理想の体

 歩月ほづきは約束の時間前に夕食もお風呂も済ませてヴァーチャルスペースVS雪菜せつなを待っていた。

 宇宙を思わせる暗闇と電脳を表すグリッドで構成された景色はVSの標準だ。その中に惑星のように球体で表示されたアプリケーションが使用者の設定に従って遠近に散らばって浮かんでいる。

 その仮想景色にポップな通知音が響き、歩月のアヴァターの目の前にウィンドウが開く。それは歩月のVSに雪菜がアクセス許可を求めてきたので承諾するかを訊ねていた。

 歩月は当然、『YES』の方をタップする。

 直ぐ様、レーザー光線を真似た演出で雪菜の姿が描き出される。

「雪菜、こんばんみー」

「なにそれ?」

「ん? ノリ」

「そう」

 奇妙な挨拶で迎えられた雪菜は、早々にツッコミを諦めた。真面目に付き合っていたら話が進まない。

「てか、全然歩月と違う見た目なのに歩月って分かるの変な感じ。アニメキャラみたいなアヴァターね」

「んふふー。かーわいいーでしょー」

 今まで仮想現実に余り触れて来なかった雪菜は、脳の情報処理経路に作用して初めて会ったアヴァターでも現実の知り合いと同一人物だと認識出来る感覚に戸惑った。

 そんな雪菜に見せ付けるように、歩月はアヴァターをくるりと回してシックなデザインのスカートの裾を翻す。

 彼女のアヴァターは髪の毛が明るい黄色だったり、目が大きくデザインされていたりと、デフォルメが強いが可愛らしい見た目をしている。

「んじゃま、雪菜も来たし、ちゃっちゃとやりましょうか」

 行動派で通っている歩月も挨拶とアヴァター自慢もそこそこに一つのアプリケーションスフィアを手招きして引き寄せた。

 それは連携したアプリケーションで使用出来るアヴァターのデザインを作成する為のものだ。

 歩月の手が近付いてきたアプリケーションスフィアに触れると、それは解けるように展開して真っ白な空間へとVSを書き換える。お絵描きソフトの画面の中へと入ったらこんな感じの景色になるのではなかろうか。

「雪菜のID認証するからここに手置いて」

 歩月は青白く光るウィンドウを出して雪菜の目の前に移動させた。

 それはちょうど人の掌を置いてピッタリな大きさの正方形になっている。

 雪菜は言われるままにその正方形に手を付いた。まるで掌紋を読み取るようなスキャン描写が入り、雪菜のアヴァターから個人情報が読み取られた。

 これで歩月の所有しているアプリでも雪菜用のアヴァターが作成出来るようになった。

「さてさて。せつにゃんの理想の姿を作っていきましょーかー」

 歩月は若干十四才にしてゲーマー達の間でアヴァターの完成度とデザイン性が高いと話題になっている。

 歩月が右手を雪菜の目の前に翳して、スワイプするように腕を振った。

 すると雪菜の姿がそのままコピーされて横にスライドする。

 一つは雪菜の意識が入っているアヴァターで、新しく出した方は新しいアヴァターを作成する元になる画像データだ。

 歩月は鼻歌混じりにそのコピーデータに触れて無数のウィンドウを展開させた。その一つ一つがアヴァターの各所を変化させるパラメータを操作出来るようになっている。

「んでもって、雪菜のお母さんとお姉さんの写真も参考にして、と」

 歩月は事前に受け取っていた写真データを呼び出して、そちらも視界に入れながら雪菜のアヴァターを作り替えていく。

 雪菜は期待と不安の混じった眼差しで歩月の作業を黙って見続ける。

「雪菜の理想の体なんだから、気になるとこあったら言ってよ?」

「え、あ、うん。……でもよく分からないし、任せるよ」

「そう? 取りあえず、可愛くしたらおっけー?」

「……うん、お願い」

 歩月は慣れた手付きで骨格からアヴァターを変えていく。持ち前のセンスと、時折ネット検索をして参考資料を確認しながら、動きにも見た目にも狂いや違和感がないように人の体を作り上げていく。

「なんか、すごいね」

「んー? けっこう楽しいんだよ。雪菜もやる?」

「いや、きっと不格好になるから遠慮しとく」

「ま、雪菜は文学女子だしねー」

 歩月の弄るアヴァターは次第に女性らしい体付きになっていく。

 その変化に雪菜は熱っぽい溜息を吐いた。

「こうして見てると、雪菜ってお母さんそっくりな顔だね」

「そうかな? あんまりそう思わないけど」

「いや、似てるって。リアルでも化粧したら女の子格好出来るんじゃない?」

「……いや……最近、髭が生えてきて……」

 自分の体が二次性徴を見せ始めたと、雪菜は俯いて告白する。

 その沈んだ声を背中に受けて歩月も顔を曇らせた。

「ねぇ、雪菜。そんなにオトコになってくカラダがイヤなんだったらさ、やっぱりリアルでも病院で治療受けた方がいいんじゃない? 早い方が苦しくないっても言うじゃん」

「うん……でも……」

 歩月の提案に、雪菜は全く乗り気じゃない。

「最新技術でも、どうせ子供は妊娠出来るようにならないし……それに自分ではそう思ってても、お医者さんにもし違うって言われたらって思うと……こわいよ」

「……………………そっか。そう、だね」

 専門家に違うと言われても、雪菜は自分はそうだと自認を覆さないだろう。

 でもそれは世間と自分との認識にギャップが生じるということだ。今でも雪菜を追い詰めているそれが、さらに深くなるということだ。

 その可能性を本人は無視出来ない。本人はその現実から逃げられない。

 それに本人が幾ら望んでも、医学的に症状が認められなければ治療は出来ない。

 希望の方の可能性を、雪菜は潰えるのを恐れている。

 それなら希望と絶望の可能性がシュレーディンガーの猫のように重なっている状況から抜け出さない方が安心出来る。

 それが完全な安心じゃなくて常に不安に罅割れているというのが、見ている歩月としてはとても歯痒いけれども。

 重い話を挟みながらも歩月は作業を進めていた。むしろ話の腰を折るために手を早めていた節もある。

「どう、雪菜! めっちゃ可愛く出来たでしょ!」

 バッと腕を肩の高さで伸ばして歩月は完成した女性アヴァターを披露する。

 雪菜はジトっとした眼差しで歩月を見詰めた。

「なんで巨乳にしたし」

「え、夢を詰め込んでみた?」

 現実の雪菜に合わせた背の低さに対して胸の膨らみがどう見てもアンバランスだった。

 元から雪菜が童顔なのもあって、あからさまなロリ巨乳である。

「これ、サイズいくつなの?」

「ふふん。夢のIカップよ」

 ドヤ顔して胸を張る歩月にイラついたので、雪菜はその頭を引っ叩いておいた。

「いった! ひどい! DV!」

「結婚した覚えないから。そんなに夢を追いたいなら自分のアヴァターの胸を大きくしたら?」

「え、デカいと動くのに邪魔なんだよ。一回やって後悔した」

「それを他人に押し付けるってわがままか」

「だいじょうぶ! せつにゃんはあたしが守ってあげるから、後ろにいればいいんだよ!」

「な・お・せ!」

「ちくせう」

 雪菜から冗談抜きで凄まれて、歩月は渋々と胸の大きさをダウンさせた。

「じゃあ、はい。現実でもあり得る巨乳Dカップ」

「巨乳……? そんなに目立ってないからいいっちゃいいけど」

「やれやれ、せつにゃんてば現実に疎いんだから。ぶっちゃけF以上とか日本人口の六パーセント以下だからね? 男って夢見すぎなんだよね。当事者目線ならDは十分巨乳です」

「ちなみに歩月は?」

「Bだよ、こんちくしょう」

 一頻り言い合った後で、二人して笑い出す。意味なんかなくたって楽しいから笑うのだ。

「どう? 雪菜の理想には適ったかな?」

「理想以上だよ、ありがとう」

「そりゃ良かった。手で触れたら意識を移せるよ。動かしてみて」

「うん」

 歩月に促されて、雪菜は恐る恐る自分用に作ってもらったアヴァターに手を伸ばした。その肩に触れて思考入力でアヴァターの変更操作をすると、元からあった方のアヴァターが光に崩れていってそのまま新しい体へと吸い込まれていった。

 ぱちり、と閉じていた瞼が持ち上げられて灰銀の瞳が歩月のアヴァターを映す。

 それから雪菜は腕を持ち上げたりぴょんぴょんとその場で跳ねたりしてみる。

「ん。すごい、なんていうか……リアルよりしっくり来る」

「どやー」

 歩月がツッコミ待ちのドヤ顔を口で効果音まで付けて披露するけれど、雪菜は憂い顔を見せて反応してくれなかった。

「……せつにゃん、むしはさすがにさみしいんだけれど」

「あ、ごめん。いや……これ、リアルが馴染まなくなったらどうしようって心配になって」

「あーーーー」

 雪菜の懸念はもっともで、歩月も真上を仰いで意味のない声を上げてしまった。

 そして息が続かなくなったところで、くりんと雪菜に顔を向ける。

「このまま仮想性同一性障害を進行させれば性転換処置も現実的になるんじゃない? いけるいける」

「その使い方はよくないと思う」

「せつにゃんってば、ほんとまじめねー」

 好きなように生きたらいいのに、と歩月は心底思う。歩月なんて四六時中ゲームばっかりやってて親によく怒られれているが、悪いなんてこれっぽっちも思ってない。

「取りあえず、ありがとう。本当に嬉しい。それで、これからRPOで事前キャラメイクすればいいんだよね?」

「うぃうぃ。明日の十時のサービス開始から速攻でプレイするんだから、ちゃんと終わらせといてよ?」

「はいはい」

 本当にゲーム廃人なんだからと、雪菜は笑いながら自分のVSへと帰っていった。

 それを満足そうに見送って、歩月は自分もキャラクターメイキングをするためにRPOのアプリケーションを起動させた。

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