シュミの時間

 ミナルーシュが景色の歪む境界に振れた途端に霧が噴き出して視界を奪った。

 その霧に巨大な影が浮かびミナルーシュを見下ろしてくる。

「デカくね?」

 まだはっきりと姿は見えないけれど、〔箱庭〕で戦った〔壊れ掛けの天使〕よりも遥かに大きい。

 でもミナルーシュは苦笑いを浮かべながらも尻込みしていない。巨大な敵なら他のVRゲームのレイドボスで何度も経験している。

 強敵に身構えるミナルーシュの前で霧が晴れていく。

 現れた〔エンヴォイ〕はおかしな姿だった。巨大な水瓶が組み合わさり、そこから樹木が伸びてパーツ同士を繫げて翼の生えた人の姿をかたどっていた。

 人の見た目をしているのに、それを構成しているものが無機物であると妙に不気味に思えるな、とミナルーシュはどこかのんきな気持ちを持ちながら待ち構える。

「我等が主の導きを阻む異境の徒よ。我は御命を授かりぬ。主の枝の罰を受けよ」

 水瓶と樹木が組み合わさった天使が前口上を言い切る前に枝を伸ばし、ミナルーシュに襲い掛かってきた。

 大蛇のように迫る無数の枝の隙間を一瞬で見切って、ミナルーシュは駆け抜ける。

「天使だけあって、文言がそれっぽいねー」

 天使の振るう枝は当たり前のように地面に突き刺さって地割れを引き起こし、当たれば一溜りもない威力を見せつける。

 容赦なく押し寄せる攻撃を涼しい顔で避け続けてさらに前進していくミナルーシュは、それだけでは飽き足らず口の中で秒数を舌に転がしている。

「攻撃の量が多い。やっぱレイドボスなんかな。でも一人への攻撃間隔はきっちり一秒取ってる……当たらなければどうということはない、ってやつだね」

 ミナルーシュは攻撃をかいくぐりながら冷静に言ってのける。けれど毎秒襲ってくる一撃死必至の攻撃を避け続けるだなんて、そこらのプレイヤーの発想ではない。

〈ジャンプ〉

 ミナルーシュは即席で作った〔詠唱〕で高く跳ね上がる。

 次々と襲ってくる枝を把握して回避するどころか足場代わりにして踏みつけて、その根元である天使へと駆け上がっていく。

〈純白の乙女の盾よ、常に寄り添い迫り来る暴虐を退けよ〉

 天使の肩の位置にある水差しから水が伸びてくるよりも先にミナルーシュの周囲に純白の盾が五枚展開した。

 ウォーターカッターのように勢いよく放射された水の奔流へと身を差し出した盾の一枚は呆気なく耐久値を失って消えてしまうけれど、ミナルーシュはそれで作った三秒の間に天使の懐へとすり抜ける。

 天使の頭上まで登りつめたミナルーシュはそこから自由落下に任せて巨大な天使の胸へと肉迫する。

 ミナルーシュが右腕を振り抜くと、〔スペルセット〕していた歪みの刃が水瓶とぶつかって甲高い音を鳴らした。

 しかしすれ違い様に確認しても攻撃が当たった場所にはヒビの一つも入っていない。

「ッ――」

 苛立たしげに舌打ちするミナルーシュに向けて天使の体から伸びた枝が殺到する。

 重力に引かれて落ちるだけで回避が出来ないミナルーシュの身代わりとなって純白の盾が瞬く間に割られた。

 最後の盾を割ったものの弾かれた枝にミナルーシュは足を伸ばし、踏みしめて、自分の体を地面に押し出す。

〈ジャンプ〉

 まだ天使の腰が見える位置、現実のビルだったら四階くらいの高さを、ミナルーシュは〔魔術〕を使って一息になくして地面に舞い戻った。

 地面という足場さえあればミナルーシュは好きな方向に跳ね回れる。

 そして突き刺さる度に地面をえぐる枝の突撃とダンスしながら反撃のチャンスをうかがう。

 今度は天使の胴体に向かって跳ね上がったりはしないで、地面を走り抜ける。

 ミナルーシュなんて簡単に踏み潰せる大きさの足に向かって恐れ知らずに駆け込んで、腕を振るう。

 ミナルーシュの振るった歪みの刃は天使の足の甲、アラビアンナイトに出て来る魔法のランプみたいな形をした水差しの上部を的確に切りつけた。

 しかしそれで天使が転ぶようなことはなく、逆につま先に当たる注ぎ口から水の球がミナルーシュに向けて飛んでくる。それは一つ一つがミナルーシュの身長を越えた大きさで、ミナルーシュは運動会の玉転がしみたいだなと思った。

 軽やかなステップを踏んで水の球を避け続けるミナルーシュは天使から距離を空けずに白兵戦の距離を保っている。

〈光訪れぬわたしの影は虚無へと無限落下する無重の陥穽〉

 ミナルーシュはクシャナの〔詠唱〕を無断拝借した。その足元から伸びる影が平面のままで落とし穴へと変化する。

 足元をミナルーシュに陣取られた天使はその重みもアダになって足を一瞬だけ沈ませる。

 思ったよりも効果時間は短かったけれど、その一瞬の隙をついてミナルーシュは駆け出した。

〈アクセル〉

 〔魔術〕で加速をつけて天使の背中を駆け上る。

 水瓶の部分は垂直に、樹木の部分は出っ張りに足をかけて、翼のように枝が広がる天使の肩甲骨までたどり着く。

 ミナルーシュは這うようにして重力に逆らいつつ駆け抜け、天使の背中に沿って伸ばした左手に〔スペルセット〕した歪みの刃を一緒に走らせる。

 それでもやはり斬撃の跡は残らない。

〔アクセル〕

 天使の背中を斬るために体勢を崩して落ちた速度を〔魔術〕を重ねることで取り戻して、ミナルーシュはさらに天使の首元へと肉迫する。

〈この手の歪みは全てを切り裂く〉

 ミナルーシュは腕を交差させて〔スペルセット〕と〔詠唱〕で二重にした〔魔術〕で天使の首を斬りつける。

 これでミナルーシュの〔MP〕は手持ちの〔魔術〕を一つも使えない程に消耗してしまった。

 対して天使の方はどこを斬りつけられても手応えに違いがなくて、今も平然としている。

 ミナルーシュは憮然とした顔をしながら急いで地面まで逃げ帰る。

「くっそー、さすがに今のレベルじゃぜんぜん火力不足かぁ……手持ち出しても無駄になるだけかな」

 地面に戻るなり再び襲ってくる枝の鞭を避ける作業に戻ったミナルーシュはグチる。

 攻撃に当たるつもりはさらさらないが、ミナルーシュの攻撃も天使には焼け石に水でちっともダメージが入っている実感が湧かない。

 かと言って天使に背中を向けて逃げようとしたら、さすがのミナルーシュも直撃を受けて逃亡は失敗するのが目に見えている。

 立ち止って殺されてやるのも癪なので攻撃は意地でも避け続けるけど、だんだんミナルーシュも脳が疲れてきた。

『ミナルーシュが条件を満たしたことにより、〔スキル:魔力生成(戦闘時間)〕が取得可能になりました』

「んあ?」

 そんなところにシステムメッセージが入って来て、ミナルーシュはほうけた声を上げる。

 気を取られて足を止めたミナルーシュの目の前に迫った天使の枝が一斉に燃え上がる。

「オーバーキルすぎね?」

 言うまでもないことを思わずつぶやいたミナルーシュのアヴァターを、容赦なく灼熱の炎が焼き尽くした。

『ミナルーシュの〔HP〕が0になり、〔デスペナルティ〕を受けました。

 〔蘇生〕可能時間を経過したので、〔ログイン〕画面へ転送されます』

 跡形もなく焼却されたミナルーシュのアヴァターは〔蘇生〕可能時間もあってないようなものですぐに〔ログイン〕画面へと戻らされた。

 視界を埋め尽くす炎がなくなって、ミナルーシュが目にしたのはつい二時間前に会っていたのにずいぶんと懐かしく思えてしまうあそはなのきらびやかな姿だった。

 というか、遊び花の周りをくるくるしている花がまぶしい。

「〔デスペナ〕おっつー。てか、無謀なボス戦乙的な?」

「いやー、倒せないの確認出来たし、まぁまぁ楽しかったわ」

「うっわ、バトルジャンキー……引くわ……」

 管理AIにすらガチで引かれながらも、ミナルーシュはのんきに手を組んで伸びをしている。

「で、これからどする? もっかい〔ログイン〕する?」

「や、さすがにお昼食べてくる。三十分くらいで戻ってくるよ」

「休憩はしっかり取ったほがよきよ?」

 AIに心配されるくらいの廃人プレイを宣言して、ミナルーシュは時間が惜しいとばかりに手早くVRシステムを操作して現実に一時帰還していった。

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