第24話

 俺にとっての高校一年は、長い、長い、一年だった。綾子に会えないから、余計に長く感じられた。

 会いたい、会いたい、写真を見てはそればかりを考える。


 本当に、会える日を今か、今かと待ち望んでいた。


 ・・・・・そして、俺が高二に進級する直前、ついに綾子は荷物と一緒にこの町に戻って来た。


 無人のプラットホーム。

 数人の学生が喋りいながら電車を待つ中、俺は着古したTシャツとジーンズで、綾子の到着を待っていた。


 踏切が鳴りはじめ、ずっと向こうの遮断機が降りた。

 一両しかないワンマン電車が、ゴトンゴトンと地面に響く音を響かせてこちらへ向かってくる。


 爽やかな風が、俺の頬をかすめた。

 まるでその風に導かれるように、電車はゆっくりとプラットホームに到着した。


 清々しい春の風は、日溜まりのような綾子を、ようやく俺の元へと運んで来てくれたのだ。


 まだ止まり切ってていない電車の、一杯に開いた窓から、不意に綾子の顔が覗く。

 綾子は流れる髪を右手で押さえ、もう片方の手を大きく振り回した。


 「壱、ただいま!」


 綾子の奴、声がでかいんだよ。

 俺は少し恥ずかしくなった。それでも、周囲を気にしながらゆっくりと電車の方へ向かった。


 本当は駆け出して行きたい気分だったが、照れの方が先に走った。


 電車が止まり、綾子が扉から飛び出して来る。

 そして、俺の前に辿り着くと、もう一度静かに繰り返した。

 「ただいま、壱」

 真っ直ぐな瞳が、俺を見つめる。

 綾子は何時でも、そんな目で人を見るのだ。その目で見つめられる度、俺の胸は甘く痛む。


 「お帰り、綾子」

 全ての思いを込め、俺もそう言った。

 それから、綾子の荷物を持ってやる。

 「随分でかい荷物だな」

 カバンを手にした途端、その重さにちょっと顔が引きつった。


 「うん、最後だと思って、沢山お土産を買って来たんだ」

 と、綾子は、日溜まりのような笑顔。

 綾子は、笑顔が良く似合う。


 ホームを出てから、俺達はそのまま駐輪場に向かった。

 「お土産って、どうせまた食いもんばっかりなんだろ?」

 歩きながら俺が言うと、綾子はむっと顔をしかめた。


 「食べ物ばっかじゃないわよ。戻って来る前に、友達と東京ツアーしてきたんだ。浅草とか、お台場とか、東京タワーも行ったし、ディズニーランドも行ったし、横浜の中華街にも行って来たよ。あっ、でもランドと中華街は、東京じゃないか」

 綾子は、相変わらずの調子で、一人でペラペラと東京観光の話しをした。


 卒業旅行に、沖縄とか、北海道とか、外国とかじゃなくて、今まで住んでたとこの、行きたくてもかなかな行けなかった場所に行くって発想が、なんか綾子っぽくて笑える。


 それからしばらくは機関銃のように喋り倒していた綾子、ふと思い出したように、

 「あっ、壱にもお土産買って来たよ」

 って言った。


 「輸入雑貨屋で、凄くいいお面があったんだ。東南アジアのお面でね、すぐに気に入ったから買って来たよ」

 「あのなぁ・・・・・」

 俺は、綾子の趣味に呆れた。


 「一番重くて、持って帰るの大変だったんだから。本当、可愛いんだって。何か、壱に似ててさ。着いたら渡すから、楽しみにしてて」

 「いらねぇよ」

 一言そう言うと、綾子は怒ってバンバンと俺の背中を叩いた。

 それから、ぐっと顔を上げて俺を見つめ、なんだか複雑そうな表情を作る。


 「壱、ほんと、あんた背が伸びたよね。もう、見上げないと顔が見えないわ」

 「綾子は、小さくなったよな」

 俺は笑いながら、綾子の頭をポンポンと叩いた。


 「何よそれ、なんかムカつくなぁ」

 綾子はむっと顔をしかめたが、それは一瞬後、ぱっと溢れるような笑みに変わった。

 万華鏡のように、くるくる変わる表情。

 そんな綾子が眩しくて、俺はちょっと目を細める。


 綾子はどんどん綺麗になって、ちっとも追いつけないのが悔しい。

 俺は、変わっていく綾子を、ドキドキしながら見つめる事しか出来ないのだ。


 駐車場に着くと、古びたママチャリのカゴに綾子の荷物を入れた。

 だが、余りに大き過ぎて、半分以上はみ出してる。

 俺が困った顔をすると、綾子は大笑いした。


 ちぇ、相変わらず、俺の前では大口開けて笑うんだな。

 むすっとしたまま、並んだ自転車の間から、俺のボロい自転車を引っ張り出す。


 すると綾子は、不意に悪戯っぽい表情になって言った。

 「ねぇ、二人乗りしよっか?」

 俺は、少し動揺した。

 なんか、下心が顔に出てしまいそうな気がして、わざと大袈裟に顔をしかめる。


 「マジかよ、お前先生だろ?」

 言ってから、ちょっと苦笑した。

 綾子が先生っていうのが、どうにもまだピンとこなかった。


 「そうだけど・・・・・。やっぱまずいかな?」

 「まあ、ちょっとくらいはいいんじゃね」

 田舎の農道なんて、あんま人通らないし。

 俺も、本当のところイヤな訳じゃなかった。

 けど、何で今日にかぎて二人乗りがしたいんだろ?


 「じゃあ、見つからないように、あそこまでにしよう」

 まっすぐの田舎道が、少し右にカーブしてる辺りを指差して、綾子が言った。

 そうだな、誰もいないし、それくらいなら大丈夫だろう。

 俺はうなずいて、サドルにまたがる。綾子はスカートなので、横座りで乗った。


 そのまま、弾みをつけてペダルを踏み込むが、カゴの荷物がやばかったのか、最初はバランスが取れなくて、車輪が大きく蛇行してしまった。


 綾子がキャッと叫んで、俺の腰にしがみついてくる。俺は、ちょっとラッキーと思いながら、そのまま勢い良くペダルを踏み続けた。


 「ん?綾子、お前、太ったんじゃねぇの?」

 冗談っぽく言うと、綾子はバンバンと俺の背中を叩いた。

 この癖は、歳をとっても変わらねぇな。


 「もう!」

 と綾子は背中に軽く頭突きをしてきたが、それから、

 「あのね、壱。これからあたしの事は、木下先生って呼ぶのよ。あたしの教師生活の第一歩は、東部高校から始まるんだから・・・・・」

 なんていいやがったので、思わずぎょっとする。


 「げっ、マジ?お前、うちの学校の来るの?」

 何だよ、全然そんな事、言ってなかったじゃねぇか。

 「そうよ、これからあたしとあんたは、先生と生徒なの」


 はーっ、と溜息を吐き、俺は天を仰いだ。

 綾子が俺の学校の先生?冗談じゃねぇ、それじゃ一日だって気が休まらねぇ。


 「もう、何よその溜息は。ムカつくなぁ~」

 また背中をバンバン叩きながら、綾子。

 「綾子、そんなに叩くなよ。マジ、痛いぜ」

 「うるさいな、木下先生でしょ」

 「へいへい、木下先生」

 そう言いながら、わざと自転車を揺らすと、綾子は叫んで俺の腰にしがみついてきた。


 「ちょっと、壱!」

 綾子がまた怒鳴る。俺は笑って、綾子の間違いを訂正してやった。

 「菅原君だろ、木下先生」

 「あーっ、あんたって、本当に生意気!」

 悔しそうに叫ぶ、綾子。

 それが可愛くて、俺はまた笑ってしまった。


 そのあと、自転車から降りて歩きながら、俺達は昔話に花を咲かせた。

 俺は、少しでも綾子と一緒にいたくて、わざとゆっくりと歩く。


 十歳の時に出会ってから、かれこれ六年の歳月が流れた。

 それは、俺と綾子の歳の差ぶん。決して埋められない、長い年月。


 でも綾子、俺はお前に出会えて、本当に良かったと思う。こんなに人を好きになることなんて、きっと一生無いだろうと思えるからだ。


 お前を好きになった事、俺は絶対に後悔しない。たとえ、お前が一生振り向いてくれなかったとしても・・・・・。


 「ほんと、あっという間だったよね」

 まだ肌寒い春の風に髪を揺らし、綾子はしみじみと言う。

 俺もそうだなと頷き、晴れ渡る空を見上げた。


 「まあ、綾子の赴任先が東部高校でよかったよ。また、俺が見守っててやる。大事な姉さんだからな」

 少し自嘲気味に言うと、綾子は俺の背中をバシンと叩いた。

 凄い力で叩かれたから、思わずのけ反る。今手を離すと、絶対に引っ張ってる自転車を倒すと思って、どうにか我慢した。


 「お前なぁ、痛いって言ってるだろ」

 ったく、いい加減にしろよ。

 そんな気分で文句を言うと、綾子は不機嫌そうにぼそりと言った。

 「ばーか、あんたの姉さん役なんて、とっくに卒業してるわよ」


 俺は、一瞬自分の耳を疑った。

 思わず、綾子を見て聞き直す。

 「何だって?」

 「なんでもない」

 綾子が、不機嫌そうに呟いた。

 俺は、その言葉の意味が知りたかったが、綾子はそれ以上何も言ってはくれなかった。





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