突入
「キリスト教がなに?」
ミナルーシュはそれだけ言われても全くピンと来なくて、クシャナがたどり着いた答えを待つ。
クシャナは謎に向き合って加熱した頭の興奮も覚めやらない様子で、早口でその思考を言葉に変換していく。
「天使っていうのはキリスト教の存在でしょ。それでパン屋さんとお酒関係の人が失踪しているんだけど、キリスト教でパンとワインはキリストの肉と血を表す聖なる飲食なの。ミサでもパンとワインが振る舞われるくらいにね。それでいなくなった人はみんな善良な人。これにレトリックランドが消えて行っているというのを考えると、天使が救済に相応しい人物を連れて行っているのかもしれない」
「……む?」
クシャナの台詞が早すぎるしそのせいでちょっと滑舌が悪くなってるし、その上で言ってることが難しいから、ミナルーシュは理解する前に右から左に聞き流してしまった。
「ごめん、わけわからんかったから、もっとゆっくり喋って」
ミナルーシュがリトライを求めると、クシャナはどうしてちゃんと聞いてくれないのかと白い目を向けた。
でも、ちゃんと聞いてもミナルーシュには分からなかったように思える。
というか実際、三回聴き直してもよく分からなかった。
「え、結局、天使がキリスト教で天国に行ける人がエノクさんのように導かれるとどういうことになるの?」
「だーかーらー! 天使に連れて行かれるってことは、現実からいなくなるってことでしょ! いいところに連れて行ってあげる、だなんて誘拐だよ、誘拐!」
「なるほど! 天使による誘拐!」
クシャナの推測はいなくなった人は〔エンヴォイ〕に誘拐されたということだと、ミナルーシュはやっと理解した。
クシャナは何回も分かりやすいように言葉を変えて根気強く説明を繰り返したのに、ミナルーシュが全然分かってくれないのが不満でぷんぷんと怒っている。
しかし別にミナルーシュの察しが悪いのではなくて、膨大な読書で蓄えた知識の引き出しを惜しみなく引っ繰り返したクシャナの説明だと情報量が多過ぎて、整理して理解するのも大変なのだ。
「まぁ、天使が犯人だろうっていうのはあくまで可能性の話だし、それがわかったからってどうすればいいのかもわからないから、どうでもいいのかもしれないけどさ」
推理した思考を伝えきってテンションが冷めてきたクシャナは根の卑屈さが出て来てうつむいた。
「え、いや、原因がわかるとか最強のショートカットじゃん」
しかしミナルーシュはあっけからんとそれこそが一番重要だと言い放った。
「え?」
「え?」
ここに来てゲーム思考が身についてないクシャナとゲーム思考が当たり前になっているミナルーシュとの間で齟齬が出た。
二人して間抜けな声を出してお互いを見返す。
「いや、ゲームで事件の原因がわかったなら、それっぽいとこ探せば〔クエスト〕進められるじゃん。キリスト教モチーフってことは、教会っぽいとこ行けばたぶんいなくなった人が見つかるよ」
「え、なんで?」
「なんでって言われても、ゲームってそういうものだから?」
「いや、そんな犯人がわかりやすくするの、変じゃない? バレないように関係なさそうなとこに隠れるでしょ、ふつう」
「いや、〔クエスト〕はプレイヤーにクリアさせなきゃいけないし、メタ思考でイベント進めるとかみんなやってるよ?」
ミステリー文学を読み解く思考で話しているクシャナとゲーム思考で話しているミナルーシュはちっとも噛み合わない。
それでも今やっているのはゲームの方なので、クシャナがギャップに戸惑いながらもミナルーシュの意見に従う。
「なんか、変」
「ゲームだから。気にしたら負けだって」
ミナルーシュになだめられたら、これ以上文句を言うのも大人げない気がしてクシャナは口を閉じる。でも納得はいかないからフードに隠れた陰の中でちょっぴりだけ頬をふくらませる。
ミナルーシュは街を歩いていた時にそれっぽい建物を見かけていたのを目ざとく覚えていて、クシャナの手を引いて真っ直ぐにそこを目指して歩く。
「記憶力がどうとか言ってたくせに」
「えーと、得意不得意ってことでひとつ」
言ってることが矛盾していると不満を漏らすクシャナに向けて、ミナルーシュは苦笑いでごまかすしか出来ない。なにが違うんだって聞かれても自分でもわからないのだもの。
その建物は白い壁とステンドグラスのはまった窓が際立っていて、他の建物と違い一輪の花も根付いていない。
こうしておかしいと思って見ると、周囲を浮いていて違和感がはっきりと押し寄せてくる。
〔スペルセット:〈この手の歪みは全てを切り裂く〉〕
ミナルーシュは突入の前に〔スペルセット〕する〔魔術〕を猟犬から歪みの斬撃に切り替えた。光が灯る右手を顔の前に掲げて、ぎゅっと握って消す。
そんなカッコつけた仕草にクシャナは首をかしげた。
「猟犬たちの方が便利じゃないの?」
「ん? こっちは〔抵抗力無視〕な上に〔秩序特攻〕で天使に対してダメージがデカいからね。それに屋内の狭さなら猟犬なくても追い詰めるの余裕だし」
「なるほど?」
クシャナはミナルーシュの言っていることが半分もわからなかったけれど、ミナルーシュの溢れる自信を見て意味があるんだろうと納得する。
悠然とステンドグラスに飾られた建物に向かうミナルーシュの後をクシャナもしずしずとついていく。
ミナルーシュがバン、と音を立てて扉を開く。薄明の時刻では光は屋内まで差し込まないで薄暗い。
それでも建物いっぱいの広さを使いきって講堂になっているのは確認できる。入り口から正面にはステンドグラスが壁一面を占めていて、その前には大きな十字架が鎮座している。
ミナルーシュは静かにその十字架へ向けて左右の座席に挟まれた中央の道を歩き出す。
その一歩後ろを歩くクシャナは〔魔女の外套〕の衣擦れの音を立てながら、左右をきょろきょろと見回している。
「あ、ミナルーシュ。あれ」
ミナルーシュはクシャナに声をかけられて、
そこには一人の男性が横たわっていて……その体が半透明に消えかかっていた。
「急ごっか」
ミナルーシュは目を細めて十字架の前、演壇に向き合うように足を進めた。
「浄らかなる魂を主の御許へ。穢れし魂はここに滅ぼす」
講堂いっぱいに低く海鳴りに似た声が満たされた。
それからゴリゴリとどこからともなく出現した石が寄り合わさって融合して天使の形を取る。
「うっさいわ。誘拐犯が偉そうに言うな」
ミナルーシュは不敵に笑い、出てきた石造りの天使に向けて手で造った銃口を向けた。
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