第10話「鯉は新鋭へのぼる ⑤」


「どうだ? このあと、シギと白波瀬と三人で飯に行かないか?」


 そう昼食のお誘いをしてくれたのは、角田かくだ先生だ。

 特大のぼり掲揚けいようという大役を無事完遂かんすいした柊摩しゅうまが、やぐら一段目で涼しげな夏風に当てられ、アクエルアスで喉を潤しながらその美観を目に焼き付けている時のこと。角田先生は右手にワニ皮の財布を掲げて言った。

 どうやらおごってくれるらしい。


「いいんですか。ありがとうございます」

「それなら、白波瀬しらはせを呼んできてくれ。探したんだが見当たらない」

「はい、わかりました」

「校門で待ち合わせしよう」

「わかりました」


 一度頭を下げて、柊摩は櫓から降りる。それから白波瀬を探すことにした。

 その白波瀬はすぐに見つかった。探す手間なく、櫓を降りた三メートル先のイベントスタッフ一団の中心にいた。楽しそうに談笑している。

 どうやら白波瀬の人気は高校からのものではないらしい。中学でも数多くの先生から好意を得ていたのだろう。

 思い返せば十二時前まではずっと受付にいて、懐かしの中学校の先生と話す時間はなかった。ここはもうしばらくその談笑に花を咲かせるのもいいだろう。それこそ白波瀬の恩師、野崎のざき先生がこの中にいるかもしれない。


 とりあえず集合時間を少しばかり遅れさせようと角田先生がいた櫓の下へ柊摩は向かう。

 けれど、そこに角田先生の姿はなかった。どうも先に行ったらしい。

 そう言えば角田先生とは集合時間について決めていない。

 まぁ向こうも外出の用意とかあるだろう。白波瀬に伝えるのは少しだけ遅らせた。




 †††




「えっ、しぎくんまだ言ってなかったの!?」


 顔に驚きと呆れの色を浮かべて、白波瀬は告げた。

 一重咲ひとえざき中学校近くのロイヤルなファミリーレストラン。低価格だが店舗における外れが無いチキンのジューシーグリルを口に含みながら、柊摩は如何いかにもそれらしい演技とセットにして答えた。


「忘れてた……」

「君ねぇ、」


 どうしようもない奴だなと言いたげに口を尖らせる白波瀬に、柊摩と角田先生は愛想笑いを浮かべる。


 話題が中学校の思い出から、林間学校のあれ覚えているになって、ついに柊摩が一重咲中学出身ではないことが角田先生にばれたのだ。と言うか、ファミレスまで徒歩十五分、テーブルに料理が並ぶまで五分、いただきますを言ってから十分。これまで三十分以上会話をしてきたのにばれなかったことの方が驚きだ。


 角田先生は本来なら文句の一つ口にすべきだろうが、流石大人で平生を取りつくろってくれた。


「なるほど。だから、どれだけ記憶を探っても思い出せないわけか」

「すみません」

「いや、僕も早とちりしてしまったね。悪い悪い」

「ほんと、そういう大切なことはちゃんと言いなよ。先生困らせないで」

「すみません」


 角田先生の代わりになって咎めてくる白波瀬にも柊摩は頭を下げた。

 それを見て角田先生のたたえる笑みは苦笑から微笑に変わっていく。


「それにしても僕は二年間白波瀬さんに英語を教えたけど、授業態度や成績とかで一度も困らされたことはなかったね。たぶんどの先生もそうなんじゃないか? 実際怒られたことってあるのか知りたいくらいだ?」


 そう言って話題を逸らしてくれた角田先生に感謝。

 柊摩が内心で両手を合わせていると、隣に座って洒落しゃれた名前のパスタを食べている白波瀬は空いている左手を横に振った。


「ありますよ。悪ノリしたことも多々あります」

「そうなのか!? そんな印象はないな。職員室で聞く白波瀬さんの話はいつもすごいとか優秀とかそんな話ばっかりだったよ」

「そうですか? ソフィア先生のレクリエーション授業はやりたい放題やってましたよ?」


 柊摩が通っていた中学に、ALTと呼ばれる外国人の先生と一緒に英語で遊ぶ授業があった。おそらくそれに近い授業のことだろう。

 白波瀬が言うと、角田先生ははたと手を打つ。


「そうだったかもしれない。ああ、確か英語しりとりで毎回優勝して詩織しおりは殿堂入りねって言っていたな」

「それもありましたね」


 白波瀬と英単語しりとりとか勝算絶無すぎる。誰も白波瀬相手にやりたくなかっただろう。


「そう言えば、去年ソフィア先生が退職されましたよね?」

「そーだな。別の公立の中学校に転任するって聞いたよ」

「私、それを聞いてとっても残念に思ったんです」


 思い出深い先生と会えなくなるのは悲しいことだ。自分たちは卒業していく身でありながら、帰ってきたらまた会えると心の何処どこかで思っているのかもしれない。故にそれが叶わないとわかれば悲しくなる気持ちが、柊摩にもわからなくもない。


「それはみんなそうだったよ。転任も三月下旬くらいに決まって、大半の生徒は別れを惜しむ時間がなかった。だから、去年の初めはソフィアショックで大変だったんだ」


 それにしても外国人教師の人気率の高さは異常だと思う。

 それとその人柄の良さも異常だと思う。仏頂面している先生を柊摩は見たことがない。


「それで、学校中がショックで僕もショックだよって話をソフィア先生にしたら『Me three』って」

「懐かしいですね」

「そうだろ。この話をしたらみんなそう言うんだ」


 何が懐かしいのかさっぱりわからない柊摩は、一人置き去りにされている。

 それはある意味平常通りなので特に気にせず、〝Me three〟の意味を考える。直訳すると私三。よくわからない。

 とりあえず柊摩は締めのミルクティーを飲むことにした。


「あっそうだ、白波瀬が『Me four』って言ってましたって伝えといて下さい」


 新たなヒント〝Me four〟の意味を考えよう。直訳すると私四。数字が増えた。

 するとその言葉を聞いて角田先生は今日一番嬉しそうに告げた。


「伝えておくよ」


 なるほど、おそらく角田先生は〝僕もショックだったよ〟と伝える際に英語を使ったのだろう。つまりは〝Me too〟と。それが〝Me two〟になったわけだ。

 その意味がわかって謎解きの快感に酔いしれる柊摩は一人、自分も仲間に入った気になる。


「そう言えば野崎先生はどうされているんですか? さっき見かけなかったんですけど」


 野崎先生は白波瀬の恩師だ。あのスタッフの集団の中にいなかったということは、さぞ気になっていただろう。

 角田先生はコーヒーをきっする。それから言った。


「ああ、野崎先生なら中学教師を辞めたよ」

「えっ!?」


 角田先生の返答に、白波瀬は口に運びかけたフォークの手を止め、呼吸さえ忘れているかのように固まった。

 その反応に、角田先生は頭を掻きながら言う。


「今年の三月に決まってね」

「理由って」


 愕然がくぜんとしたまま白波瀬が聞くと、角田先生は苦笑いした。


「う~ん。僕も去年は三年持ってたから受験で忙しくてね」


 その実質ゼロ回答に、狼狽ろうばいというより意気消沈したようすの白波瀬。柊摩は白波瀬に代わって言った。


「世間話の一つや二つしたかったんだよな。連絡先でも教えてもらえばいいんじゃないか」

「お願いし、てもいいですか?」


 どうにか疑問形に留めたその言葉が、白波瀬の期待の大きさを代弁しているようだった。

 けれどそれに対して角田先生は。


「悪いね。連絡先に関しては年度末に削除しているはずだから無いと思う」

「……そうですか」


 落胆らくたんあるいは失意。白波瀬の声音は悲嘆で満ち溢れている。

 そんな声音、無論聞いたこともなければ、おそらく聞かせたこともないのだと、柊摩は直感的に察した。それにも拘らず、角田先生は飄然ひょうぜんとしている。


「申し訳ないね。おっと、もうこんな時間だ。僕は会計をしてくるよ」


 角田先生はカップの中のコーヒーを飲み干すと席を立った。

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