第9話 イレギュラー(2)

 ポコ。


「んっん……」


 ポコ。……ポコ。……ポコ。


「んーっ、んん…………」


 ポコポコポコポコポコポコポコポコッ!


「…………ああー鬱陶しいっ! 何なのだ一体!? ……はっ!?」


 眠りを妨げられた千尋が上半身を起こすと、トマトモドキとアボカドモドキに囲まれていた。モンスター達は一瞬ビクッとしてミニトマトやアボカドの種を投げつける手を止めたが、またすぐに投げ始めた。


 千尋はイレギュラーとの戦いで疲労困憊し、あろうことかダンジョンで大の字になって眠ってしまったのだった。


「ええい、お前らの相手をしている暇などないっ!」


 寝てしまったことは完全に棚上げし、千尋はモンスター達の頭上を飛び越えた。


(寝ちゃった、寝ちゃった、私寝ちゃってた!)


 台詞とは裏腹に焦る千尋。


 うーちゃん様は「今確認出来てるのは2体」「広がったら手に負えない」って言ってた。つまりイレギュラーは放っておくとってことだ。急いで倒さないとダンジョンが使えなくなる……のダンジョンが。


 少なくともあと1体は確実にいる。千尋は走った。途中で遭遇するモンスターは、進路を邪魔するものだけ通り過ぎ様に斬り捨てながら進んだ。


 1層のマップがほぼ頭に入っている千尋だが、だからと言ってイレギュラーがいそうな場所など見当もつかない。従って虱潰しに探すしかなかった。


 焦りながら探すことダンジョン内時間でおよそ1時間。


「はぁ、はぁ、やっと見つけた……」


 1層で一番入り組んでいる真ん中付近の通路に、ヤツはいた。いや、ヤツがいた。


(増えてる)


 隣り合うように2体。ただ、最初に見つけたイレギュラーよりかなり小さい。何度もぶった切った後の、千尋より少し背が高いくらいの大きさだ。周囲にはお野菜モンスター達は全くいなかった。


(さっきのヤツはモンスターを吸収して大きくなってた。ある程度大きくなったら分裂するのかも知れない)


 数が増えたとしても、最初のヤツと同じようにカウンター攻撃しかして来ないなら戦い方は決まっている。


「一撃必滅」


 走り回って乱れた息を整えながらゆっくりと近付く。


 千尋は1体目のイレギュラーとの戦いでかなりのダメージを負っていた。ちょっと休憩のつもりが眠り込むように意識を失う程度に。それが自分でも分かっているので、サイズが小さくなったとは言え2体相手に長期戦は避けたい。


「すぅー…………」


 1体のイレギュラーの前で息を吐きながら精神を集中。刀を正眼に構えた。


「ふっ」


 正面のイレギュラーの正中線を左右に両断。次の瞬間には左に2メートルほど移動し、刀を真上に振り上げた。


「ふんっ」


 2体のイレギュラーを両断するのに要した時間、わずか2秒。被ダメージ0。


「うむ。イメージ通りだな」


 刀を鞘に納め、地面に落ちた2つの結晶を拾い上げる。ダンジョン内の乏しい光源に透かすように見ると、僅かに紫がかった赤色をしていた。


刀の柄に埋め込まれた白い石がぼんやりと光っていることには気付かなかった。





 その後さらに1時間くらいあちこち探してみたが、倒した3体以外に見付からなかったので、千尋は一度ダンジョンから出る事にした。


「千尋ちゃん!」

「うーちゃん様」


 セーフティゾーンには氏神がいた。


「千尋ちゃん、怪我してない? 大丈夫?」


 氏神が物凄く気を遣ってくれる。


「うーちゃん様から賜ったコートのおかげで、打撲程度で済みました。改めて感謝します」


 千尋はペコリと頭を下げる。


「そんなのはいいよ! よかったー、千尋ちゃんが無事で。途中でイレギュラーが増えたから心配しちゃった」

「もうイレギュラーはいませんか?」

「うん。気配が完全に消えたよ! 千尋ちゃんのおかげ」

「それは重畳ちょうじょうです。ここは私のダンジョンですから、あんなよく分からないヤツをのさばらせる訳にはいきませんでした。うーちゃん様が教えて下さったから早めに対処できました」


 千尋は「ありがとうございます」と言いながら再び頭を下げた。


「確かにここの仮所有者は千尋ちゃんだ。だけどダンジョンを健全にさせるのはダンジョン・コアであるボクの仕事だから。助かったよ、ほんとに」


 千尋は「作動」という言葉に引っ掛かりを覚えたが、敢えて尋ねることはしなかった。


 スマホの時計を見る。ここに来たのが11:30くらいで、今は12:00。ダンジョン内で過ごした時間は2時間半くらいだった。気を失っていたのは僅かな時間だったようだ。


「今日はまたダンジョンに潜るの?」

「いえ、今日は帰ろうと思います」


 たぶん全身痣だらけになっている。今日は体を休めた方が良さそうだ。


「千尋ちゃんに何かお礼をしようと思うんだけど」

「いえ、そんな」

「そう言わずに受け取って欲しい。何か希望ある?」

「そう、ですか……もし可能でしたら、妹の萌が使える装備を所望します」

「妹さん? ダンジョンに潜りたいの?」

「はい。ですがちゃんとした装備が見つかってから、と思っておりまして」

「なるほどねー。その萌ちゃんってどんな子なのかな?」


 千尋は萌がどんな子か象徴的なエピソードを氏神に話した。


 1年ほど前のこと。萌は同級生の男の子3人と、その兄で小学6年生の男の子2人、計5人を相手取って大立ち回りを演じたことがあった。萌はボロボロになりながらも、年上を含む5人の男の子に素手で勝った。


 小学校に呼び出された母によれば、喧嘩の原因は男の子達が母を馬鹿にしたことだった。昼だけでなく夜も働いている母のことを「どうせ男に媚びて金貰ってんだろ」と言ったらしい。これに萌がキレた。


 ちなみに母が夜間に勤めているのはオフィスビル清掃を請け負う会社である。


 自分のことならいくら馬鹿にされても我慢出来るが、母を馬鹿にされるのは我慢出来なかった。萌は呼び出された母に泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝ったらしい。喧嘩では涙一つ見せなかったのに。


 その後はボコられた子の親と母の間で大人同士の話し合いがあったのだろう。そこでどんな話になったのか知る由もないが、とにかく萌はお咎めなしとなった。


「ふーん……萌ちゃんもお母さん想いのいい子なんだね」

「はい、我が妹ながら出来た子です」

「千尋ちゃんも萌ちゃんのことが大好きなんでしょ?」

「……はい、大切な妹、です」

「うんうん、いいねいいね! ボクも萌ちゃんに会ってみたくなったよ。さて、萌ちゃんの装備か……そうだ! 1層の隠し部屋にはまだ行ってないよね?」

「は、はい」


 ダンジョン・コアである氏神が「隠し」部屋の存在を暴露して良いのか? 良いのだろうな、たぶん……。


「そこで獲得出来るアイテムを萌ちゃんの装備にしておくよ!」

「そんなこと出来るんですか!?」

「任せといて! ボクが考える、萌ちゃんにぴったりの装備を用意しておくから」

「ありがとうございます。萌もきっと喜びます!」

「あ、それと、隠し部屋にはモンスターが配置されてるけど、今の千尋ちゃんならそんなに苦戦しないと思うから」

「そうなんですか?」

「うん。でも油断しちゃダメだよ?」

「あ、はい。それはもう」

「明日までに用意しておくから、時間がある時に取りに行っておいで」

「分かりました! 何から何までありがとうございます」

「いいよいいよ! 今度萌ちゃんを紹介してね?」

「はい!」


 隠し部屋のアイテムに期待はしていたが、これで萌の装備を入手出来る事が確定した。まだどんな装備か分からないが、私の刀やコートのように、萌も満足してくれるに違いない。


 千尋は体の痛みも忘れ、ウキウキしながら自宅への帰路に就いた。





 深夜に差し掛かる頃。神社に二人の人影があった。


「あの女がダンジョンに入ったのは間違いないんだな?」

「ああ。学校が終わってからこっそり後をついて来て、中に入るのを見た」

「そうか、じゃあもうとっくに死んでるな……くっ、くっくっく……あーはっはっはー! ざまあ見やがれ! てめえが蒔いた種だからな、自業自得ってヤツだっ!」

「そうだよな! 俺も学校で恥かかされたから、これでスッキリしたわ! ところで兄ちゃん、何でここに来たんだ?」

「あ? お前が行こうって言ったんじゃんか」

「え? そうだっけ?」

「いや、ボクが呼んだんだよ」


 ほぼ1日前に、ダンジョンの中へ感情石・黒を投げ込んだ大神兄弟は、自分達にも理由が分からないまま同じ場所に来ていた。


「「誰だっ!?」」


 周りを見回すが誰もいない。まるで夜そのものが語り掛けてきたかのようだった。そして兄弟の頭の中に次に響いたのは――


『ダンジョン・コアの権限により、本ダンジョンに悪意を以て害を成した者に対して制裁を発動します』


 千尋と仮所有権を争った時に聞いた、無機質な女性の声。本能が危険を察したが、瞬き一つする間に見知らぬ場所に転移していた。


「ど、どこだここは!?」

「兄ちゃん!? 何なんだよこれ!?」


 そこは鬱蒼とした森の中。天空から地上を照らす明るい月光は、の月からもたらされていた。

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