琵琶の者

 ミナルーシュが遠くに目をやっているのをいいことに、ルゥジゥは琵琶を〔インベントリ〕から取り出す。

 〔クエスト〕探しの途中だけど、腰を降ろしてしまえばこっちのものだ。ここらで琵琶を一つも弾かないとストレスが溜まって仕方ない。

 撥で弦を緩く弾けばミナルーシュも気づいて白い目で見降ろしてくるけれど、ルゥジゥは素知らぬ顔で琵琶の腹をたたいて音を響かせる。

「あー! へんな楽器のねーちゃん!」

 そんな二人の静かな攻防を大げさな叫び声がさえぎった。

 立っているミナルーシュと地べたに胡坐をかいているルゥジゥがそろって声の方にし線を向けると、小学校低学年くらいの少年がルゥジゥを指差している。

「どうした少年。この楽器は琵琶と言うんだよ」

 ルゥジゥは知らない子どもに指を差されても全く気にしないで、マイペースに琵琶を鳴らして会話をその間に挟む。

「ビワ? 聞いたことねーし、見たのもはじめてだっ」

「そうかそうか。元気のいい少年だな」

 自慢の楽器を全く知らないと言われてもルゥジゥは気を悪くした様子もなく、にこやかに少年と会話している。ルゥジゥ自身は琵琶を鳴らしながらしゃべっているので、どっちもどっちなのかもしれないが。

「ねーちゃん!」

「ん? なんだい?」

「おれのかあちゃんにその楽器聞かせてやってくれ!」

「いいよ」

『〔クエスト:儚き母〕を受領しました。詳細はシステムメニューより確認出来ます』

 ルゥジゥは少年の不躾なお願いを二つ返事で了承して〔クエスト〕を受注する。

 自分の琵琶を聴いてくれる相手がいるなら、それが誰であっても聴かせるのがルゥジゥの心情だ。

「ちょい待ち。行くのはいいけど事情くらい聞きなさいよ」

 〔クエスト〕を断るつもりはないけれど、ミナルーシュは最低限の情報くらいはほしくて、早速少年の後についていこうとしたルゥジゥを止める。

 腕と足を思いっきり振り上げていた少年は、ミナルーシュに呼び止められてコミカルに逆戻りする。

「うちのかあちゃん、元気がなくってずっと寝たきりなんだ。このねーちゃんの演奏聞けば元気がでるかもって思ったんだよ!」

「いい話じゃないか」

「ルゥジゥは琵琶が弾ければなんでもいいんでしょ?」

「そうだよ」

 ダメだ、こいつ、相変わらずまともに話しが通じない、とミナルーシュは疲れたように首を振った。

「ま、いいや。〔クエスト〕もちゃんと受けられたし、そういうことなんでしょ」

 ゲームの中で整合性とか考えても仕方ないとミナルーシュは割り切って少年の家に向かう。

 やって来たのは海外ドラマなんかで見たことのあるレンガ造りのアパートメントだ。

「なんか西洋のアパートって日本のより距離感が近い感じがするの、なんだろうね?」

「さぁ? よくわかんない」

 ドラマ自体を見ないルゥジゥはまったくミナルーシュに共感できていないけれど、ここにクシャナがいたらうんうんとうなずいていたかもしれない。

「ねーちゃんたち、うち二階だから。はやく」

「はいはい。女の子急かすとモテないぞー」

「えっ!」

 ミナルーシュが軽口で少年をビビらせている。

 おとなげないとルゥジゥはため息をついてから、少年が待つ階段に足をかけた。

 少年の家に入ると奥の部屋にまだ若い母親がベッドに横になっていた。

 少年が連れてきた客の二人を見て、けだるそうに上半身を上げようとするけれどミナルーシュが肩を押さえる。

「むりしないで。この子にあなたが元気なってほしいって音楽を聴かせてって頼まれてきたんだよ」

「それは……ご迷惑を」

「いや、琵琶を弾く理由をくれるんだったら、なんだってありがたいさ」

 ルゥジゥはあいさつをする前にもう床に座って琵琶を膝に乗せている。

 少年の母はルゥジゥの抱える楽器の形を見て驚きで瞳孔を丸くした。

「あら……それは、主人の故郷で見たことがあります」

「え、これを? 似てるけど別の楽器じゃなくて?」

 西洋ファンタジーのテイストが強いのに、琵琶なんて和楽器が流通しているだなんて変だと思って、ミナルーシュが疑問の声を上げる。

 でも彼女は間違いないと静かにうなずく。

「この子の父親は、【香雪こうせつ社都しゃと】の出身で、半年前に道がなくなるまでは年に一、二回、義理の両親にも子供を会わせていました」

 【香雪の社都】と言えば、確かに日本の古都のような街並みの和風ファンタジーな〔エリア〕だと掲示板にも書きこまれていた。

 それに半年前までは行き来できたというのも、世界の侵食の進度を把握できる情報だ。重要ではないかもしれないが、ミナルーシュにはちょっと興味深い。

 これは他の〔クエスト〕よりも当たりかもしれないな、とミナルーシュは気を引き締める。

 そうして注意のレベルを引き上げると、ベッドの横にあるストッカーの上に置かれた十字架がミナルーシュの目に留まった。

「あの、その十字架は?」

 母親はミナルーシュが指差した先へとふしぎそうに目を向けて、それでやっとそこにあるものを思い出したようだった。

「これは先日、主人の墓に行った時に人からいただいたものです。なんでも、死んだ者への祈りが届くのだそうで」

「かあちゃんは、ずっととうちゃんのとこに行ってるんだ!」

 父親が死んでもなお、二人が仲睦まじいのが誇らしいらしく少年は元気に声を上げる。

 そんな子どもらしい態度を微笑ましく思いながら、ミナルーシュはじっと十字架を観察する。

 銀色の金属製の十字架だ。そして十字架と言えばキリスト教のシンボルである。

 そう、このレトリックランドを侵攻する天使たちのモチーフになっているのと同じジャンルのアイテムだ。

 ミナルーシュは岩の天使が隠れていた建物以外で、十字架をデザインしたものや十字架そのものを見た覚えがない。

「ちょっと借りてもいい?」

「ええ、どうぞ」

 少年の母に了承を得られたので、ミナルーシュはその十字架をむんずとつかむ。首にかけられるようになっているのか、ミナルーシュの手からあふれた紐がだらりと下がる。

 手に取っても特にシステムメッセージが出てきたりはしなかった。ミナルーシュには〔アイテム〕を鑑定するような〔スキル〕もない。

「もしかして、これをもらってから体調が悪くなったりしてない?」

「え?」

「……あっ! ほんとだ! それ持ってきた次の日からかあちゃんぐあいわるくなった! ねーちゃん、てんさいか!?」

「ま、ゲームには慣れてるからね」

 ミナルーシュがこっそりと小声でひとり言をつぶやいたのは、なんとなくNPCに対してこの世界はニセモノだなんて聞かせたくなかったからだ。この子たちだって、このセカイでは一応生きている、と言えなくもないんだもの。

「ねぇ、あとでお父さんのお墓にも連れて行ってくれる?」

「いいよ! でも、あとででいいの?」

「うん。そろそろ演奏させないと、後が怖いからねー」

 ミナルーシュが恐る恐るルゥジゥを振り返る。

 ルゥジゥは会話の邪魔にならないようにまぶたを軽く閉じて手首を甘く撥を打っていた。

 それが合図をもらったのを受け取り。

「ハッ!」

 発声と共に琵琶を強くたたく。

 そして手首を柔く撥を往復させて、しかしすばやい手元の動きからは信じられないような響きの強さで音を部屋中にぶつけていく。

 琵琶は弦楽器でありながら打楽器でもあると言われるくらいに、音が響き鼓動が鮮烈な楽器だ。

 和楽器と聞いて一般人がイメージする緩やかさとか柔らかさとはぜんぜんかけ離れた力強さを持ち、かと言って西洋楽器の規則正しさとか謳うような感じもなく、起源である中国楽器の流麗さとも外れて、独自に進化した激しく息を打つ音に至ったのが琵琶という楽器だ。

 他のどれとも違い、ただ自分だけの道を進んで技を極める。

 それは確かにルゥジゥの生き様そのまま表現した音だ。

 目の覚めるような音を容赦なくぶつけられて、どこかぼんやりしていた少年の母親の表情も今は驚きでまっさらに止まっている。

 そしてルゥジゥの撥が最後にびぃんと弦を弾いたのに許されて、彼女は見とがめられないようにひっそりと息をはく。

 その長い息の間に、心臓の興奮が確かに首元から彼女の血色をよくしていった。

「これくらいで勘弁してあげよう」

 ルゥジゥのその言葉は、またしばらくガマンして付き合ってあげるというミナルーシュに向けたものなのだけれど。

 少年の母には心臓が持たないだろうからこれ以上の本気を今は見せないであげようと、そう言われたんだとまざまざと思わされた。

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