第8話 イレギュラー(1)
「感情石」という鉱物がある。ダンジョンで非常に稀に見つかるレアアイテムで、白と黒の2種類が存在する。
感情石・白は、人間の「正」の感情に基づき、石の持ち主の願いを具現化しようと働くもの。感情石・黒は、反対に「負」の感情を具現化しようとする。
ただし、いずれも「ダンジョン内」で本来の力を発揮する。
感情石・白はその希少性と「願いを叶える(と思われている)」という性質上、幸せを象徴するものとして富裕層の間で結婚・婚約指輪に使う石として珍重されている。
一方、感情石・黒は過去に悪用され、攻略済みダンジョンが利用出来なくなったことから、発見次第探索者協会に提出し、協会の管理の下廃棄される決まりになっている。
ちなみに、感情石・黒を悪用した者は別のダンジョン所有者だったが、損害を賠償するために自分のダンジョンを手放さざるを得なかった。その上で刑法上の罰も受けたという。
閑話休題。
千尋が氏神から要請を受けてダンジョンに突入した時間より、遡ること約12時間。枝葉に遮られて月光さえ届かない中、神社の大岩の傍に二人の人影があった。
「兄ちゃん、ほんとにやんの?」
「あ? お前あの女のこと庇うのか?」
「いやそうじゃねーけど」
「俺達兄弟をあんな目に遭わせたんだぞ? こっちは親切に3万も出してやろうとしたのに、だ!」
「あ、ああ。確かにそうだな!」
「ダンジョンってのは事故が付き物なんだよ。あいつは一人で潜ってるんだろ? 何かあっても誰も助けに来やしない。ダンジョンの中で、絶望に打ち震えながら死ねばいいんだよっ!」
大神兄弟の兄・弘樹は、そう言ってダンジョンに向かって人差し指の先くらいしかない黒い石を投げた。その黒い小石はセーフティゾーンを抜け、急傾斜の坂を飛び越え、ダンジョンの床に落ちてしばらく転がって止まった。
大神兄弟の逆恨みとも言える、謂れのない憎悪が込められた感情石・黒から、どす黒く濁った血のような靄が噴き出した。
そして現在。
(いつもと何か空気が違う)
ダンジョンに降り立った千尋はそこに張り詰めた空気を感じた。が、事前にイレギュラーの事を聞かされたからこその緊張感であり、空気自体は変わっていない。千尋の気のせいであった。
左腰に差した刀の柄に右手を掛けながら、小走りで奥へ向かう。いつも以上に緊張しながらしばらく進むと、少し先の方で騒がしさを感じた。より慎重に歩を進めると、異常な光景が目に飛び込んできた。
複数のモンスターが何かを囲み、一斉に攻撃を加えている。
取り囲んでいるのは、アボカドモドキとトマトモドキ。千尋にとってはお馴染みのモンスター達。それが環の中心に向かってアボカドや種、ミニトマトを投げつけまくっている。
その環の中心にいるのは、ゲル状の何か。墨のような黒と、血のような赤が体表をゆっくりと動いているように見える。時折火花が散ったかのように表面がパッと光る。
ゲル状のそいつは、体高が千尋の2倍近くある。上の方は細く下にいくに連れて太い、歪な円錐状をしていた。それがモンスター達の攻撃を全く意に介さずゆっくりと千尋の方に動いている。
これがイレギュラーだろう。
まだ距離があるのでじっくり観察する。円錐の根本、地面に接する部分を波打たせることで移動しているようだ。腕や足に相当する部分はない。モンスター達がそこにいる事さえ認識しているのか怪しい。
(あれだけ動きが遅ければイケるか?)
イレギュラーの後ろからブロッコリーモドキが腕(枝)を振り回し、直接打撃を加えた。その攻撃が当たった部分が一瞬火花のように光る。次の瞬間、イレギュラーの真ん中辺りが槍のように伸び、ブロッコリーモドキを串刺しにした。
ブロッコリーモドキはいつものように赤紫の靄……にはならず、イレギュラーの体に吸収されてしまった。
(モンスターを吸収!? どういうことだ?)
その後も後ろから来るブロッコリーモドキを次々串刺しにするイレギュラー。その全てがイレギュラーの体内に取り込まれてしまった。
(体の一部が伸びて武器になる……しかも速い。心なしか体が大きくなってる?)
もしモンスターを吸収してどんどん大きくなるなら、早めに倒した方が良さそうだ。千尋が踏み出そうとしたその時、あるものが目に入った。
この1層で千尋の一番のお気に入りモンスター、トマトモドキ。体高は千尋の膝くらいしかなく、その攻撃は体当たりとミニトマトの投げつけ。そしてこの投げつけられるミニトマト、まるでフルーツトマトのように甘くて美味しいのだ。
そのトマトモドキがイレギュラーの進路上に3体立ち塞がり、懸命にミニトマトを投げつけていた。まるでイレギュラーが千尋に向かうのを阻むように。まるで千尋を守るかのように。
全て千尋の妄想であるが。
とにかく、千尋の目にはそんな風に見えた。そしてブチ切れた。
「ゴルァァアアアー! そのトマトは
レベル14になった千尋は、当初の3倍以上になったAGI(敏捷)を全開にしてイレギュラーに迫る。両の瞳に宿った赤い光が残光となって千尋の後ろに靡いた。
自らを盾にして千尋を守っていた(ように千尋が妄想した)トマトモドキごと、イレギュラーに斬り付ける。トマトとは違う、密度の高い物体を切り裂いた感覚が手に伝わった。
「ちぃっ、浅いか!?」
イレギュラーの一部が幾本もの槍となって千尋を襲う。激しい刺突の雨は野菜オールスターズの投げつけ攻撃とは比べるべくもない速度だが、目で追えない速さではない。素早く右に飛んで避ける。今まで千尋がいた場所に槍が突き刺さり地面を抉った。
すかさず間合いを詰め、その場にいたトマトモドキを足場に跳躍。イレギュラーの比較的細い部分を狙って刀を横に一閃した。確かな感触と共に輪切りにするが、そこへ4本の槍が飛んで来る。
膝を丸め、足元を狙った槍が通り過ぎた際にそれを足場に真横に飛ぶ。さらに2本躱したが、1本がまともに腹に入った。
「ぐぼふっ」
鋭利な槍の切っ先は黒コートに阻まれ刺さることはなかったが、衝撃まで殺すことは出来ない。そのまま吹っ飛ばされ、背中からダンジョンの壁に激突する。
(くっ、車にはねられたような衝撃……いや、はねられたことはないけども)
腹を押さえながらイレギュラーを見ると、千尋が斬り落とした細い部分が地面に落ち、赤黒い靄に変わって消えた。マグリスタルには変化しない。失った部分を補うように断面が盛り上がり、細く上に伸びた。
(再生持ちか? いや、体が少し小さくなった気がするな)
千尋は刀を杖にして体を起こした。
「ならば斬って斬って斬りまくるのみ!」
そこからはまさに泥仕合。千尋が斬る、槍で吹き飛ばされる、その繰り返し。だが常人なら一撃で絶命するような攻撃を何度も受け、千尋の動きが鈍る。
「はあっ、はあっ、だがその攻撃にも慣れた」
刀の切っ先を右下に構え、ゆったりとイレギュラーに近付く千尋。槍は飛んで来ない。
「やはり、こちらが攻撃した時のみカウンターを放つのだな」
手を伸ばせば触れられる距離まで近付き確信を得た。攻撃の直後に反撃されるなら――
「この一撃で止めを刺す」
数度攻撃を加えたことで3メートル近くあったイレギュラーがいまや160センチほどに縮んだ。150センチの千尋とほとんど変わらない高さ。千尋は刀を振り上げ大きく伸び上がった。
「うりゃあああああっ!!」
気合と共に渾身の力を込めて刀を振り下ろす。レベル14のSTR(腕力)とAGI(敏捷)で、イレギュラーを縦に両断した。
体表が一瞬槍を形作ろうとしたが、直後に戻る。刀が通った直線から赤黒い靄が噴出し、イレギュラーの体全体が靄と化して消え、その後収束する。コツンと音がして地面に赤い結晶が落ちた。
「ふっ。イレギュラーと言ってもこんなものか。我の敵ではないな!」
魔王ムーブの台詞を決め、その場にへたり込む千尋。集まっていた他のモンスターは、戦いの余波で全て倒されていた。四つん這いで辺りに落ちているマグリスタルを拾う。
(つ、疲れたぁ……まだもう1体いるのかー……取り敢えず、ちょっと休憩)
モンスターが近くにいないのを良い事に、千尋はダンジョンの地面で大の字になった。
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