第3話「九割も五分もないけれど、それでも青く染まってます。 了」


 八重咲高校は日本有数の進学校である。超難関国立大学はもちろん、海外の有名大学にも合格者を輩出はいしゅつするエリート校だ。そんな八重咲高校の魅力は、その進学実績だけではない。部活動においても目覚ましい活躍がある。


 八重咲高校には運動部だけで四十六、文化部を加えれば百十二の部が存在する。それほどの、他の学校が比肩ひけんできない数多くの部活動があり、その中には全国大会や地方大会に進出する部も数多く存在する。


 そしてさらに特出すべき点は入部率。学生はメインとして活動する主活動しゅかつどうに加え、副活動ふくかつどうと呼ばれる最大三つの部を掛け持ちすることができる。もちろん、必ず一つの部活動に所属しなければならないという原則はない。にもかかわららず、主活動と副活動を合せた一人当たりの入部率はなんと二八五パーセント。


「一昨年までの全校生徒の入部率は一〇〇パーセントだったの」


 そう語る白波瀬しらはせは、たった一人の傾聴者けいちょうしゃである柊摩しゅうまに向かってつい先日クラスの学級委員を選抜する際の演説さながらの力説を振るっていた。それはもう、ありったけの緩急をつけ、燎原りょうげんの火のような感情溢れた熱弁だ。感服するほどの愛校心。

 それがふと、悄然しょうぜんとした口調へと変わった。


「そう、一昨年までは」


 猫のような真ん丸な双眸そうぼうは哀しげで、はかなげでありながらもじっと柊摩を捉える。


「去年入学した一人の生徒がどの部活にも所属しないことが原因で、ここ十五年間で初めて九九・九五パーセントに下がったの。聞くと、当時その生徒にも事情があって、だから部活動の勧誘はやめてその生徒の自主性にゆだねていたみたいなんだけど、今年になってもその子はまだ部活に入っていない。ねぇ? その生徒に心当たりはある?」

「さぁ、俺の友達はみんな部活に入っているからな~」


 顎に指を当て、如何いかにも真剣に考えている感を装う柊摩に。白波瀬は淡々と、眉一つ動かさず告げた。


「ねぇ〇・〇五パーセントの生徒、しぎくん。心当たりはある?」


 否とは言わせんその言葉。


「それ俺じゃねぇの? 知らんけど」

「知らんわけないやろうが。あんたのことや」


 関西人による似非関西弁。白波瀬が言うという条件下なら、怒りはおろか大抵の人はうっとり聞き惚れるだろう。絶妙に可愛かった。


「いいから、四の五の言わずそこに名前を書きなさい」

「普通にいやだよ」

「なんで?」

「いや、俺入りたい部活ないし。それに、常識的に、どこに入部するかも決めてないのに入部届書くのはおかしいだろ」


 唐突に部活に入れと差し出された入部届にはなぜかすでに鴫の捺印なついんが押されており、著名と入部する部活動の団体名の欄のみが空いていた。その用意周到さが恐ろしい。

 これ公文書偽造で訴訟そしょうできないのだろうか? 入部届は私文書か。


「だからって今入らなかったらいつ入るの?」

「いや、別に俺部活に入りたいわけじゃ、」

「先月時点で新入生もみんな部活に入ったよ。部活に入っていないのは鴫くん一人だけだよ。思うところないの?」


 それを言われると耳が痛い。

 正直なところ柊摩は、部活に入りたいこともなければ、入りたくないこともないのだ。要はどっちでもいい。それより面倒なのだ。

 故に、去年も幾度いくどとなく同じ質問をされてはそのうちなと適当に答えて、大抵はそれで解決してきた。何せその問い自体たわいない雑談の一貫なのだから。

 が、今問いかけた白波瀬の口調と眼差しは、冗談で言うそれとは異なる真摯しんしなものだ。

 決まりが悪く目を背ける柊摩に、白波瀬は咎める口調で続けた。


「鴫くんに話をするに当たって色々言われてるんだけどさ、私は別に学校説明会とかの資料を作り直さないといけなくなるからとか、同調圧力とか、そんな理由で勧めてるんじゃないの。何か一つでも経験しておけば、それが鴫くんの力になると思うから勧めてるの」


 なるほど、それで。

 漠然ばくぜんとではあるが、柊摩はこの話に安達先生が関与していた理由がわかった。

 加えて、僅かな羞悪しゅうおが帯びていたその口調の矛先ほこさきも。


「それは、ありがとう」

「いえ、どういたしまして」


 柊摩がこの世で一番嫌いなことは、他人に迷惑をかけられることと他人に迷惑をかけることだ。とは言え、それぞれ違った考えを持つ人ばかりの人間社会で、人間生きているだけで誰かに迷惑をかけているものだ。だからこそ、決して広くない人脈の中でも、近しい人は優遇したいと思っている。

 教師陣の意向だけでなく柊摩のことも考えてくれた白波瀬の行いには出来る限りむくいたい。


「こういうのってきっかけがないと入れないでしょ。鴫くんこれ逃したらおそらくずっとこのままだよ」


 実際今までにも入部の話は出てきて、そう言う意味ではきっかけはあったのだろう。ただ、柊摩が踏み込むにしてはそれらのきっかけは浅すぎて、決断まで至らなかったのだ。

 それが自分にとって不利なのかどうかと言われれば、少なくとも有利にはならない。けれど別にそれでいいと思っていた。手前勝手な言い分だともちろん柊摩も理解しているが、そういった一歩を踏み出すのが正直なところ面倒なのだ。

 それこそ白波瀬が言う通り、その心持ちはおそらくずっとこのままなのだろう。

 自嘲じちょう気味ぎみに笑って、柊摩は答えた。


「まぁなるべく早く見つけるよ」

「うん、」


 白波瀬は苦笑をこぼす。


「だめ。今書いて。今提出」


 そう言われても。


「俺今すぐに自分に合った部活を選べる自信がないんだが」

「それは鴫くんのこれまでの怠慢たいまんが原因でしょ」

おっしゃる通りです」

「じゃあ空欄のままにしたらいいじゃん。ランダム要素があって面白そう」

「なんだよその部活ガチャ。入部理由言ったら殺される自信あるぞ」


 と言うか部活動の団体名を空欄にしたらランダムで選ばれるっていう仕様とか本当にあるのか。おそらく今まで誰もやったことがないだろうから、確かに面白そうではあるが。

 じゃなくて。


「女テニとか引いてたらどうすんだよ!?」

「嬉しくないの?」


 そんな真顔で言われても。


「…………、」


 いや、…………嬉しくない、……ことはない、か。

 白波瀬の眼差しが冷たく、みて、痛い。


「……。一回本当に殺されてきたらいいのに」

「それなら今のお前の視線で既に一回殺されてるからもう間に合ってる」


 だいたい今のは柊摩だけに非があるとは思えない。


「ねぇ鴫くん早く帰りたいんでしょ? さっさと書いちゃいなよ」

「その言い草なに。俺は今尋問されてるの?」

「自覚ないの? 今の鴫くんはばっくれ罪と謝罪未遂罪しゃざいみすいざいに問われてるんだよ」


 それを言うのなら白波瀬にはラブレター偽造罪で捕まって欲しい。もちろん口には出さないからいずれ時効になるのだが。


「ちなみに一筆書いたら罪は帳消しにしてあげるよ」

「悪い警察官だな」

「冗談はいいから」


 あれやこれやと話題を逸らして署名をしぶっている柊摩に、白波瀬は口を尖らせる。それから雑にボールペンを放り投げてきた。


「別に部活に入りたくないわけじゃないんでしょ?」

「まぁそうだけど」


 机の上を転がって、床に落ちそうになったボールペンを寸前で手に取る。


「んじゃあ何に躊躇ためらってるの?」

「まぁぶっちゃけ面倒なんだよ」

「面倒?」

「部活に入ることで人間関係を作らないといけなくなったり、生活習慣を変えないといけなくなったり。それにそんな奴が入ってきたら他の部員にも迷惑だろうし」


 好きなこととかやりたいこととか、同じ共通のもの事に対して何かしらの思いがあってその部に入部した人と、そうではない異分子が上手くやっていくのは難しい。


 人付き合いがあまり得意ではないと自覚している柊摩ではあるが、入部してしばらく経てばその内その環境にも慣れていくとは思う。けれどそんな面倒なことを、あえて、態々わざわざやる必要がないと感じるのだ。


「それじゃあ、その辺りの面倒ごとは私が引き受けてあげるよ」

「うん……、え、あ、はい?」


 話の流れは、柊摩は部活に入らない、へと向かっていたはずが。それに面倒ごとを引き受けるとはどういうことか。

 頓狂とんきょうな声をあげる柊摩に、対する白波瀬は一笑に付すると泰然たいぜんとした態度で続けた。


「まず男子がいて、部としての目標が曖昧で、入部条件が低くて、部員も少なめで、言い方悪いけど稚拙ちせつな部活がいいよね?」

「いやちょっと待って欲しい、」


 と言うか稚拙って本当に言い方悪いな。


「確かにある程度真面目にやってるところの方が鴫くん的には良いか。クラスメイトは居る方がいい?」

「俺って本当に今日どっかの部活に入るの?」

「うん。さっきも言ったと思うけど拒否権は無いよ」


 一瀉千里いっしゃせんりの勢いで話が進んでいく中、当の本人柊摩だけが取り残されている。


 白波瀬は言った。面倒ごとは引き受けると。しかし、その意味が柊摩には全くわからない。ここで言う面倒ごととは、人間関係の構築とか生活習慣の見直しとか、全て柊摩自身にまつわることだ。それを引き受けると言うのは。


「別に入部してそこが気に入らなかったら辞めたらいいじゃん。言い訳はちゃんとあるし」


 言って白波瀬は人差し指を自分の胸に当てる。


「それならみんな納得してくれると思うよ。今後この話が持ち上がることはなくなるだろうし」


 確かに、白波瀬に強制的に入れさせられたという言い訳はそれなりに受け入れられるだろう。もっとも柊摩の評価は下がるかもしれないが。

 それに一度入って辞めた人に以降手を掛けることはなくなるという話もうなずける。

 けれど。


「いや、だからって、辞める理由があるなら部活に入れるってのはおかしいだろ」

「じゃあ鴫くんがそう簡単に辞めない部活を選んであげるよ」

「なっ、」


 呆気に取られて喉元まで出かかった言葉さえ忘れる柊摩。

 ここに来て白波瀬の言い分は全くの不合理なものだ。柊摩さえ考えてもいない問題を解決すると言うのだから。


「なら鴫くんに聞くけどさ。自分で考え抜いて、これだって思った部活が実際入ってみて必ず満足いくものだって断言できるの?」

「それは断言できないが。だからって、」

「そんな理屈並べて――」


 柊摩の言葉を遮るように語調を強めて言った白波瀬は、一泊置いて続けた。


「また、先送りにするの?」


 一転その声色はどこまでも和らいでいて、たたえた顰笑ひんしょうは凄絶に美しかった。


「鴫くん、そのままじゃ勿体もったい無いよ。青春謳歌しないといつか後悔するかもしれないよ」

「…………」

「何もやらないより、何かやった方がいい。無知でいるのは怖いことだよ。そう思わない?」


 自分の知らないところで起こった問題が、知らないうちに結論が出ていて、その結果だけが無遠慮ぶえんりょに無慈悲に襲いかかってくるなんてこと到底容認できない。断固として看過かんかできない。白波瀬の言う通り、無知でいることは怖いことで愚かなことだ。


 けれど、その怒りも恐怖さえも、知らないままでいられるのなら、その方が楽なことだってある。無知のまま甘い蜜だけを吸い続けるそんな理想郷に身を隠す方が生き易いと、柊摩は思うのだ。


 だからその問いかけに無反応を示した柊摩に。白波瀬は、はっきり言明した。


「私は鴫くんが満足いく部活を選べるって断言できるよ」

「……根拠はあるのか?」

「もちろんあるよ」


 目線を上げた柊摩に、白波瀬は苦笑する。


「でも、答え合わせは最低でも問題文を読んでからじゃないとしないよ」

「一度入部しろってことか?」

「そう言うこと。その代わり部活選びも入部してからのことも任せてくれたらいいよ」


 その言葉、おそらくそのままの意味なのだろう。それこそ柊摩が抱えた問題さえも、任せてくれと。


「お前、変わってんな」


 世話焼き、なんて一言で済ませられる次元じゃない。白波瀬のこれは異常だ。

 だからそれが事実なら、そんな悪態もつきたくなる。

 言われた白波瀬はまるで気にせず、けろりと返した。


「優秀って言われるのには慣れてるから」


 そうですか。


「それじゃあ入部するよ。斡旋あっせんよろしく頼む」

「おっけー」


 全てにおいて半信半疑だ。満足のいく部活に入れることも、学生生活が変わりそうな予感も、自分が部活に入部することすらも、実感はない。

 けれど、柊摩はくるりとペンを回して、入部届に著名した。




 †††




 五月二日水曜日。午後四時十五分。

 あれから白波瀬とは何も話していない。

 柊摩がどの部活に入部することになったのか、入部の話はどこまで進んでいるのか、未だわからないまま。

 とりあえず今日は下校することにして、着いた下駄箱。自分の靴箱の中には丁寧に三つ折りにされた一枚のルーズリーフが入っていた――。




  ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


   鴫 柊摩くん


   鴫くんに伝えたいことがあります.

   放課後、本館4階視聴覚室に一人で来て欲しいです.


                    白波瀬 詩織


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