或いは傾倒
御堂シロ
或いは傾倒
大井旭は友人が少ない。小さいころから自己主張が弱く、活発ではなかったこともあり立派なぼっちの道を進んだ。そのうち一人でも物事を済ますことが出来るようになり、学年が進んでもグループの輪に入る技術を持ち合わせないまま高校生になってしまったのだ。なまじ何事もそつなくこなすことが出来るほど器用なのもそれを加速させたのかもしれない。だから、古い知人は友人、それ以外は同級生という認識でクラスメイトの性格や名前なんて一致せずに一年が終わる。そしてまた友人が増えずにグループの輪に入らない。言うなれば陰キャである。卒アルはもちろん真白で、最後のクラスメイトからのメッセージは一年間ありがとうしかないような人間だ。相手の気持ちが窺えるだけに申し訳なさでいっぱいになっていた。
そんな大井も高校一年目に差しかかる。今日は新学期、新学年を迎える入学式。爽やかに区切りをつける日である。麗らかな桜が華やかにめでたさを演出している。
四月。大井は気持ち新たにネクタイを締め、高校へのバスに乗る。暫く揺られていると、同じ高校の制服を着る女を老人が怒鳴り始めた。大井は眉をひそめた。その騒動は大井の前の席で起こったからである。せっかく爽やかな気持ちでいたのに朝からジイさんの唾が飛んでそうな声を聞かされて誰が不快にならずにいられよう。こんな面倒くさそうな輩には我関せずを貫くのが大井のセオリーだ。だがしかし、悲しきかな浮かれた空気は大井の背中を押すことになった。
「おじいさん、どうしたんですか?」
「若い女は立ってればいいんだ!」
はじめの疑問は訳のわからない文章で返ってきた。支離滅裂で会話がままならない。大井は説明が欲しくなり隣の女に声をかけた。
「すみません。何かあったんですか? 詳しく教えてもらえますか?」
「言ってやるよ! この女、俺のスマホを覗いてやがる!!!」
「はけぁ」
お前に聞いてねえよ。大井は間抜けな声を出した。女は呆然としていた。そんなこと、女はしていなかったからだ。女は確かに老人の後ろの席に座っていてスマホを見ることは可能だったろうが、車窓から外を眺めていたのを大井は見ていた。それにもし覗いていたとしても若い女が立っていればいい理由にはならない。大井は大仰に騒ぐ老人を看過できなかった。
「おじいさん、彼女は、外を眺めてましたよ」
「やかましい!!! だから女は駄目なんだ!!!!!」
なんてこった。一語一句文節ごとに区切り分かりやすく話したつもりだったのに通じないとは。もしかしたらこの老人は地球人ではないのかもしれない。大井は小学生の時に捕まえた虫を食べていた数少ない友人を思い出した。
「ですから、彼女は」
「この俺の言ったことが間違ってるってんのか!?!?」
話しても無駄な人種だった。大井の選択は誤算だったのか。その後も老人はひどく大井と女を罵ったが、そんなとこも大井の癇に障り話し合いは続く一方だ。女なんてもう蚊帳の外だ。いつの間にか車内の人間の視線とカメラを向けられている気もする。気の所為で済めばいいのだが。そんな辟易とする諍いを終わらせたのはバスのアナウンスだった。大井の降りる予定のバス停に到着したことを知らせたのだ。老人と決着をつけられなかったのは惜しいが、バスから降りることにした。
「じゃ、時間なんで失礼します!」
逃げたもん勝ちである。車内に残された空気を思うと気が重いが、背に腹はかえられない。さよならおじいさん。朝からとても不快でした。少しばかり胸にわだかまりが残った大井は通学路のコンクリートにわんさかいる毛虫を見て嫌な顔をしたのだった。
「あっ、あの!」
唐突に声が響いた。誰だろうか。高校には友人が一人しかいないため友人説が濃厚だが、馴染みの無い鈴のような声だった。そこで漸くバスにいた女だと気がつく。大井が振り返ると女は口を開いた。
「さっきは、ありがとう」
瞬間、電撃を受けた。
女は可憐を体現したようだった。白百合の朝露を毎日飲んでいても、こんなにも楚々で奇麗にはなれないだろう。朝日を受けて輝く瞳を縁取る少しタレた睫に、濡羽色の髪はハーフアップにされている。何故今まで気付かなかったのか不思議なくらいの美貌を女は持っていた。
「ぁっ! いぇいえ、朝から災難でしたね」
「本当にありがとう・・・その制服って、同じ高校だよね? もし、また会ったらよろしくね」
「っはい!」
裏返ったり急に大きくなったりする声を出してしまったが、大井は衝撃のあまり気にもならなかった。それよりも、よろしくねと言われたことに脳の容量は割かれた。またがあればよろしくできるのか、この美少女と。網膜が受け取った女の刺激が、喉から胸、胸から背中を伝って全身に伝播し興奮してやまなかった。万雷のごとき存在だ。
新学期、新学年を迎える入学式。爽やかに区切りをつける日である。麗らかな桜が華やかにめでたさを演出するその日、大井は美しい女に一目惚れした。
大井はその後の記憶が曖昧だった。無論、高校については何も分からなかった。たいそう挙動不審に見えたのだろう。事情を知らない母親からは心配されたが、大井にとっては瑣末なことだ。なんといってもこの日から大井の初恋プロジェクトが始動したのだ。
とりあえず友人に連絡しよう。茶化すような性格ではないし同じ高校だから協力してもらうのには最適だ。
まず、人を好きになるには第一印象が大切だ。初頭効果という言葉を大井は噛み締めた。とりあえず清潔感が必要だと言っていた友人を思い出す。虫を食べるのは果たして清潔なのだろうか。いやでも最近は昆虫食とかあるからセーフなのか?思案しながらも大井はもっさりとした髪の毛を切ることにした。美容院に行くくという潜れるくらい高いハードルは恋心で乗り切った。緊張しつつも肩まであった髪をバッサリと切るように伝える。そしてオススメと洒落た文字で書かれるポップのシャンプー等を大人買いした。生真面目そうに見える眼鏡もとっぱらってコンタクトに変えた。アイコンタクトは大切だとどの学校の教師も言っていたからだ。若干違う気もするが好感を持たれればいいのだ。これで、以前撮影した生徒手帳の写真とはまったくの別人が出来上がった・・・はずだ。
そこまでやって大井は気付く。想い人のことについてほぼ何も知らない事実に。盲点だった。だがそんなことで方が付く恋なら美容院まで行っていない。彼女は二年生の学年色の校章を付けていたから、先輩のはずだ。そしてこの学校は強制的に部活に入る仕組みである。つまり、五月の部活動紹介で彼女がいないかを観察し、いなければ部活動体験をハシゴすれば良いのだ。完璧な推理。大井は自分の賢さに慄いた。慄いていた大井は体験入部のハシゴの面倒は気にならなかった。むしろ来る部活動紹介までの一ヶ月を無駄には過ごせないと決意を確固なものへと変えていた。
その後は、部活動の情報や体を引き締める筋トレの方法、再開した時のシミュレーション等々を例の友人改め姫野から指南され東奔西走していると一ヶ月なんて瞬きと同義だ。
通学路の毛虫も蛹になっていた。
五月である。とうとう、ついに部活動紹介の日に至った。大井はそれこそ血眼になるくらいに舐めるように見詰めた。必死という言葉はこの大井の為にあったのかもしれない。大所帯の運動部なんて大変だ。パフォーマンスで動き回る部員を穴が空くくらいに見詰めて、メンバー全員の顔を三周はした。そんな中、目の許容量を超過したからか頭に血が上っていたからか、大井は前半の紹介が終わる寸前に意識を失ってしまった。
暫くして瞼を開けた大井の視界には
「あ、先生ー! 起きましたよー」
「ホァッッ!!!!!!」
「わ、大きい声」
天国と見間違う光景が広がっていた。何せずっと探していた彼女が眩い白の中にいたのだ。だか、よく見たらそこは保健室。倒れた時に出来たのであろうタンコブも痛みを主張している。この二つから推測される答え、簡単だ。これは現実である。大井は途端に剽軽な声を出したことに恥ずかしくなってしまった。こんなに元気なら大丈夫だね、と微笑む彼女にようやく友人とした再会用シミュレーションを思い出す。声をかけなければ始まらない。どうやら保健医は検診を終わらせているようで、頭には氷嚢が乗っている。少しばかり話していても許してくれそうだ。
「ぇ、えっと自分って・・・」
「部活動紹介の途中に倒れたんだよ、覚えてる?」
「あ〜、覚えてます・・・」
「新学期で体調が整ってないかもしれないし、気をつけてね」
「そうします」
ハハ、と笑う。興奮しすぎてうっかり倒れたと言えば彼女にみっともなく思われる恐れのある大井は詳細を暈した。
・・・そこから先、無言。こんな場合のシミュレーションはしていなかった。
「ねぇ」
「ァ、はい」
「もしかして、入学式のバスの子?」
「そう、です」
「やっぱり?あの時は本当にありがとうね」
「い、いえそんな礼を言われることでも…あっ! ぶかつ、部活どこに入ってますか?」
「私? 写真部に入ってるよ。結構ゆるいし初心者大歓迎」
「いいですね」
写真部。そうか写真部。写真部に入部しなくては。というか、覚えていたのか、自分のことを。見た目が(少しだが)変わっても気付いてくれるのか。嬉しさに緊張が混じって大井は脈拍で破裂しそうだった。突然に響くチャイムで本当に破裂したかと錯覚するくらいには。
「あ、チャイムなっちゃったね。じゃあまたね」
「はい、また。今日はありがとうございました」
出会えたのだあの美少女と、また。それって、よろしくしても問題なしということなのではないか。とりあえず落ち着く為にも姫野に報告しなくては。もうSTが終わったあとだがいるだろうか。まずは教室からだ。ここ最近でした筋トレの成果が今披露されている。ほぼ真反対の位置にある教室まで一分とかからなかった。
いた、姫野だ。
「ひひひ姫野ォォーーーっ!!!」
「うぉ、うるさ。大丈夫だった?」
「せ、せせ」
「せ?」
「せせんぱい」
「先輩?」
「先輩に、会えちゃった」
「マジ? おめでと」
「ありがとう姫野大明神!」
いいってことよ、と笑顔で返せる姫野に後光が差しているように見える。ありがたやありがたや。大井は清潔さを疑ったことを内心で謝った。
「先輩、写真部だって。保健室にいた」
「や〜良かったねぇ。旭が例の先輩と会えてこの姫野も嬉しくなったわ」
「本当にありがとう!」
「で? 写真部だっけ、どーするよ」
「プランJで!」
「おっけ」
プランJとは、先輩と部活動紹介までに遭遇し、文化部だった場合の友人になるまでの計画である。まず、即入部からのプロフィールゲットに勤しみアピールをかける、そしていい感じの時期に(なればの話だが)告白という流れだ。姫野にはアドバイス役をしてもらうだけなのでアピールは大井の技量に委ねられるが、大井を知ってもらうという目標には確実だ。この作戦で好いてもらえれば万々歳、好いてもらえなくとも知ってもらえて良き後輩ポジにつける。
この日を以て大井の初恋プロジェクトは本格的に進んでいくこととなる。
時は変わり翌日の業後である。今朝もらった仮入部の用紙には写真部の文字がでかでかと記されている。それを片手に写真部の部室へと向かう。姫野がいないことに些か息が詰まるが先輩とのラブメモリーを増やすためだから仕方がない。ちなみに姫野はバスケ部に見学に行くらしい。インドア派の大井とは相容れなかったため部活は離れ離れなのだ。陰キャにぼっち入部をさせるとは姫野も相当のやり手である。まぁ先輩、延いては自分の為ならば友達事情など採血くらいのダメージで済むのだ。これぞ恋の力。意気揚々と大井は部室へ乗り込んだ。
「おっ、体験入部の子かな?」
「そうです」
部室にいた先輩であろう男に仮入部の用紙を渡す。プランJの一つ目のミッションは成功だ。男に好きにしていいよ、と言われる。とはいえ大井も年季入りの陰キャ。何をすればいいのか分からない。周りを見渡したが一年生らしい人物はいない。男と大井を合わせても二人である。どうやら二番目に来てしまったようだ。部室をうろうろとしているのも座りが悪い。大井は壁にはられている写真を眺めることにした。もしかしたら先輩が撮ったものがあるかもしれない。ふと花の写真が目に留まる。長く曲がった茎に澄み切った白の花弁が濃紺の背景に浮かんでいて、その写真一つだけが非現実的だった。
「それ、私が撮ったんだよ」
「へ〜綺麗です、ね」
大井にかけられた声は男の声ではなかった。入学式のバス、そして昨日の保健室で耳に入った鈴のような声だ。反射的に隣の人物に体を向ける。
「写真部、来てくれたんだね」
「はぃ」
あの後大丈夫だった?と首を傾げる先輩がとてつもなく愛らしい。間近で先輩を直視したことで大井は自分の心臓が寿命五年分くらいの音を立てた気がした。
「まだ名前も言ってなかったよね。私、白里奏。白い里に奏でるって書くんだ」
「白里先輩、よろしくお願いします。自分、大井旭っていいます。大きい井で大井に漢字一文字の方の旭です」
「旭さんでいいかな? よろしくね」
よろしくしてしまった!白里奏の七音を反芻する。大井はさん付けに心持ちこそばゆさを感じながらも名前呼びに口角が上がるのを止められなかった。まるで新婚のやりとりのようだ。その後は、白里先輩の写真部の概要や活動、撮った写真について解説を大井は耳の穴を広げる思いで聞いた。先輩の言葉はどれも意志を持っているように弾んでいた。この夢のように耽美な時間がこれから週三のペースであると思うと大井の胸の高鳴りが抑えられるか不安になった。その日は先輩や他の一年生と連絡先を交換してお開きだった。
六月である。通学路には羽虫が漂っている。一ヶ月過ごして分かったことがある。まず一つ目、本当に緩い。写真部だから写真を撮る名目で学区の内も外もどこでも行き放題である。そのため部室にある名簿に丸をつけるだけで帰っても参加扱いになる。二つ目、白里先輩は部長だった。だからかは知らないが部室にいることが多い。傍から見れば大井は部長に媚びを売りまくる新人になるかもしれないが親密度をあげる為ならばやむなし。先輩には続けて接することとした。三つ目、白里先輩は最強だった。正直大井はこれで白里先輩がひん曲がってねじ切れそうな性格をしていたら冷めるだろうとも考えていたので、彼女の見目と釣り合うくらいの聡さに更に惚れ込んでしまった。想いが通じた時、大井は最強な人間になれる気がした。
そして今日は部室でテスト勉強をしている。またまた早めに到着してしまったのか誰もいないため勉強で時間を潰して先輩を待っているのだ。すると、ガチャりとドアが開く。
「やっほ〜」
「姫野、なんでここに。バスケ部は?」
「今日はテスト週間だから無いよ。なのに部室に行く子が見えたから、ついね」
「え、あれそうだっけ」
どんだけ部活好きなのよ、と呆れられてしまった。大井は顔に熱が集まるのを感じつつも、言い返せなかった。もし、誰も来なかったら夕方まで一人で部室にいたのかもしれない可能性を否定出来なかったからである。帰り道には御礼として姫野にクレープを奢った。モチモチの生地と甘いクリームに酸っぱい苺がとても合っていて美味だ。うーん青春っぽい。
七月である。通学路には蝶が舞っていた。新入部員も慣れてきた頃にやって来るのが地域の小さめな写真コンテストだ。顧問に被写体は自由、期限は月末まで、入賞すれば市の写真展に飾られる等の旨を伝えられた。大井はこれまでの活動で撮った写真を見返す。白里先輩と接しすぎたせいか、ざっと並べてみてもこれといってグッとくる写真は無かった。こんな時は白里先輩に話しかけて助言を貰うついでにお喋りをしよう。一石二鳥である。
「先輩、写真ってどんなの出せばいいと思いますか? 自由だと迷っちゃいまして・・・」
「そうだね・・・モチーフを決めてひたすら撮る子とか日常の一コマを切り抜いて撮る子とかが多いかな。私はモチーフ決めちゃう派」
「成程。モチーフはどうやって決めるとかあります?」
「私はいつも歩いてる道とかをよーく見て思い出に残したい物をモチーフにしてるかな。初めっからこれが撮りたい!って決めて撮るために旅行する子もいるよ」
「思い出に残したい物・・・」
大井にとってのそれは白里先輩なのではないだろうか。モチーフに先輩を選んだら、吃驚しながらも応えてくれそうだなぁと想像する。ここは意を決して頼み込んでみよう。
「先輩をモチーフにしてもいいですか?」
「えっ」
「た、他意は無いんです! ただ、先輩と思い出とか作りたいなーって・・・」
しくった。必死になってしまった。完全に引かれた。なんだ思い出を作りたいってプロポーズみたいで重いじゃないか思いだけに。姫野がいたらやかましいわとツッコまれそうな事をグルグルと思考の海に浮かべる。先輩、せめて戯言として受け取ってくれないだろうか。
「いい、よ」
「・・・ありがとうございますっ!」
揶揄いもせず、はにかみながらも承認してくれるなんて、なんて優しいんだ。慈愛を体現したような態度に大井はますます嬉しくなってしまった。帰宅後、先輩の写真もゲットできる事実に大井は歓喜の雄叫びを上げて母親に諌められてしまった。
その後、白里先輩の写真が入賞したのは言わずもがなである。これぞ恋のパワー。
八月である。蚊が飛び始めて煩わしい。夏休みの予定なんぞは大井にあるわけが無い。と言いたいところだが文化祭の準備に学校に行く予定ならあるのだ。写真部は写真の展示だけなので無いが、如何せんクラスの出し物として小物製作を任されてしまったのだから仕方ない。白里先輩と夏のお遊びついでに水着姿を拝みたかったがまた興奮して倒れたりしたら大変なため止めておいた。これでいいのだこれで。
クラスの出し物といっても劇やお化け屋敷ではなく簡易カフェだったので小物も部屋の飾り程度しかない。楽な役職を嗅ぎ分けてサッと取るのは陰キャの得意分野である。隅っこで薄い紙を開いてお花を延々とつくるのだ。店員?饗す友達もいないのでなる訳ない。
九月である。蝶も目にしなくなる時期である。勿論一大イベントといったら文化祭だ。大井は出し物に参加しない分エンジョイする気満々であった。陰キャとて人間なんなら日本人、お祭りは大好きな方だ。雰囲気だけでワクワクしてくる。白里先輩のクラスの出し物は事前に本人に確認済みだ。劇をするらしい。白里先輩は裏方でもないようなので、その劇を連チャンして目に焼き付けなくてはいけない使命が大井にはある。
午前の部が終わった。長いようで短い劇をぎっしりと脳内メモリーに保存した。何回も見たために係からは怪訝な目を向けられたが許して欲しい。白里先輩は村人C役だったが、ヒロインよりも王子よりも輝いていた。セリフもバッチリ覚えるくらい観たはずなのに録画出来ないことが惜しくて仕方なかった。午前の部は予定が埋まっていたが、午後からはフリーなため冷やかしも兼ねて姫野のクラスにでも行くこととする。
「お、旭じゃん。やっほ」
「姫野ってB組だったっけ」
「お前ひど、姫野ちゃん傷ついちゃったな〜何か買ってくれたら友情回復する気がするな〜」
「恐喝じゃん怖。何売ってんの?」
姫野のクラスは雑貨屋のようだ。手作りだったりそうでは無さそうだったりするものが疎らに並んでいる。それとなく眺めていると一つのリボンが目を引いた。小ぶりの真珠色のそれが白里先輩の艶やかな髪に映えているのを想像する。今度プレゼントしてみようか。
「じゃ、これ買うわ」
「・・・これって旭が着けるの?」
「なわけないだろ」
だよねと笑われる。面白がってるだろ。
後日、白里のハーフアップの髪ゴムに白いリボンが使われたとか。
十月である。虫も夜に活発になってきた。肌寒さを感じる日も増えつつあるこの月では体育大会なるものがある。無論、大井はインドア派の頭を任されてもおかしくないくらい反運動的な人間だが、体育大会その日だけは涎を垂らすくらい待ち焦がれていたのだ。白里先輩の参加種目を聞きつつもそれと時間が合わないで、先輩を動画に収められる且つ楽な種目を射止めることができたからである。あとは動画の許可を白里先輩に貰いレッツエンジョイ体育大会!
白里先輩は大玉転がしに出るらしい。大井は別学年別クラスのスペースにお邪魔して白里先輩を待ち構えた。
『次は大玉転がし、二年生です』
アナウンスが響くと同時に、大井はこの為だけに買った(部活用でもある)お高めのカメラを構える。白里先輩は三番目だが出番を待っている姿も可憐なのでそれを含めて全てを撮る所存である。先輩の番だ、大玉を押しながらも走る白里先輩は情熱的な上に静謐な一つの絵画のようだ。熱心にカメラを動かしているとレンズ越しに白里先輩と目が合う。瞬時に白里先輩が手を振る。アイドル・・・?大井は素晴らしさのあまりカメラを落としそうになった。退場して行く白里先輩の方へ走る。
「旭さん、顔まっかだね。大丈夫?」
「大丈夫、です。写真ありがとうございました」
「全然、私もつい調子乗っちゃった。あ、そうだ。この間のリボンありがとう。お礼渡したくって」
「お礼なんて、そんな。いつもお世話になってますし・・・」
いいのいいの、ね?と袋を渡される。ありがとうございますの音が辺り一帯に反響したが羞恥心よりも圧倒的に嬉しさが勝っていた。
白里先輩からのお礼は紺碧の空色をしたハンカチだった。大井は毎日それをカバンに入れては時折眺めて変な目で見られていた。
十一月である。今度は秋のコンクールがやって来たようだ。大井は同じような顧問の説明を右から左へと流しつつ真剣な白里先輩の横顔を見ていた。横顔だと一層まつ毛が目立つな…などとぼんやりしていると話が終わったようで、部員たちがはけていく。部室には白里先輩と大井の二人っきりだ。そのシチュエーションにドキドキしていると白里先輩が振り向いた。
「私ね、今回旭さんをモチーフにしたいなって思ってて・・・いいかな?」
「へあ」
なんだって!?自分が、白里先輩の思い出に残ってほしい存在になっている、と間接的に言っていることに気付いているのだろうか。なんて幸福感!この悦の絶頂に大井は頭が痺れたようだった。だって、首を傾げる白里先輩の愛らしさといったら!大井はたまらなく足がむずむずした。
「自分、恋愛的な方で白里先輩のことが好きです。」
何口走ってるんだ自分は。プランJには無い流れだし展開が滅茶苦茶である。そんなつもりは無かったのに、言わずにはいられなかった。この先の言葉が上手く出てこない。冷静に誤魔化すという案さえも思いつきもしなかった。先輩の潤んだ瞳があまりにも艶美で、見詰めるばかりだった。それはどの宝石よりも透明で、光を深く吸い込むように燦然と揺れていた。
「ありがとう、嬉しいよ」
初めて出会ったあの日と同じトーンで、先輩は空気を震わせた。
「でも、私たち」
言わなくてもいい。違う、言葉を発しないでほしい。顔から、全身から血が回らなくなるのを感じる。だってその続きは
「女の子同士だからさ」
大井旭を否定する言葉だ。
「きっと、憧れを間違えちゃったんだよ」
水中に突き落とされたような感覚。耳鳴りが止まらない。喉からは掠れた音がした。
「・・・すみません、いきなり」
この謝罪は許しを乞うものではなかった。自罰的なものだった。いつでも先輩は自由で、清廉で、快活で、温厚で、誠実で、情愛に満ち溢れていた。そんな彼女に一世一代の告白を拒ませてしまったことが、大井は非道に思えて仕方がなかった。彼女は大井の告白に当惑して、それでも真剣な大井を振るために彼女の意見を伝えたのだろう。分かっている。分かってはいるが大井は茫然自失となってしまった。
大井が彼女と出会ってから心の真中にあり続けたこの気持ちの記録が、性別なんかで片付けられてしまってショックだった。
憧れのはずがないのだ。
彼女がいるから部活に入った。彼女を想い髪を切った。彼女に想われたくて立ち振る舞いを磨いた。彼女を追い求め続けた。
彼女の隣で、彼女の時間で、彼女の世界で過ごしていたい。そんな自分を見てくれる彼女を愛して、彼女の心に一生居続けたい。彼女がいるから幸せなのだ自分は。
この感情が愛で、恋でなければ説明がつかない。
憧憬なんかじゃ欲が足りない。敬服では質量が足りない。崇拝では親交が足りない。忠誠にしては自分が大きすぎる。
そんな、想いが肥大化しすぎた大井は気が触れてしまったのかもしれない。
___彼女は大井のことをどう思っていた?
結論は一つしかない。
だったらやることだって一つだ。
「嗚呼、そうだ。嬉しいと言ったのだ先輩は。きっと彼女も自分が好きだったんだ。自分たちは好きあっていた。それなのに同性同士だから暖かい先輩は自分の、大井旭の将来を気遣って、それで振ってしまったんだ。自分は先輩と愛し合い過ごせればそれで良かったのに、社会が許してくれないから、優しい先輩は大井とその恋慕を拒絶しなければならなかった。心を痛めてしまった。でも、そんな社会なら存在する意味なんて無いじゃないか。世間のために先輩が削られるなんて、あってはならないはずのことなのに。可哀想な先輩。自分はそんな事実に堪えられない。なら、先輩の為に社会を変えるしかない。変えよう、いや変えてみせる。人の声は、健気な誰かが命をおとした時に同情が広がって変わる。自分は光栄だ。自分を育ててくれた両親に、自分の為に尽力してくれた友人に、自分を愛してくれた先輩。とても恵まれて生きてきた。そして自分もそんな彼女達を愛している。彼女達のために成れるのが誇らしくてたまらない。だからこそ、これは自分がしなくてはいけない。奇っ怪に、そして鮮烈に、この大井旭! 命を散らし貴女のためになりましょう。より良い世界と貴女の糧に、讃えられてあれ!
________以上が、大井旭さんがに遺したビデオの音声です。この内容や友人の姫野さんの証言も含め、先日亡くなった大井旭さんは自殺と判断されました。相違はないですか?」
「・・・はい」
「これは、大井さんが貴女に遺して欲しいと」
俺はそう言って、白里さんに青いハンカチとそれに包まれた写真を渡した。白里さんの大きな瞳からは大粒の涙がはらはらと零れ落ちていて、この仕事はいつまでも慣れそうにないなと思う。
十一月二十二日に大井さんはビルの屋上から飛び降りた。三十階建ての景色から落ちる彼女を彼女自身が生配信で流していたのだ。カメラの配置は落ちた後まで映るようになっており、生々しい音とでたらめに曲がった四肢がそれこそ鮮烈に視聴者へ送られた。それは電子の世界に喋々しく波紋を残し、かくして大井さんの思惑通りになった。
それにしても、この大井さんは俺が関わった中でも特異なものに思える。どうも違和感があるのだ。遺書にある彼女の"恋慕"は果たして本当だったのだろうか。俺が歳をとっただけかもしれないが、恋とはもっと軽いものだった気がする。白里さんの傍にいたいと云う願望のために死ぬなんて、本末転倒だ。それに大井さんから爛れた願望が受け取れないのだ。はたと考える。大井さんが飛び降りる時、彼女の手にはアングレカムが握られていた。何故、アングレカムをわざわざ選んだのだろう。白里さんとも姫野さんとも全く関係の無いそれに何か意味はあったのだろうか。大井さんは、物に頓着しない人だと皆口を揃えていたのだから明確な意思があるはずだ。
・・・考えた俺はアングレカムに広がる紅を思い出してゾッとした。頓着しないんじゃなくて、入れ込んだことが無かったのではないか。まるっきり無垢なように。これでは最早恋慕ではなく。
恋慕ではなく、依存のような。
或いは傾倒 御堂シロ @zunzun194
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます