レトリック・プレイ・オンライン

奈月遥

ある日の下校

 金曜日の授業が全て終わり、ホームルームも済ませた教師が教室を出て行くと、生徒達は喜びながら帰り支度を始める。

 梅雨入りして湿った空気が窓を閉めても教室に染み込んでいる。そんな冷えた空気を突っ切って、新池にいけ歩月ほづきは制服のスカートを跳ねさせながら、一人の男子生徒の席に突撃する。

雪菜せつなー! つっかまえったー!」

「いや、そもそも逃げてないんですけど」

 雪菜と呼ばれた彼人かのとは、飛びついてきた歩月に半分迷惑そうに、もう半分は親しみを込めて、曖昧な表情を浮かべる。

「シャラ、雪菜を確保したから、早くこっち来て。一緒に帰るよー」

「はいはい、今行くよ」

 歩月は雪菜の腕を握り締めたまま、友人を手招きする。

 シャラと呼ばれた背の高い彼女は上履きでも高らかに音を鳴らして姿勢正しく二人の元へ歩み寄っていく。

 新池歩月、渡部雪菜、明石沙羅さらはいつも一緒にいる仲良し三人組だ。

「明日からレトリック・プレイ・オンラインRPOがサービス開始だからね。帰って早くキャラメしよ!」

「早く帰っても約束したの八時じゃない」

 せっかちな歩月に雪菜は呆れ顔で言葉を返す。今は十五時半過ぎで部活動をしていない三人はどんなにゆっくり帰っても十六時頃には帰宅出来る。

「で、結局沙羅の分はアヴァター制作、手伝わなくていいの?」

「ん。そんな凝ったの必要ないし、スキャンをちょっと弄って適当に作るよ」

「えー、おもしろくなーい」

 せっかく三人でゲーム出来るのにと、歩月は頬を膨らませる。

 そんな女子二人のやり取りに雪菜は苦笑して教科書を鞄に詰め込んだ。

「あら、渡部くんったら、今日も両手に花で青春謳歌しているんだ。他の男子がすごい目で見てるけど」

 和やかな空気はたった一人の嘲笑でヒビが入った。

 雪菜の手がびくりと緊張して止まる。

 三人に近付いて皮肉って来たのはクラスカーストを牛耳る女子だ。そして彼女の言う通り、まだ教室に残っていた男子の半数以上は刺すような視線を雪菜に向けている。

 それを、歩月が机を殴りつけて霧散させた。

「雪菜はいい子だから、美人が放っておかないのよ。羨ましい? 宮野さん」

 庇っているはずの雪菜もビビらせつつ、歩月は堂々と食ってかかって来た女子を見返した。

 教室の権力者とそれに真っ向から歯向かう反逆者の間に放電する一触即発の空気を読み取ってクラスメイトの大半がいそいそと出て行った。

 そうして閑散とした机の合間を縫って、宮野の取り巻きをしている女子達がその背後に轡を並べる。

「歩月ちゃん、そんな問題児二人を構ってあげる優しさは美徳かもしれないけど、付き合う相手はちゃんと選んだらどう?」

「ははっ。大切な友人をバカにする頭スカスカのアバズレがどんだけ上等なの? もうちょっと人間磨いてから口説いてくれない?」

 爆弾が目の前で引火しそうな気配に、雪菜はおしっこを漏らしそうだった。

 もう一人の問題児と指摘されたシャラは涼しい顔で話が終わるのを待っている。

 宮野は不愉快そうに歩月の後ろの二人に侮蔑の眼差しを向けている。そして宮野の四人の取り巻きがそれぞれに中身のない瞳で歩月を睨んでいた。

「お互い、自分の選んだ友人と仲良くすればよくない? ま、そっちが友人なのかは知らんけど」

「ちょっと、調子に乗らないでよ!」

 歩月が少し煽っただけで取り巻きの一人が食って掛かってきた。

 それを宮野は手で制する。

 一歩前に踏み出していた取り巻きは、それだけで渋々と引き下がった。統率はしっかりと取れている辺り、そのカリスマは馬鹿に出来ない。

「後悔したらちゃんと慰めてあげるから」

 そんな捨て台詞を残して宮野は取り巻きを連れて立ち去っていく。

 気が付けば、教室に残っているのは歩月達三人だけになっていた。

「あー! もう! 今日も帰るの最後になったじゃん、あいつら、ほんっと迷惑! ほら、帰るよ!」

「あ、ちょ、ま、教科書! 教科書持って帰らないと宿題が!」

「タブレットでPDF見ればいいでしょ!」

 歩月は昂った感情のままに雪菜の手を掴んで引っ張っていった。

 騒がしい二人の後をシャラが飽きれた笑いをつい浮かべながら付いていく。その手にはさり気なく雪菜の机の中身を取り出していて、彼人の横に追い付いたところで鞄の中へと押し込まれた。

「あ、シャラさん、ありがとう」

「いいえ。いつも大変ね」

「うん、とっても」

「なんか言った?」

「……ううん、なんにも」

 気弱な雪菜はシャラとの会話に振り返って笑ってない眼差しを向けてくる歩月に直ぐ様降伏したのだった。

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