第3話 津クエスト

 2010年7月7日、アサミはMos検定に見事クリアした。

 MOSは就職に有利な資格といわれてる。 実際、事務職や営業職などオフィスでの仕事を希望する場合は、資格があると有利なケースが多い。 MOSはWordやExcelといったオフィスソフトの操作スキルを証明する資格なので、パソコンを使う職場では重宝される。

「君には才能があるウチで働かないか?」

 表彰式のとき教室でダイモンから言われた。

「私なんかでいいんですか?」

「他に行き先でもあるのか?」

蓮田はすだにあるクリニックに受験したのですが、失敗しました」

「受験?」

「あ〜スミマセン」

「学校じゃないんだから」

「何でもします!」

「本当か? いくら位ほしい?」

「月25万」

「善処しよう」

 スキップしながらスーパー『バンドウ』に向かい、イートインスペースで赤飯ときんぴらごぼう、スペアリブを食べた。この店はお茶や水が無料で飲めるからいい。我ながら賢い選択だ。コンビニだと最低でも500円はかかってしまう。暑いので水を3杯飲んだ。


 最初はExcelやWordを生徒に教えるのが仕事だった。昼休みに生徒たちとトランプで遊んだりした。

 8月12日、残業時間に資料を作成していると後ろに妙な気を感じたので振り返るとダイモンが立っていた。ダイモンは黒光りする銃を握っていた。

「ルガーP08」と、アサミが言うとダイモンは「賢いな?」と、冷たく笑った。

 

 ヒューゴ・ボーチャードが開発した大型拳銃ボーチャードピストルを原型にゲオルグ・ルガーが改良・開発したもので、自動拳銃黎明期の成功作の一つであり、支点で二つに曲がって伸縮する“トグルアクション”式機構が大きな特徴である。その独特な機構の動きから、尺取虫の愛称で呼ばれた。

 口径は9 mm、装弾数はシングルカラム・マガジンによる8+1発である。

 使用弾薬は9mm×19パラベラム弾であり、20世紀から21世紀にかけて自動拳銃用の弾丸として広く使われているこの拳銃用弾薬は、元来はこの銃のために開発された。「パラベラム」とは、ラテン語の「Si vis pacem, para bellum(「平和を望むならば戦いに備えよ」という箴言)」から採られており、「戦争に備える」の意味で、当時DWM社が商標化した。

 なおアメリカの大手銃器メーカーであるスターム・ルガー社(Sturm Rugerと表記)とは、ゲオルグ・ルガー技師や製品を含め無関係である。

「今から言う指示に従え。従わなかったら命はないぞ?」

 ダイモンはアサミに銃口を向けた。

 DVDで見た『太陽にほえろ!』のジーパン刑事の殉職シーンを思い出した。会田ってチンピラに撃たれて蜂の巣になり、『なんじゃこりゃ〜!!』と、血を吐いて倒れて、地面の上でタバコを咥えながら死んだ。

 あんな風になりたくないな。

「しっ、従うから殺さないでください」

「賢い選択だ」

 ダイモンが銃を下ろした。

 ダイモンはアサミの隣に座り、話をはじめた。

『メーティス』の正体はスパイ機関だった。

 ダイモンもかつては『パイロン』に勤務していた。『パイロン』はアサミが以前勤務していた介護施設だ。創業者が白龍パイロンという名前なのだ。パイロンは宅麻伸たくましんに似ている。

「ガモウってババァにいいように使われた。送り迎えとか、夜の相手とか……アソコが小さいって理由で捨てられた。他にも殴ってくる奴とかいた。こう見えても東大出てるんだぜ? なのに排泄介助が遅いって理由で高卒扱いだ。3年で辞めたよ。3年も働いたんだ、我ながら根性あると思うよ」

「奇遇ですね? 私もそこに勤めてました。確かにボスの言うように酷い会社でした。私もガモウから酷い目に遭っていました」


 アサミはガモウの恋人の過去を調べ、匿名電話でガモウをからかい、さらにマンガ喫茶にあるサーバーから、ガモウのメールをはじめ何千ものファイルを盗み出した。

 アサミはファイルに含まれたデータの重要さに驚愕する。その中にはガモウがコンピュータウイルスのワクチンを作るために最初に作ったウイルスもあり、それはセキュリティを無効にし、電気や電話などのインフラ設備に侵入できる、国を支配できかねない物だった。

 暗号化されたそれをアサミは解読しようと考える。また、アサミが潜伏するダイモンの自宅の捜査令状の要請が出たことも、アサミは埼玉県警のメールを盗聴して知り、捜索が入る前に脱出する。さらに水道局や電力会社にアクセスし、捜索にあたったイマガワ捜査官の家の水道や電気を止めてしまう。


 ガモウの家の留守番電話(ボイスメール)に脅迫のメッセージが吹き込まれた。ガモウは同僚に事態を説明する。自宅のパソコンにあった重要なデータは残っている。パソコンが唯一接続しているセンターのサーバーの防御壁を破って侵入されている。侵入者がパソコンに入り込んでデータを探し回った形跡から、ガモウはアサミが犯人と睨む。


 その頃アサミはイマガワら捜査官の写真を入手しようとしたが失敗し、すんでの所で追っ手を撒いた。アサミはダイモンとともにセスナで津市へ逃亡する。


 津市は、三重県の県庁所在地であり中勢地域に位置する都市。 伊勢平野のほぼ中心部にあり、海沿いに市街地がある臨海都市である。人口は四日市市に次いで県内第2位。面積は県内最大である。都市雇用圏の人口は約50万人。日本で最初に市制施行した31市の中の一つである。計量特定市に指定されている。

 

 津の市街地は、藤堂高虎が中世以前からの既存の町に大改造を施して建設した城下町を起源とする。高虎は北を流れる安濃川(塔世川)と、南を流れる岩田川を天然の外堀として利用し、川に挟まれた中央に津城を置き、海寄りの東側に町人地、西側に武家地を配置し、町人地に伊勢参宮街道を引き入れることで繁栄の基礎を築いた。このため城下町へ入る北側の塔世橋と南側の岩田橋が地域感覚の基礎となり、塔世橋以北を橋北きょうほく、岩田橋以南を橋南きょうなん、塔世橋と岩田橋の間を橋内きょうないと呼んでいる。岩田橋の周囲には高札場や道路元標が設けられ、津松菱もここに建っている。市街地の核は 丸之内や大門を擁する橋内であり、橋南も江戸時代初期から町場化していた。一方、県政の中心となる三重県庁や都市の玄関口である津駅は、かつての「町外れ」である橋北にある。三重県庁は所在地が明治期に四日市に一時移転して津に戻ってきたという事情もあり、既に数多くの公共施設や商業施設が建設されていた橋内に適地が見つからなかった。また、津駅も建設当時、北側から延伸してきた鉄道の終着駅であったため、県庁と同様にそれぞれ津の入り口にあたる橋北に建設された。以上のような歴史的経緯もあり、橋北地区は明治期以降に新しい都市核として成長していった。


 江戸時代の伊勢参宮街道だった頃は屈曲していた、塔世橋と岩田橋を結ぶ国道23号は、明治期に直線化され、1939年(昭和14年)に幅員20 mに拡幅、更に戦後復興で幅員50 m・片側4車線の道路になった。またこれに直交する形で幅員36 m・片側2車線のフェニックス通りが建設され、橋内の東西軸が完成した。一方で、幅の広い国道23号の完成によって市街が東西に分断されてしまい、幹線道路から外れた大門の賑いが削がれ、津城跡も目立たない存在になったという側面もある。


 アサミとダイモンは青山高原ウインドファームにやって来た。風力発電事業及び電力の供給を行う日本の企業であり、かつ同社が保有する青山高原に位置する集合型風力発電所の名称である。中部電力グループのシーテックのほか、三重県津市と伊賀市が出資する第三セクターで、出資する両市に跨って位置している。


 JFEエンジニアリング製のローター直径50.5m、タワー高さ50m、出力750kWの風力発電機が20基と、日立製作所製のローター直径80m、タワー高さ65.4m、出力2000kWの風力発電機が40基の、合計60基が建てられており、最大出力は95,000kWで、日本の風力発電所の中では最大である。


 なお、青山高原には、青山高原ウインドファームの60基、ウインドパーク久居榊原の2基、ウインドパーク美里の8基、ウインドパーク笠取の19基をあわせて発電用風車が89基建てられている。

 

「ドン・キホーテになった気分だ」と、ダイモン。

『ドン・キホーテ』は、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説。 騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった郷士(アロンソ・キハーノ)が、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗って冒険の旅に出かける物語である。1605年に出版された前編と、1615年に出版された後編がある。

「サンチョ・パンサっているでしょ?」

「ドン・キホーテの相棒だろ?」

「パンサって太鼓腹たいこばらって意味なんだって」

「アサミって最近太鼓腹になったな?」

「どーゆー意味よ!?」


 そのとき、黒いワゴンが颯爽と現れた。スライドドアが開いて、ガモウとキラが現れた。キラも介護ヘルパーで、どことなく内藤大助に似ている。主に入浴介助を担当していた。

 WBC世界フライ級王者。第49代日本フライ級王者、第35代OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジムに所属していた。

 北海道虻田郡豊浦町出身。マネジメント先はトラロックエンターテインメント。血液型O型。既婚。2男の父。

 キラは口髭を生やし、西洋風の赤色の軍服を着用している。

 キラはホルスターからベレッタM92Fを抜いて、アサミに照準を合わせた。

「あぶないッ!」

 ダンッ!!

 ダイモンが盾になってアサミを庇った。ダイモンはアスファルトの上に仰向けに倒れた。

「ボスッ!!」

 このままじゃ私もあぶない!と、アサミが思った次の瞬間、キラの眉間に穴が開いた。ほど近い場所にあるマンションの屋上の上にスナイパーがいる。

 ガモウが狼狽ろうばいしている隙に、アサミはノートパソコンタイプのサブマシンガンをぶっ放した。ガモウは蜂の巣になり、口から血を吐きながら死んだ。

「アンタのことがずっと憎かった」

 アサミは、うつ伏せに倒れてるガモウの屍をシューズで蹴った。

 ダイモンが起き上がった。

「死んだんじゃなかったんですか!?」と、アサミは素っ頓狂な声を上げた。

「コイツを着ていたからな」

 黒いTシャツをめくった。タクティカルベストを身に着けていた。

「死んだふりしてないで助けてくださいよ」

「だって怖かったんだもん」

 どことなくガキっぽい言い方。


「アサミ、大丈夫か?」

 黒いギャップを目深に被ったスナイパーが駆けつけた。どことなく長谷川博己はせがわひろきに似ている。

「タカギじゃないか……」

「おまえらが危険な目に遭ってるのに気づいて冥土からやって来たんだよ」

 タカギはアサミの同士で、巨悪カンバラの手下、ナーグモの放った矢によって射殺されるが、ナーグモの手下であるライフルに剣で殺されそうになったときあの世から助けに来てくれた。

「あれから約半年か……」

「そっちの世界は楽しいか?」

「あぁ、どれだけ女と交わっても天国はどんなものでも無料になるから最高だよ」

「そりゃよかったね?」

「話は変わるが、近い将来にでっかい災害が起きると俺は読んでいる。おそらく、来年の2月だ」

「どんな災害だ? 水害か? 竜巻か?」

「そこまでは……」


 レンタカーを借りようと思ったが、既に指名手配されてるかも知れないと思ったので徒歩で津市を散策した。途中立ち寄ったガソリンスタンド跡で、人相を変えるために鼻翼を左右から縫い縮める自己整形手術を行った。アサミが真矢みき、ダイモンが薬丸裕英やくまるひろひで、タカギがラサール石井みたいな顔になった。医療キットはアサミのものだ。

「幼い頃は医者を目指してたんだ」と、アサミはゴム手袋を外しながらタカギに言った。

「それが何でヘルパーに?」と、タカギ。

「父親の収入じゃ医大に行けなかったんだ」

「どうでもいいけど、腹が減ったな」

 ダイモンが溜息を吐いた。

 津市には午前11時くらいに到着したが、ゴタゴタがあったので昼飯を食いそびれた。

 アサミがアロハシャツの袖を捲り、CITIZEN時計を見た。

「もう16時だ」

 昼と夜の間の食事は寿司だった。池畑慎之介いけはたしんのすけの歌にそんなフレーズの奴があったな?

 アサミは思い出せずに悩んだ。

 津が発祥地の食べ物は、天むす、いちご大福(全国各地に発祥を表明している店があり、津市の「とらや本家」もそのひとつ。正確にはわかっていない)、味噌カツ、ひつまぶし、うなぎなどがある。

旧津市域は、人口比で日本一鰻屋が多い都市であり、人口1人あたりの鰻消費量も日本一である。これは、元々は江戸時代に藤堂藩が藩士の滋養強壮と士気向上のために鰻食を奨励し、各地から鰻屋を津城下に集めたことに端を発する。その名残で以前は津市周辺には養鰻場が存在したが、1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風で打撃を受け、その多くは廃業したものの、市民に広く浸透していた鰻の食習慣は残った。津市においては、他地域とは異なり鰻が大衆食となっており、特に中心街の大門・丸之内地区などでは、2010年代以降の鰻の価格高騰を迎える以前は、最上級の「特上」丼(鰻五切入り、肝入り吸物付き)でも1,500円程度で食すことができた。


「津市は津ぎょうざも美味しいんだ」

 大トロを頬張り、アサミが言った。

「上田晋也も顔負けのウンチク王になれるな? 飯食いながら喋るな、きたねー」

 タカギが舌打ちをした。

 津ぎょうざとは、直径15cmの大きな皮で餡を包み、油で揚げた揚げ餃子である。起源は学校給食であり、1985年頃に考案され現在も提供されている。2008年から飲食店やイベントで販売されるようになった。いわゆるB級グルメのひとつである。

 上がりはやっぱり玉子、店から出てダイモンがシブがき隊の『スシ食いねェ!』を小声で歌った。

「トロは中トロ コハダアジ(ヘイ・ラッシャイ)

アナゴ甘エビしめサバスズキ(ヘイ・ラッシャイ)

ホタテアワビに赤貝ミル貝(ヘイ・ラッシャイ)

カツオ カンパチ ウニ イクラ(ヘイ・ラッシャイ)

 ここのスシ屋は日本一

 スシ食いねェ スシ食いねェ スシ食いねェ!

 アガリ アガリ アガリ ガリ ガリ ガリ」

この歌は、シブがき隊の楽曲で18枚目のシングル。1986年2月1日に発売。

「セスナは諦めた方がいいでしょうね?」と、アサミが爪楊枝で、歯に挟まったガリを除去しながら言った。シーシー。

「オヤジかよ? うん、マッポが既にマークしてるかも知れない」

 ダイモンが苦笑いしてる。

 整形してしまったのでレンタカーは使えなくなった。免許書を掲示する必要があるからだ。徒歩、自転車、タクシー、バス、列車、船、飛行機が利用手段だ。

 3人は津城跡にやって来た。

 太陽が西に傾き、空が暗くなりつつある。カラスがけたたましく鳴いている。

 津城は三重県津市丸之内にあり、津市街の中心部に位置する。北は安濃川、南は岩田川に挟まれ、これらを天然の大外堀としていた。江戸時代初期に築城の名手・藤堂高虎により近代城郭として大改修され津藩の藩庁となった。江戸期の津城は中央に内堀で囲まれた本丸と、それに付属して東丸・西丸があり、本丸・東・西丸を取り囲んで二の丸が配された輪郭式の平城であった。


 現在の城跡は「お城公園、お城西公園」として整備されている。また、その他の城址には津市役所や裁判所、津警察署などが建ち並んでいる。

 

 現在の津市の古称は安濃津あのつであり、平安時代より伊勢国政治経済の中心地となっていた。鎌倉時代は藤原南家の流れの工藤氏を祖とする長野氏が支配していた。


 津城の起源は戦国時代の永禄年間(1558年 - 1569年)に、長野氏の一族の細野藤光が安濃・岩田の両河川の三角州に小規模な安濃津城を構えたことに始まる。


 永禄11年(1568年)織田信長の伊勢侵攻により織田掃部頭(津田一安)が入城。翌年には織田信包が入城した。信包は城郭を拡充し、石垣を普請し堀を巡らせて、本丸・二の丸・三の丸を整備した。天正5年(1577年)には5重天守と小天守を落成した。


 後世に津藩が古老の伝え語りや実見をまとめた『累世記事』によると、伊勢情勢に詳しかった滝川一益がこの地に城を建てるよう進言し、一益が縄張りをして信包に渡したとされている。


 また信包は母の土田御前や妹のお市の方、姪の茶々、初、江を引き取り、この津城もしくは伊勢上野城(伊勢国)で保護をしていたとされてきた。しかし、近年の研究によると、当初、お市の方と三姉妹を保護したのは信包ではなく、信長、信包、お市達の叔父である織田信次であることが明らかとなっており、お市と三姉妹が滞在していたのも守山城であることが証明されている(『溪心院文』)。


 豊臣家の時代になると、文禄3年(1594年)信包は秀吉の命により丹波国柏原へ移され、翌文禄4年(1595年)7月、豊臣家家臣の富田一白が5万石(6万石とも)を与えられ入城した。一白の子、信高は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍につき、西軍方の毛利秀元・長宗我部盛親軍3万の軍勢に城を攻撃された。迎える信高と援軍にきた分部光嘉の連合軍は1,300人と劣勢であったため苦戦を余儀なくされ、城内の建造物の大半を焼失した。奮戦の末、木食応其の調停により開城となった。しかし、この奮戦により戦後、江戸幕府より2万石の加増を受けた(安濃津城の戦い)。


 慶長13年(1608年)信高は伊予宇和島藩に移封となり、代わって伊予今治藩より藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石をもって入城した。高虎は城の大改修に着手し輪郭式の城郭に変貌させ、城下町を整備した。以後、明治維新まで藤堂氏の居城となった。


 大坂の陣の功により元和元年(1615年)と元和3年(1617年)に5万石ずつの加増を受け、藤堂氏は32万3,000石の大大名となった。


 なお、天守は関ヶ原の戦いで焼失し再建されなかったとされる。しかし、近年の研究では寛永年間(1624年 - 1643年)に描かれた絵図に三重天守と二重小天守が描かれており、これは富田氏が再建したと思われる。そして、その天守は寛文2年(1662年)の火災で焼失し、幕府への遠慮から再建されなかったと考えられている。


 津は江戸期を通じて伊勢神宮参拝の宿場町として栄え「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭に謡われた。


 明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、以後、建造物は破却されていった。その後、「お城公園」として本丸跡に日本庭園が整備され、昭和33年(1958年)に丑寅櫓跡に隣接する多聞櫓跡地にコンクリート製の模擬隅櫓(三重櫓)が復元された。旧来の丑寅櫓とは場所も形も全く異なっており、史実を無視した観光用の模擬櫓である。


 現在本丸跡の日本庭園入口には藩校有造館の正門の入徳門が移築現存している。


「もしや……」

 タカギは津城跡近くにある祠の前にやって来た。

 後から着いてきたアサミが、「こんなところに来てどーすんの?」と怪訝けげんそうな顔をした。

 祠は鍵が掛かり、扉は固く閉ざされていた。

 タカギは祠の壁からニュルリと入り込んだ。

「どうなってんだ?」

 アサミは唖然としている。

「おっ! あった!」

 タカギの声が響いた。

 タカギが先程と同じ方法で出てくる。

 彼は赤く光る玉を手にしていた。

「それって前に言ってた……?」

「やるよ」

「いいの?」

「俺にはこれがある」

 タカギはリュックから青く光る玉を取り出した。

「それなーに?」と、アサミ。

「コイツでどんな壁でも通り抜けれる」

「なるほど、そういうことだったのね?」

 アサミは赤い玉を受け取った。

「これで化け物を倒せる」

 後ろからやって来たダイモンが肩をポンッ!と、叩きながら「よかったな」と言った。


 その後、アサミたちは伊勢の海県立自然公園にやって来た。中勢地域沿岸部一帯に広がる県立自然公園だ。鈴鹿市長太ノなごのうらから津市香良洲町に至る、全長28kmの海浜地帯である。白砂青松の海岸が広がる。


 複数の海水浴場があり、海水浴の他に釣り・潮干狩り・キャンプなどが楽しめる。5月上旬には、アサリの潮干狩りもできる。


 津市には、津競艇場、津なぎさまち、白塚海岸(ハマボウフウなどの海浜植物が見られる)、三重マリンセンター海の学舎などのマリンスポーツや海辺に親しむ施設がある。

 

 周囲は闇だ。灯台の光がクルクル回り、周囲を照らしている。アサミたちはログハウス風の軽食屋『STORM』にやって来た。イガラシという渡瀬恒彦わたせつねひこに似た中年がオーナーだ。イガラシの正体は逃がし屋で、ダイモンの旧友だ。

「おまえもいい歳だろ? 危ない真似はもうやめろ」

 イガラシがドアのところにある『OPEN』という札を『CLOSE』に変えた。

 イガラシを先頭に地下への階段を降りる。

 地下室は武器庫になっていた。様々な武器が眠っている。

 アサミはグロック17を選んだ。オーストリアの銃器メーカーであるグロック社が開発した自動拳銃。口径は9mm(9x19mmパラベラム弾)。装弾数は複列弾倉(ダブルカラム・マガジン)による17+1発。

 アサミたちはクルーザーに乗り込んだ。

 リキタケ、イシイ、ギオン、ジンナイという4人も一緒だ。


 夜の海は静謐な雰囲気とともに、不思議な魅力を放っていた。しかし、その静謐が突然に破られてしまった。荒波に揉まれる船上での銃撃戦が始まった。船酔いしそうな程の揺れの中で、2つのグループが銃を構え合い、蹴り上げられる波間からは発砲音が激しく響き合う。アサミは相手の視界に入らぬよう闇に紛れた。

 不意に銃声が鳴り響いた。

「クソッ!音の方角が分からない」

 アサミが困惑そうな表情になる。

 アサミたちは不利な状況に陥っていた。ダイモンやタカギはオロオロしている。いつ、どこから次の銃撃が飛んでくるか分からない。

 緊張感にアサミたちの視線は黒い海面を走る波に集中していた。突然、波間から現れた2人のシルエットが目の前の静寂を一気に崩した。2人はモーターボートを疾駆させていた。

「あっちだ!」

 反応が遅れた相手を、アサミは銃で撃ち抜いて、その場で仕留めた。夜の海は再度、静かで穏やかな雰囲気を取り戻した。

 一難去ってまた一難、暗い海底から妖怪が現れた!

 妖怪の正体はトモカヅキだ。

 トモカヅキとは、「同一の潜水者」の意味で、「かづく」(潜く)とは「潜水すること」「潜水して、魚介類を採取すること」を意味する古語であり方言である。


 トモカヅキは、海人などの海に潜る者にそっくりに化けるという。つまり、海には自分一人だけのはずなのに、自分そっくりの身なりの人がいるということになる。この妖怪に遭遇するのは曇天の日といわれる。ほかの海女と違って、鉢巻の尻尾を長く伸ばしているのでトモカヅキだとわかるともいう。

 ドッペルゲンガーみたいだ。


 トモカヅキは、人を暗い場所へと誘ったり、アワビを差し出したりする。この誘いに乗ってしまうと、命が奪われると恐れられている。このときには後ろ手にしてアワビを貰えば良いという。


 トモカヅキに遭った海女はそれ以降、ほとんど海に潜る仕事はしない。それどころか、その話を聞いただけの近隣の村の海女ですら、日待ちといって2,3日は海に潜らないほど、海女たちはトモカヅキを恐れたという。


 海女たちはこの怪異から逃れるため、五芒星と格子の模様を描いた『セーマンドーマン』または『ドーマンセーマン』と呼ばれる魔除けを描いた服、手ぬぐいを身につける。陰陽道で知られる安倍晴明や蘆屋道満に由来するともいわれるものだが、トモカヅキとの関連性はよくわかっていない。


 海女の亡霊ともいわれるが、実際には過酷な長時間の海中作業による譫妄ではないかとも言われている。

 静岡県賀茂郡南崎村(現・南伊豆町)でも同様の怪異があったといい、ある海女がこれに遭遇し、海面に上がって船上の夫にそのことを言うと「バカなことを言うな」と言われてまた潜らされ、そのまま死んでしまったという話もある。


 アサミはトモカヅキ目がけてグロック17をぶっ放した。ドンッ!ドンッ!

 トモカヅキは呆気なく死んだ。

 トモカヅキを倒した報酬4万を手に入れた。

 

 その後、三重県警の調べによりリキタケ一味は麻薬カルテルであることが判明した。どこかで赤い玉の存在を嗅ぎつけたに違いない。


 

 

 

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