第12話「鯉は新鋭へのぼる ⑦」


 時刻は十五時三十分。

 この時間になると、お散歩がてらに圧巻のこいのぼりを見に来る見物客が増えてくる。故に年齢層はお年寄りとお孫さんという具合だ。

 もちろん校内へのペットの同伴は禁止なので、お断りしようとしていたら、白波瀬しらはせが機転を利かせてキャリーバッグを持っている場合は条件付きでの来場が可能になるよう許可をとってきた。

 敷地しきち内を汚した場合はその清掃をするという条件を相手側に出させることで、交渉こうしょうが上手くいったらしい。それだけ言われれば頷けなくもないが、やれと言われると話が違う。本当に白波瀬はなんでもできる。

 来場できますよ、と白波瀬が話したときのワンちゃんと子どもの喜びようは凄まじいものだった。


 現在柊摩しゅうまは、白波瀬と一緒に眞壁まかべさんが差し入れで持ってきてくれた柏餅かしわもちとちまきをおやつがてらに食べていた。

 日本の祝祭の中で実際にお祝いするのが正月くらいの柊摩にとって、これだけ季節のイベントをやり尽くすのは正月を除いて数年ぶりだ。

 何も知らされていなかった出だしの不祥事ふしょうじを忘れるくらい、柊摩は今、こどもの日を余すことなく満喫している。


「ねぇ、しぎくん一つ聞いてもいい?」

「ん?」


 三本目のちまきを頬張ほおばりながら四本目のちまきに手をつけた柊摩に、白波瀬は柏餅の葉っぱを外しながら聞いてきた。


「午前中から思ってたんだけど、それは一体何をしてるの?」


 はて、と首を傾げる柊摩。

 今、柊摩がやっていることはちまきの笹をめくっていることだが、それは午前中からやっていることではない。

 白波瀬は机上を指差して言った。


「さっきまで参加者名簿を捲っていたらと思ったら今は来賓らいひんリストを見てるじゃん。それは何をしてるの?」


 ああ、そういうことか。


「漢字の勉強」

「…………」


 淡々と答えた柊摩に、白波瀬は怪訝けげんそうに眉をひそめた。


「いや、お前が英単語の勉強をしてるから、俺もちょっとは勉強しようと思って」

「…………それで本当に勉強になってると思ってるの?」


 おおよそ柊摩の動機が白波瀬の勉強に感化されたことではない浅はかなものだとわかっているのだろうが、その上で、軽蔑ではなく、純粋な疑問として白波瀬は問うてきた。

 ならば柊摩もまた真剣に答える。


「人名って読み間違えると相手に悪いだろ。だから数多くの人名漢字に触れることは大切だと思うんだ」

「…………なんで言い訳なのに説得力があるの?」


 そう言われても。


「逆に言い訳だから説得力があるんじゃないか。普通の会話に説得力とか理由とか求めないだろ」

「確かに言われてみたらそうかも」


 言って腕を組んでは何度か首を縦に振る白波瀬。そしてそれ以上に首を縦に振る柊摩。

 自分で言ったくせに、その場で出た適当な言葉がしっくりきているときのそれだ。


「って言うか、自分で言い訳って言ってるし」


 とりあえずその追及は苦笑で誤魔化す柊摩。

 それから、ふと、思い返した。

 さきほど、野崎のざき先生は教師を辞めたと言った時の角田かくだ先生も、どこか理論的に話していた気がする。


 そうだ。

 白波瀬が、野崎先生がなぜ辞めたのかその理由を聞いたとき、角田先生はその理由について答えるのではなく、自分が知らない理由について答えていた。

 加えて、連絡先を聞いたときも、その連絡先について答えるのではなく、自分が連絡先を知らない理由について答えていた。


 まるで、柊摩と同じ、言い訳をするように。


 そもそもよく考えれば可笑おかしな話である。なぜ角田先生はソフィア先生の連絡先を知っていて、野崎先生の連絡先を知らないのだろうか。同じ英語教師なのにも拘らず。


「ん?」


 思案にふけって、自然と視線が下がっていた先、奇妙な名前を柊摩は見つけた。

 そして直ちにその疑問を口にする。


「なぁ、野崎先生の名前は野崎伸哉のぶちかで合っているか?」


 すると白波瀬は、別に驚く素振りを見せず答えた。


「合ってるよ。リストにってた漢字と一緒」


 どうやら、白波瀬は先に見つけていたらしい。


「でも、たぶんその人は別人。普通学校を辞めた人を来賓らいひんとして招待しないと思う」

「まぁ言われてみればそうか」


 野崎先生が学校を辞めた理由は依然わかっていないが、来賓でお呼びする人は何かしら学校との繋がりを保っている人のはずだ。そうなると、辞めてしまった野崎先生をお呼びする理由はなくなる。


 このリストに載っている野崎伸哉さんが野崎先生なら、すでに住所も載っているから連絡できると思ったのだが、当てが外れた。

 どうやら白波瀬はとっくの前に気づいていたみたいだが、それが故に少し落ち込む柊摩。


「あっ。ねぇ見て」


 視線を返して応じる柊摩に、白波瀬は嬉しそうに続けた。


「さっきの筑川ちくがわさんって人覚えてる?」

「がんばってくださいだろ」

「がんばるのは鴫くんだけどね」


 余計なことを。


「その筑川さん、菊咲きくさき大学の教授だった」


 言って白波瀬はスマホ画面を見せてくる。


「それは大学のホームページか?」

「そうそう。外国語学部、英米語学科教授だって」

「ん?」

「むっちゃ凄い人に褒められた」


 一つ気になったことがあって、柊摩はこれまで電池を温存してきたスマホを解禁して検索ページに菊咲大学と打ち込む。

 すると、それを見た白波瀬が言った。


「いや、私の見たらいいじゃん」


 そうして渡されたスマホを、柊摩はありがたく受け取る。


「どうも」


 白波瀬が開いていたのは、菊咲大学のホームページの教授一覧のページ。学部ごとに一枚のページで表示されており、各学科の教授、准教授の順に顔写真と専門領域や研究内容などの概要が表示されている。


「で、何調べてるの?」


 柊摩が一番下まで見終えたところで白波瀬が聞く。


 調べた結果から言えば、欲しかった情報は手に入らなかった。だからと言って望みが断たれたわけでもない。


 白波瀬の質問に答えようとして、口の先まで出かかった言葉を柊摩は引き下げた。

 これ以上期待させるのも、それはそれで可哀そうだ。


「いや、外国人もいるのかと思っただけだ」

「そんなつまんないことでいちいち時間を取らないで!」


 柊摩は苦笑混じりに謝った。

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