第4話 鯖に蹂躙される少女

『あ、その鯖食べられるからねー! 美味しいんだよ?』

「っ、どうでもいいっ!」


 鯖一尾の重さ、約600グラム。それが時速100キロを超える速さで間断なく打ち出される。鋭いヒレが当たると皮膚が切れるどころか、肉まで持って行かれる。急所に当たりそうな鯖をなんとか木刀で弾くが、その攻撃は重い。細く軽い木刀ではその攻撃をくのに限界がある。だけに。


(くぅっ! 状況は馬鹿馬鹿しいのに全っ然笑えない!)


 千尋の全身は既に傷だらけであった。白かった制服はボロボロに破れ血塗れになっている。こんなにダメージを受けているのに、本体のハーヴグーヴァは最初に出現した場所から全く動いていないのだ。


(覚悟……覚悟を示さないと。私の覚悟、それは何があっても家族を幸せにすること!)


 千尋はジリジリと前に進んだ。あのふざけたデカい鯖に一太刀浴びせたい。しかし普通サイズの鯖が横殴りの雨のように飛んでくる。この大量の鯖がどこから来ているのか分からないが、鯖にとってはいい迷惑であろう。


 あまりに重い攻撃を弾き続けたせいで、木刀を握る手に感覚がなくなった。


(あっ)


 千尋の意思に反して両腕がだらりと垂れ下がった。そこへ鯖の砲弾が襲い掛かる。一尾がこめかみを掠めて脳震盪を起こし、左の肘関節の少し上にまともに衝撃を受けた。


「があああああああっ!」


 千尋の左腕が千切れて吹き飛んだ。味わった事のない激痛が走る。それまでと比べ物にならない痛みと出血。思わず地面に倒れ込みそうになった千尋の目に、ハーヴグーヴァの顔が映った。


 そいつの口角は確かに上がっていた。千尋の無様な姿を見て嗤っていた。


 それを見た瞬間、千尋の中で何かが「ブツン」と切れる音がした。右足を前に出して踏ん張り、倒れるのを意地で堪えた。


「舐めんなクソサバがぁぁぁあああ! しめ鯖にすっぞゴラァァアアアー!!」


 千尋の目が赤い光を宿す。ハーヴグーヴァは一瞬固まった。千尋の目の尋常ならざる光のせいか、はたまた「しめ鯖」という言葉に怯んだのか。とにかくハーヴグーヴァの苛烈な攻撃が一瞬止んだのだ。


 左腕から血を迸らせながら、千尋はハーヴグーヴァに詰め寄った。右手だけで握った木刀を力任せに振る。自分の残った生命力を全て乗せた一撃。渾身の一振りだった。


「うがぁぁあああ!」


 獣のような咆哮を上げて木刀を叩き込む千尋。だが、その一撃は無情にも太刀魚に阻まれる。


「ガギン!」


 まるで金属同士がぶつかったような音がして木刀が弾かれた。自分の首に太刀魚が振り下ろされるのを見て、そこで千尋の意識は途切れた。





 気が付くとそこは、大岩に開いた穴の中だった。ひんやりとした石の感触を頬に感じる。


(あれ? 私……)


 ゆっくりと体を起こす。左腕はちゃんとある。それどころか体に傷一つないし、制服も綺麗なままだった。


(試練……終わったのか。私の覚悟、どうだったのかな)


 横座りの姿勢で体を起こすと、学生鞄と黒い布の包みに気付いた。包みの上には和紙のような紙に筆で書かれたような文字。


『千尋ちゃん。君の覚悟、しかと見せてもらった。これは贈り物だよ。これからきっと役に立つと思うから受け取ってね。  君の心の友・うーちゃんより』


 心の友……氏神様を友達扱いして良いものか悩む。そもそも友達が極端に少ない千尋にとって、友達付き合いというものもよく分かっていない。これについては考えても答えが出そうにないので一旦棚上げした。


 黒い包みを開くと、そこにはアニメで見た忍者が使うような巻物があった。直径は4センチくらい、横幅は30センチくらいだろうか。両端はくすんだ金色の金属で、巻物自体は焦げ茶色の革のような質感。朱色の紐で留めてある。


 紐を解いて巻物を広げてみる。内側はクリーム色の和紙のようだが、何も描かれていない……と思いながら全部広げてみると、中心に黒い渦巻模様が表れ、次第に広がってまるで穴のようになった。


 それは確かに穴であった。手を突っ込んでみても、巻物の反対側に手は出ない。どこか別の場所に繋がっている穴。


 突っ込んだ手に、何か触れる物があった。千尋は恐る恐るそれを引っ張り出す。


(ん? 重い。それに長い……)


 巻物をそっと地面に置き、両手で引っ張り出す。


「……これは……刀っ!」


 真っ黒な鮫革の柄には等間隔で白い真珠のような石が3つ埋め込まれている。鍔は黒っぽい赤。鞘は光沢のある黒で何の装飾もない。先端のこじりは鍔と同じ色の金属のようだ。

 鞘を左手に持ち、鍔を親指で押すとはばきがクンッと鞘から外れる。柄を持った右手をゆっくり外側に広げると、真っ黒な刀身が現れた。刃文は刀身より少し青味がかった黒。


(か、かっこいい……)


 漆黒の刀なんて、まるで魔王のようではないか! 魔王でなくても、何かしら心に闇を抱えているか、悪の化身か、単に悪ぶってるキャラが持ちそうな武器である。これがうーちゃんセレクトだとしたら――


(うーちゃん様、分かってる! グッジョブ!)


 次会った時、ちゃんとお礼を言おう。千尋は固く誓った。


 穴(巻物)にあったのは刀だけではなかった。黒いレザーのフード付きコート、編み上げブーツ、指なしグローブ。千尋の中二心をくすぐりまくって止まないアイテム達。


 今すぐ全部身に着けたくて堪らなかったが、ここは外なのでなんとか自重した。


 つい先ほどまで、鯖(ハーヴグーヴァ)と血みどろの戦いを繰り広げていたとは思えぬ程、千尋はウッキウキに浮かれた。それこそ、時間が経つのを忘れる程。


「はっ!? 今何時?」


 大岩の穴から上を覗くと、大木の樹幹の隙間から茜色の空が見えた。


「やばっ」


 岩の中に広げていた香ばしいアイテム達を、急いで巻物の穴に突っ込む。クルクルっと巻いて紐を結び、学生鞄に入れた。巻物が別空間に繋がるゲートになっている事など深く考えていない。


(そう言えば木刀……)


 千尋は木刀を探して穴の中をキョロキョロした。木刀は見つからなかったが、代わりに大きな葉っぱの上に丸々と太った三尾の鯖が置いてあった。


(なんか生臭いと思ってたんだよね……)


 うーちゃんは食べられると言っていた。しかも美味しいと。


「と、取り敢えず持って帰ろうか」


 鞄を脇に挟み、葉っぱに包んだ鯖を両手で捧げ持つようにして、残り10分足らずの家路を急ぐ千尋であった。





「ただ今帰った」

「お姉ちゃんおかえりー」

「千尋ちゃん、お帰りなさぁい」

「母上! 今日はいらっしゃったのか」

「そうだよーお母さん今日は夜勤お休みだって」

「お母さんもさっき帰って来たのぉ。ちょっとお夕飯の買い物に行って来るわぁ」

「あ。それでしたら母上。鯖があります」

「「サバぁ?」」


 妹の萌、母の鈴音すずねがハモった。千尋は徐に葉っぱに包まれた鯖を差し出す。


「あら美味しそう。どうしたの、これぇ?」

「えーっと……友達から」

「あらあら。じゃあ今度お礼言わないとねぇ。塩焼きでいいかしらぁ?」

「私サバの塩焼き好きー!」

「うむ、塩焼きが良いと思案します」

「お野菜はあるし……お味噌汁も作れるから、買い物に行かなくて良いわねぇ。早速作りましょうかぁ!」

「手伝います」

「萌も手伝う!」


 築45年の2階建て木造アパート「つむぎ荘」。その201号室で、母と娘二人が和気藹々と夕食の準備を始めた。


 6畳二間の2K。決して豊かとは言えない。いや、はっきり言って貧乏暮らしである。母の鈴音は女手一つで娘二人を育てるため、昼と夜、ふたつの仕事を掛け持ちしている。両親が揃っている家と比べたら、娘達と過ごす時間も少ない。


 だが二人の娘はとても良い子に育ってくれている。姉の千尋は少し変な趣味に走っているし、妹の萌は男の子と喧嘩して泣かせるほど腕っぷしが強いが……二人とも素直で良い子に育っている。誰が何と言おうと良い子達である。


 お金の余裕はないが、母は娘達を大切に想い、娘達は母とお互いのことを大切に想っている。かけがえのない家族。ごくありふれた普通の団欒。


 そして今夜は、そこに極上の鯖が載った。


「あら、本当に美味しいわぁ!」

「うん、美味しいね!」

「…………美味い」


 千尋を手酷く痛めつけた鯖は、うーちゃんが言った通り美味であった。

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