語だった。





SIDE:???


「UGAAAAAA!」


 人のような獣のような叫び声が聞こえ、リアナは思わず走り出した。


「おいっ、リアナ! どこに行くんだ!?」

「叫び声が聞こえた」

「なに? 何も聞こえなかったが」

「ん、仕方ない。いつものこと」


 長いプラチナブロンドの髪を靡かせ、月明かりしかない森を疾走するリアナ。その後を追うのは、ブランドン・ケネス・プリシアの3人。


 彼らが今いるのは「シュライザー大森林」と呼ばれる魔物の巣窟。ここに魔王軍の幹部がいるという情報が入り、討伐に赴いたのだった。


 リアナは当代の「勇者」。ブランドン・ケネス・プリシアは勇者を支えるパーティメンバーである。人族に害を成す魔族、その長たる魔王を討ち取る為に、神から特別な力を与えられたと考えられているのが勇者だ。


 早朝、シュライザー大森林に入ってからかなりの時間が経過し、数多の魔物を倒しはしたものの、未だ魔王軍幹部というのは見つかっていない。すっかり陽が落ちてこれ以上の探索が難しくなった。そこにリアナが何やら異変を聞きつけたという訳だった。


 先行したリアナが勢いそのままひらりと跳躍する。


「ドシュッ!」


 リアナが大剣を横薙ぎに払い、後ろ足で立ち上がっていたヴァイスティーガーの首が一太刀で切断された。頭部がドサッと落ち、首の切断面から血が噴き上がる。


「大丈夫か!? 怪我はないか?」

「@◇!?」


 リアナはそこに跪いていた少年を改めて見た。月光に照らされたのは、黒髪に黒い瞳、凹凸が乏しくのっぺりした顔、珍しい服。今まで出会った事のない種族かも知れない。見た目が奇妙なので最初は魔族かと疑ったが、少年の怯えようを見てそれは無いと判断した。


 リアナの問いによく分からない奇声を発した少年は、そのまま気を失ってしまった。パーティの中で一番体の大きなブランドンが少年を担ぎ、勇者一行はその日の探索を終えて最寄りの街に帰還するのだった。





SIDE:本庄千尋


 大神兄弟の兄、弘樹が魔物に喰われ、弟の哲也が超絶ビビっていた頃――


 千尋は布団の中で今日の出来事を思い返していた。


 氏神が何気なく言った「ダンジョンを健全に作動させる」という言葉。そこに何か重大な真実が隠されている気がして思考を巡らせていたのだ。


 「作動」と言うからには、ダンジョンは何らかの「仕組み」という事だ。


 この世界にダンジョンが出現して30年、いまやダンジョンはハイリスク・ハイリターンの投資と認識されているが、ダンジョンは人類が強くなるために何者かが授けてくれた贈り物ギフトではないか。その何者かは、来るべき危機に備えて人類に強くなるよう訴えかけているのではないか。千尋はそんな考えを気に入っていた。


 だが、別の可能性に気付いた。


 既にある危機を乗り越えるため、或いはどこかの誰かを手助けする為に、人類に強さを授けようとしているのではないか。


 うーちゃん様に聞けば、案外簡単に教えてくれそうな気もする……。でもそれを聞いても私がやりたい事は変わらないんだよなぁ……。だけど真実は知りたい……。


 激闘から来る睡魔に、千尋の思考は堂々巡りをする。真実に手が掛かりそうな気がするが、それを掴む前に眠りに落ちるのだった。





 イレギュラーを倒した翌朝。


 今日から夏休みである。千尋としてはダンジョンでレベル上げに明け暮れたい所だが、千尋が夏休みという事は当然妹の萌も夏休み。姉の自分が小5の妹をほったらかしにする訳にもいかない。


 萌も連れてダンジョンに行く。その為には萌の装備が必要だ。とは言え、たった1日でも萌を一人にするのは心が痛む。


「お姉ちゃん、おはよー」

「おはよう。今日、我は萌のために装備を取りにダンジョンへ行く。従って萌の相手が出来ない。不甲斐ない姉を許してくれるか?」

「いいよー今日はマキちゃんと遊ぶつもりだったし。夕方には帰る?」

「うむ、善処する」


 ナイス、マキちゃん。


 マキちゃんに感謝しながら、心置きなく神社へと向かう千尋であった。

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