石の天使

 ミナルーシュが射撃をまねて銃の形にした手を跳ね上げる。その動作に合わせて〔インベントリ〕に収納していた猟犬の刃を二本放出した。

 猟犬は主の意志に従って石の天使へと真っ直ぐに向かう。

 それを天使は微動だにしないで当たるに任せて、呆気なく弾いた。

「だよねー」

 ネズミ相手に威力は必要ないから数を最大にして薄めた〔魔術〕だ。〔壊れ掛けの天使〕よりも見るからに上位である目の前の敵がそんなもので傷つくとはミナルーシュも思っていない。

 しかしその間にミナルーシュは天使に手の届く位置まで近づいていた。

 ぐるりと天使が体を動かしてミナルーシュに向き合い、石の拳を振り上げる。

 天使に駆け寄ったミナルーシュは体を沈ませてその拳を避けてさらに懐に入りこむ。そして手を握り〔スペルセット〕した〔魔術〕へ〔MP〕を注ごうとして、その寸前で床を蹴って大きく飛び退いた。

 慣性に振り回されて踊るミナルーシュの前髪の先を、尖った石の膝がはらりと切り落とす。

「ミナルーシュ!?」

「当たってないから平気だよー」

 心配で悲鳴を上げるクシャナにミナルーシュはひらひらと手を振った。

 けれど軽い口調とは裏腹に攻撃のチャンスを潰されて口の中では苦虫を噛み潰している。

 〔箱庭〕で相手した図体のデカい天使よりも遥かに動きが速い。大きさは人と同じくらいではあるけれど、こちらの方がやっかいな相手だとミナルーシュは分析する。

〈炎よ、呪え〉

 クシャナの手のひらに灯った炎が浮遊して天使に向かう。

 しかしその遅さをあざ笑うように天使は翼を広げて飛び上がり、クシャナの頭上を越えていった。

 炎はふよふよと天使を追いかけるけれど、途中で天使が羽ばたいて起こした風に吹かれて消えてしまう。

「そんな……」

 〔壊れ掛けの天使〕にだって当たることは出来たのに、今回の石の天使にはかき消されてしまってクシャナはショックを受ける。

 そんな隙だらけのクシャナに向かって敵は降下してくる。

 クシャナは目を見開いて天使の姿を見ているしか出来ない。

 しかしクシャナと石の天使の間に、ミナルーシュが放った猟犬の刃が三本飛んできて天使の翼の全く同じ位置に噛み付いた。

 胴体に比べて薄い翼の同じ個所に三連撃を受けてはさすがに石の天使もダメージこそ軽微だけどバランスは崩した。

 即座に羽ばたきを差しはさんで体勢は立て直したが、クシャナに近づくのは阻止した。

 だん! だん!

 ミナルーシュが床、壁と力強く蹴って天使の上まで跳び上がる。

 天使はミナルーシュの奇抜な行動に対応して体を反転させて彼女に向き合ったが、その次の行動に入るよりも落下したミナルーシュがその体を踏みつける方が速かった。

 ミナルーシュはそのまま掌底に歪みの斬撃を乗せて天使の胸に叩きこんだ。

 石の天使の表面が砕け散った破片がぱらぱらと床に落ちる。

 それでも石の天使はミナルーシュが攻撃を繰り出した右手をつかみ、勢いをつけて床に叩きつけた。

「ぐっ!」

 その一撃でミナルーシュの〔HP〕が大きく減った。

 さらに石の天使がミナルーシュを踏み潰そうと落下してくる。

 ミナルーシュは床を転がってそれを避けるが、石の天使が踏みつけた床は重い音を立てて大きく亀裂が走る。

〈癒しよ〉

 クシャナの〔詠唱〕がミナルーシュの体を柔らかい緑の光で包み〔HP〕を二割くらい回復させる。

「クシャナ、ありがと!」

「うん!」

 クシャナの援護を受けてミナルーシュは勢いよく起き上がって天使に向かって跳ぶ。

 一瞬でミナルーシュと天使の距離は失われてお互いの拳が交錯して、そして鏡映しのように頭をずらして攻撃を避け合う。

〈アクセル〉

 つぶやくような〔詠唱〕の後にミナルーシュの姿がクシャナの視界からかき消えた。

 天使はそれに遅れてなにもない空間を蹴り抜く。

〈この手の歪みは全てを切り裂く〉

 天使の背後に回ったミナルーシュが両手を振り抜いて〔スペルセット〕と二重で発動させた歪みの斬撃を交差させる。

 その直撃は強固な石の天使を前のめりに崩した。

 それでも天使は床を踏みしめて転倒を堪える。

「主の裁きを受けよ」

 厳かな声が講堂に響く。

 それと同時に轟音と閃光が、ミナルーシュとクシャナの聴覚と視覚を奪う。

 屋内で逃げ場のない中に落ちた雷が二人のアヴァターを打ち据えて、〔HP〕を一気にレッドゾーンへと落とした。

「や、ば」

 ミナルーシュは雷の衝撃を喰らってもギリギリで意識を保てていたが、クシャナはショックで気絶している。

 ミナルーシュも閃光で目を焼かれていて、石の天使の姿が負えていない。自分に向かってくればどうとでも対処出来るけど、クシャナに行った時には割り込めない。

〈純白の乙女の盾よ、常に寄り添い迫り来る暴虐を退けよ〉

 クシャナとミナルーシュに二枚ずつ、合計四枚の純白の盾がそれぞれに寄り添って浮かんだ。

 その盾はクシャナに向かって膝蹴りで突っ込んできた天使を防いで一枚が犠牲になった。

 それで弾き返された天使へとミナルーシュは跳びこむ。

 天使はすでにミナルーシュの動きを読んで迎撃の構えを取っていた。

 ミナルーシュはかまわず突っ込む。

 天使の右の拳が放たれる。

 ミナルーシュが展開した盾が自動で割りこんで天使の重く固い石の拳を防いだ。

 ミナルーシュは右手を突き出した。剣を持っていれば天使の腹を突き刺す軌道であり、〔スペルセット〕に仕込まれた歪みの刃はその通りに天使の腹を穿つ。

 人間であれば腹部に穴が開けば激しい運動なんて出来ない。アヴァターでも〔部位破損〕になれば失った部位に応じて動きにペナルティを受ける。

 でもそんな生き物の性質は、無機物で顕現している天使には無関係だった。

 腹部に大穴が開いていても石の天使には痛みもなければそこの筋肉で体を動かしているのでもないので、動きのキレをそのままに水面蹴りでミナルーシュの足を刈ろうとする。

 それに対してミナルーシュは完璧なタイミングで、両足順番にステップを踏み、その隙間で天使の足をすり抜けさせた。

 ミナルーシュは低い体勢を残した天使に向かって覆いかぶさるように身を沈める。そのまま天使の顔を右手で捕らえて床に押し付ける。

 ミナルーシュの手から伸びた歪みが天使の表情のない石の顔面を砕いた。

 ガキン――。

 顔を失って腹にも穴を開けた天使は、そんなものになんの意味があるのかと言うように膝蹴りをミナルーシュの腹に沈めようとして、またも純白の盾に遮られて甲高い音を立てた。

 ミナルーシュは歯噛みする。彼女の〔MP〕は残り5しかない。〈ショット〉の一発も撃てないのだから、どうあがいても自分の手で天使にトドメを刺せない。

〈光訪れぬわたしの影は虚無へと無限落下する無重の陥穽〉

 ミナルーシュと、彼女に重なった石の天使、その下にクシャナの影が差し込んだ。

 彼人かのとの影は〔詠唱〕によって重力の落とし穴へと変化して、ミナルーシュと天使をまとめて〔束縛〕し〔重圧〕で圧しつける。

〈炎よ、呪え〉

 どんなに遅い動きの呪いの炎であっても、動かない相手であれば触れるのは可能だ。

 敵も味方も無差別に捕らえる影の陥穽と違って、呪いの炎はミナルーシュには一切触れずに石の天使だけを焼く。

『〔ガマリエル〕を倒しました。

 ミナルーシュが【馥郁ふくいくな花】を30個取得しました。

 ミナルーシュが【永久の雪】を30個取得しました。

 ミナルーシュが【滴る月光】を30個取得しました。

 ミナルーシュの〔魔術師〕が5レベルに上昇しました。

 クシャナが【馥郁な花】を30個取得しました。

 クシャナが【永久の雪】を30個取得しました。

 クシャナが【滴る月光】を30個取得しました。

 クシャナの〔魔女〕が5レベルに上昇しました。

 ルゥジゥが【馥郁な花】を10個取得しました。

 ルゥジゥが【永久の雪】を10個取得しました。

 ルゥジゥが【滴る月光】を10個取得しました』

 ミナルーシュは自分の体の下でボロボロと崩れた欠片から光になって消えていく石の天使〔ガマリエル〕の最期を見て、さすがに安堵の息をこぼしていた。

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