夫婦喧嘩は犬も食わぬ茶番である
もうすぐ十五時になる。ぶっ通しで
「なんて、ことなの……」
さっきから地面に両手両膝をついてゾンビのようにうめくミナルーシュを前にして、ついさっきログインしたばかりのルゥジゥは一切かまわず琵琶を弾いている。
「てか、アンタはこれだけショックを受けてる友人に対して話を聞いてあげようとかないんか!?」
「面倒くさい。もうすぐクシャナが来て話を聞いてくれるだろう? ちゃんとクシャナの横で聞き流してあげるよ」
「聞き流すんかい!?」
まったくかまってくれなくて友達がいのないルゥジゥにミナルーシュが吠えると、ルゥジゥからは心底興味ないと目も合わさずにあしらわれてしまった。
「ほら、そんなこと言ったらクシャナが来たみたいだよ。……ん?」
〔神器〕の台座の前に光が集まりクシャナのアヴァターが出てきたのを見たルゥジゥは、その背中から陽炎でも見えそうな雰囲気を受ける。
クシャナが怒っている。理由はわからないけど、どうせミナルーシュがなんかやらかしたんだろうと思ったルゥジゥは余計な火の粉を浴びないように黙って琵琶の弦を弾く。
「クシャナ! ねぇ、聞いてよ!」
ログインしたばかりのクシャナはまだ〔魔女の外套〕のフードを被っていなくてその据わった目がよく見えている。
それなのに自分に起こった不幸を聞いてほしくて仕方がないミナルーシュはクシャナの肩につかみかかる。
自分のことばかりを考えていて相手の様子を気にかけない。まるで彼女に振られる男みたいだとルゥジゥは演奏の片手間に観察をしておく。
「へぇ、そう。どうしたの?」
クシャナの声がやけに冷たくて、ルゥジゥは琵琶の弦に触れた指をそのままで止めた。これは本気で怒ってるやつだと感じて、とばっちりを受けないように息をひそめる。
そしてミナルーシュはというと、鼻も触れそうな距離で顔をつき合わせているクセにまったくクシャナの怒りに気付いていない。むしろ腕を組んで自分の身勝手な憤りをクシャナにぶつけ始める。
「それがさ! せっかく〔
そしてミナルーシュがさんざん絶望していた内容も、浪費がすぎてほしいものが手に入らなかったというほとんど自業自得なものだった。
「……他にわたしになにかいうことはない?」
「え? 新しい〔ルーツ〕を取るのに10APと5SP、それに【
やっとミナルーシュもクシャナがずっと冷たいまなざしを突き刺してきているのに気づいたようだ。
クシャナの愛らしい唇が持ち上がりほほにかわいらしいえくぼが出来る。そして目の形ばかりは、しゅっとアイスピックのように冷たく鋭い。
ミナルーシュのアヴァターが本人の緊張を反映してだらだらと冷や汗を流し出した。
「もしかして、ずっとゲームしたの、そんなに怒ってるの? ちゃんとお昼ご飯食べたし、宿題は、まあ、あれよ、月曜の朝にでも片付けるから。いつもそうでしょ?」
クシャナがにこりと目を細めてくれた。
ちゃんと謝れば許してくれる。そんなクシャナの甘さを知っているミナルーシュは、よし、間違えなかったと、胸の中でだけこっそり安堵する。
そんな気のゆるんだミナルーシュの頭を、クシャナが大きな軌道を描いて勢いよく腕を振り、遠心力と速度をたっぷりと乗せた手で引っぱたいた。
「そんないつもやられていることで、いつも以上に怒る道理がありますか!」
「クシャナの敬語!? 最上級のやつじゃん、あたし、なにやらかしたのっ!?」
クシャナから受けた本気の平手による痛みとこれからぶつけられる小言の恐怖に、ミナルーシュは頭を抱えて恐れおののく。
「あんなバレーボールのスパイクみたいに打たれた割に余裕あるね」
「まぁ、二ヶ月か三ヶ月に一回はもらってるから」
「ミナルーシュ!」
「ひぃ! ありがとうございます!」
完全に他人事と決めこんでいたルゥジゥのつぶやきにのんきに反応したミナルーシュの態度は、クシャナの怒りに油を注ぐ行為でしかない。
怒鳴られてお礼を言うとか、いったいどんなプレイなのか。
本気で怒っているクシャナの前でも持ち前のおちゃらけがなくならないミナルーシュの逃げ場をなくすために、クシャナはシステムメニューを操作して〔パーティログ〕を可視状態にしてミナルーシュの鼻先に突きつける。
「この〔デスペナルティ〕になっているのはなんですか?」
「え? あ、これ? これはあれだよ、ぜったいに倒せないっていう【
クシャナが見せてきたのは十二時半すぎの時刻に記載されたミナルーシュの〔デスペナルティ〕の記録だ。
ミナルーシュはまったく悪びれた気持ちを懐かずに、その時の行動と考えをクシャナに伝える。いやぁ、強敵相手にするの楽しかったな、なんて思い出してかすかに笑みを浮かべるくらいである。
そんなミナルーシュの態度に、ぷちんっ、とクシャナの怒りが弾けてアヴァターの額に血管の浮き出る怒りのマークが表示された。
クシャナは〔インベントリ〕から〔魔女の箒〕を取り出すと、バシバシと怒りに任せてミナルーシュをはたき続ける。
「いたいっ! いたいよ、クシャナ、いや、ほんと、いった! なにその竹ぼうき、いつ取得したの、毛先が引っかかってマジで痛いです!」
それは〔魔女〕が初期取得する〔魔女の箒〕なのだけど、そんなことを気にしていい場面じゃないのをミナルーシュ本人だけが理解できていない。
「お仕置きが痛くなかったら意味がないでしょうが!」
「やだ、リアルとちがってクシャナが過激! なんか目覚めちゃいそう!」
「茶化すんじゃありません!」
現実だと肉体の性差を気にして
体が理想通りになったことで、心が素直に行動を引き起こしているのかもしれない。
「
「え、でも、別にRPOのデスペナはレベル下がったりしないからさ」
「そういうことを言ってるんじゃありません!」
「えー! だってあたしのシュミで二人を巻き込むのだってもうしわけないしっ」
「だから! そのリスクジャンキーな趣味を怒ってると分かりなさい、このおバカー!」
ミナルーシュが口を開く度にクシャナの箒が勢いを増していく。
よくまぁ、あそこまで神経逆なでできるものだと逆に感心しつつ、ルゥジゥは巻き込まれないようにこっそりと二人から距離を取る。
クシャナの体力が尽きるまで、たっぷりと三分近くミナルーシュは箒ではたかれ続けた。クシャナの勢いに押し負けて地面にひざまずいたミナルーシュの〔HP〕が12も減っている。
そんなミナルーシュを、肩で息をしながら見下ろすクシャナがキッと目を吊り上げると、その
「実家に帰らせていただきます!」
クシャナはきつ然と言い放ってきびすを返し、自分の【剣印】を操作してログアウトしていった。
そのセリフが出てくるってなんだかんだクシャナもノリを合わせてくれるんだよな、いや、あれは天然か、とルゥジゥは思いながら腰を降ろし、撥で琵琶の腹をたたく。
「いーやー! クシャナ、帰ってきてー!」
クシャナの消えていく光に腕を伸ばしてミナルーシュがなんか叫んでいた。
「茶番おつ」
こっちについては情けをかける必要がないと、ルゥジゥは撥を弦に引っかけてから弾く。その震えた音が長く伸びた。
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