第23話

 受験シーズンも終わりを告げ、俺は無事に東部高校の一年生になった。

 合格したって喜びは、あまりない。

 東部高校は、余程の事がない限り、落ちたりはしない所なのだ。


 ようやく、16歳。大人まで、あと一歩だ。


 ちなみに、俺の身長は伸び続け、今や180センチ近くになっていた。

 クラスでも、長身の方だ。

 だからと言って、何も変わりはしない。

 俺と綾子の、歳の差も縮まる訳じゃない。


 高校に入っても、俺はやっぱりバンド活動に熱中していた。

 受験前には一度切って黒に戻した髪も、また茶髪に染めている。

 ピアスの穴も、順調に増えてるし。


 子供の頃は硬派だった俺も、今や軟派の代名詞。親父なんかには、何時もちゃんとしろと煩く言われる。


 でも、餓鬼の衝動は収まったみたいで、今はやたらめったら、女とつき合ってはいない。

 綾子に言われた通り、その場しのぎの恋愛を求めるのは止めたのだ。


 今の俺の綾子への思いは、ひょっとすると愛かもしれねぇ。

 俺はまるで親父みたいに、綾子を見守る事だけに徹しているんだ。


 この先、綾子が違う奴と結婚したとしても、俺はずっと見守り続ける。

 もし綾子が婆さんになって、一人寂しい生活をしていたら、俺はすっとんで行って慰めてやるんだ。


 その頃なら、六つの歳の差なんてたいした違いじゃなくなってるだろ?


 毎日ギターの練習をしながら、俺はそんな事を考える。

 そりゃ、綾子が俺を弟じゃなく、男として見てくれるなら、それが一番さ。


 綾子の隣に俺がいる生活、そんな淡い夢をついつい思い描いてしまう。

 せめて、綾子の中で俺が弟じゃなくなったら、告白しようって気になるかもしれない。


 だが、今のとこ、それは望むだけ無駄のような気がした。


 綾子は、今年の夏はこちらに帰って来ないそうだ。なんでも、色々卒業に向けて忙しいらしい。


 その代わり、ちょくちょく手紙を送ってよこす。

 綾子の字は、大きくて飛び跳ねてて、まるで綾子の性格そのものだ。


 東京もそろそろ飽きて来たのか、最近はやたら故郷が懐かしい、早く帰りたいなんて書いてあった。


 綾子がそう思うのなら、めでたい事だ。


 俺はもう、綾子が手の届かない場所へ行ってしまうのは、嫌だった。

 出来るなら、俺の目の届く場所にずっといて欲しい。


 ・・・・・・・そうそう、東部高校に入学して間もなく、俺は由衣に会った。実は由衣は、この高校の三年生だったんだ。


 ちょっと見ない間に、由衣は綺麗になっていた。

 女って奴は、目を離した隙にどんどん綺麗になっていきやがる。


 由衣は、大阪の専門学校に行くつもりだと言っていた。

 なんでも、美容師になりたいんだそうだ。


 少し大人になった俺達は、あの頃とは違う空気を纏って、案外静かに話しをする事が出来た。


 「あたし、本当は後悔してたんだよね。凄くイチが好きだったけど、自分の方から逃げ出しちゃったんだもん」


 学校の裏庭、さわさわと花を揺らす桜の下で、俺達はあの時とは違った思いで語り合う。

 由衣は短く切った髪を触りながら、ちょっと意地悪な表情で俺を見上げた。


 「俺、餓鬼だったんだ。お前を傷つけてばかりで、何もしてやれなかった」

 俺がそう言うと、由衣は怒ったように頬を膨らませた。


 「やめてよ、優しい言葉をかけないで。そんな事言われたら、期待しちゃうでしょ。イチは、冷たくてイヤな男のままでいいの。そしたら、忘れられるから」


 ・・・・・御免よ。そう、心の中で呟いた。


 俺が餓鬼過ぎたから、周りの人間を傷つけてしまった。

 由衣の優しさに、思わず甘えてしまった。

 思い人が余りに遠過ぎて、俺を好きでいてくれる女に頼っちまったんだ。


 だけど、俺はもう大人になろう。何時までも、このままじゃ駄目だ。


 俺は由衣に対して、詫びる気持ちで、俺の本当の思いを告白した。

 誰にも告げなかった、綾子への思いだ。


 「由衣、俺には好きな女がいたんだ。手の届かない女だったから、苦しくて荒れていた。俺は、その女の代わりに、違う女を求めてた。俺、本当に酷い男だ」

 由衣は目を伏せて聞いていたが、不意に顔を上げて俺を見つめた。


 真っ直ぐな瞳、一途な心。


 ・・・・・ああ、そうか。


 由衣を見て、納得した。

 俺が由衣にひかれたのは、目に見えないある部分が、綾子に似ていたからなんだ。


 けれど、それだけは流石に言えない。

 きっと、由衣を傷つけると思ったからだ。


 由衣は強い眼差しで俺を見つめた後、小さく笑みを漏らした。

 「イチって、やっぱ冷たいな。おまけに、イヤな男だ。女の気持ちなんて、全然分かってないよね」

 言った後、躊躇いもなく背を向ける。


 由衣をふっておきながら、一瞬未練のようなものが俺の心を過った。

 それくらい、由衣は強く輝いて見えたのだ。


 こんないい女をフルなんて、勿体ない。正直、そう思ったさ。

 もちろん、綾子がいなかったらの話しだけどな。


 「・・・・・でも、我ながら馬鹿みたいだけど、そんなイチが好きだったな」

 言いながらも、由衣の方には一片の未練もないようだった。

 軽く手を上げて、最後に一言だけ告げる。


 「バイバイ」


 そのまま、颯爽と歩き出した。二度と、振り返る事もなく・・・・・。


 風が吹いて、桜の花びらが散る。

 乱れる花吹雪の中に紛れて消える由衣の後ろ姿を、俺は目を細めて見送った。


 全てが輝き、眩しいくらいに綺麗だった。

 由衣はその輝きの中で、これからもっと綺麗になっていくんだろう。


 ・・・・・そして風が止まった時、俺の心には甘くて苦い思い出だけ残った。

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