第2話「九割も五分もないけれど、それでも青く染まってます。 ②」


 白波瀬しらはせ詩織しおり――柊摩しゅうまが属する二年B組の学級委員でもある彼女は才色兼備でありながらも、人当たりの良さから男女共に慕われており、それはクラス内だけに留まらず、一学年、否全学年、八重咲高校における超人気者である。

 そんな彼女と、放課後、二人きり。見方によっては絶好のシチュエーションで狂喜乱舞するのかもしれないが、今の柊摩は冷汗三斗れいかんさんと。肝心なことは何も理解できていないが、自分が浅はかだったことは判然と理解していた。


「私、通学に少なくとも一時間半かかるの。で、先週金曜日下校したのは六時半。一度家に帰ったらバイトに間に合わないからそのまま直交して、ようやく帰ってきたのは十一時。あの日は超大変な一日だった」


 片肘突いて、満面の笑みの白波瀬。


 今になって冷静に考えれば、金曜日靴箱に入っていたあの紙がラブレターだと断定することはできないのだ。にもかかわらず、それを柊摩は。

 別段浮かれているつもりはないはずとかうんとか言っていたが――白波瀬との色恋沙汰が面倒だって、そんな想定をしてる時点でどう考えても浮かれているのだ!


 白波瀬の余裕綽々とした、まるで罰の裁量は私が握っているとでも言いたげなその表情が何より、これから告白するなんてことはあり得ないと雄弁に物語っている。

 嗚呼、自分が如何いかに思慮浅いことか。慙愧ざんきえない。あんな愚考出来るのなら無かったことにしたい。


「立ちっぱなしもなんだし、とりあえず適当にかけて」


 言われるがまま、柊摩は出入扉に一番近い席に腰を下ろした。

 それを見て白波瀬は話して下さいと手のひらを柊摩に差し向ける。


「まぁあれだ。その日は家で用事があったんだ」


 別段、まるっきり嘘というわけでもない。授業が終われば可及的速やかに家に帰ろうと事前に予定を立てていたのは事実だ。


「用事?」

「そうだ。俺だって忙しいんだよ」


 言って大げさに腕時計を鳴らす柊摩。残り時間は二十七分。


「そう。ちなみにその用事って見過ごした深夜アニメの視聴じゃないよね?」


 ももも、も、もちろん違う。

 アニメの拝見拝聴以外にも、家に帰ってやることはある。


「金曜日の夜、しぎくんの友達の久門ひさかどくんから聞いたんだけど、鴫くんって十二時には寝るからそれ以降に始まるアニメは平日の場合その日の夕方に見るんだよね。で、金曜深夜は二時から魔女っ子アニメ? が再放送されてるらしいね」


 おのれ久門くもんの野郎、べらべらと口を滑らせやがってしばらく友達辞めてやる。

 内心で毒づく柊摩を見つめる白波瀬は微笑を湛えたまま、女神のような柔らかな声音で再度問いかけた。


「その上でもう一度聞くね。下校時刻まで一途いちずに鴫くんのことを待ち続けていた私が納得できるお話し、是非聞かせてもらえる?」


 完全に詰みである。どう答えても白波瀬相手に言い逃れられる自信がない。ただでさえ自責の念にさいなまれて、常の思慮が脅かされているのだから余計にだ。


 ならば、それこそ本当のことを言うか? 白波瀬から受け取った紙をラブレターと勘違いしてそういうの面倒だから帰ったって。

 そんなことを話した結果は目に見えている。おそらく今この場で大爆笑された挙句、明日にはクラス中どころか学校中に滑稽こっけいばなしとして広がっているだろう。


 進むも地獄退くも地獄止まっていても地獄とはこのことだ。


「なに? 考え中?」


 あからさまに「言い訳の」と含んだその言い草。完全に遊ばれている。

 一息ついて、柊摩は答えた。


「そうだな。まぁその話をしても良いんだが、中々込み入っていて三十分で話し終える自信がない。それより限られた時間を有効活用すべきじゃないか? 例えば、あの手紙曰く白波瀬さんは俺に伝えたいことがあったとか、それについて話すとか?」

「ふふっ、鴫くんはあくまでも三十分で帰るつもりなんだね」


 苦し紛れとは言え素晴らしい回答だろう。この短時間でよく思いついたものだ、と、自画自賛する柊摩は若干頬が緩む。

 対して白波瀬は柊摩を白い目で見る。


「これだけ遅刻しておいて」

「それは不可抗力ってやつだ。俺は悪くない」

「……まっ、いいよ。貸しってことにしてもらうけど」

「貸しじゃなくて借りの間違いでは?」

「…………」


 その沈黙は返す言葉を失った時の、驚愕あるいは呆然ぼうぜんの間だった。


「私の中で鴫くんの株がものすごい勢いで大暴落してるんだけど大丈夫?」

「問題ない。俺は持ち株が多いんだ」

「解釈が間違ってると思うけど、わかってて言ってるの? すごい自信ね」


 どうもありがとう。

 ちらっと確認した時計の針が指すところは十六時三十九分。さっき確認してから一分しか経っていないのだが、もしや時計が壊れたか?


「悪い、さっきから時計の調子がおかしいんだ。これから時計屋に行こうと思うんだが、話が終わったならもう帰っていいか?」

「いい訳ないでしょ。話終わってないし。なんなら始まってもいないし」


 いぶかしんで腕時計を見つめる柊摩に、白波瀬は目を丸くして告げた。


「鴫くんってすごいね。頭おかしいと思う」

「それ褒めてんの? けなしてんの?」

「純粋な感想。別に他意はないよ」


 そうですか。


「それで、伝えたいことってなんですか?」

「はいはい。えっと、」


 言って白波瀬は消えた。それから数秒の間をおいて机の下から姿を現した。右手に一枚のA4用紙を携えて。


「鴫くん、部活に入ってください。異論反論抗議口答えそれに準ずる全てのものは一切受け付けません。〝はい〟と二文字告げてからここに名前を書いてください。もちろん拒否権はありません」


 そう告げて、白波瀬は入部届を差し出した。

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