第22話

 どうした?こんなに大人しい綾子なんて、やっぱおかしいな。


 「綾子。なんか元気ないな?」

 「・・・・・・うん」

 「また、ふられたか?」

 俺が冗談っぽく言うと、綾子は少し弱々しい笑みを返して寄越した。

 「そんなんじゃないよ」


 全く、なんだって綾子は、相変わらず辛い時でも笑おうとするんだろうな。

 そういう笑い方されると、余計に胸が苦しくなるんだって。


 「教員に、なんかヤらしい事でもされたか?お前、隙だらけだからな」

 俺がそう言うと、綾子はクッションをポンと俺の方に投げて、今度はちょっと怒ったように言った。

 「違うよ!」


 「じゃ、何だよ。喧嘩でもしたか?」

 「誰と喧嘩すんのよ。子供じゃないんだから」

 「なら、言えよ。そんな泣きそうな顔して、何もない訳ないだろ。ほら、俺が聞いてやるから、何でも話せ」

 言った途端、綾子は大きな目に涙を膨らませた。


 「・・・・・壱、どうしよう」

 どうしようって、困るのは俺だよ。

 いきなり泣かれたら、どうしていいのか分からなくなるだろ。


 俺は、のびて鬱陶しくなった前髪をかき上げながら、しばらくおろおろしていた。

 困った挙げ句、綾子の細い肩にそっと手を触れる。

 それだけで、心臓が、16ビートどころか乱れ打ちだ。


 綾子に触れた途端、感情が一気に高まって、思わず抱きしめたい衝動にかられた。

 その時、いきなり部屋の戸が開いた。


 ぎょっとして手を離すと、お盆にジュースを乗せて現れた美佐江が、ちょっと驚いたように目を丸くしている。

 それから、ニヤッと嫌な笑みを浮かべた。

 「お兄ちゃん、何やってんの?」


 俺は、かっと顔を赤くして、美佐江を怒鳴りつけた。

 「馬鹿、何もしてねぇ!」

 だけど美佐江は、大人ぶった態度で頷くと、盆だけを置いて静かに戸を閉めた。


 ったく、タイミング悪い時に来やがって!

 ほっとしたのもつかの間、戸を開けて再び美佐江が顔を覗かせる。

 「お兄ちゃん、綾ちゃん泣かせたら駄目だよ~。まっ、頑張って!」

 「うるせぇ!さっさと行けよ!」

 美沙は、きゃっきゃと悲鳴をあげ、笑いながら去って行った。


 俺は、まだ顔が熱いまま、泣いてる綾子の方へ向き直る。

 それから、また綾子の肩に手を乗せた。

 今度は、衝動を抑える事が出来た。でも、俺の指に絡み付く綾子の髪の感触が、やけに息苦しかった。


 「おい、どうしたんだ?」

 綾子は、一生懸命泣くまいとしているのだが、涙が後から後から溢れて来て、どうしようもないみたいだった。


 「あたし・・・・・、教師駄目かも」

 「駄目って?」

 「実習で、ヒスった。・・・・・そしたら、生徒がキレちゃって」


 はーっと、俺は溜息を吐いた。


 正直、ヒステリーな教師なんて、山ほどいるさ。綾子が、一度ヒスったからって、気にするほどじゃない。


 でも、綾子は真面目だからな。

 いい先生になるって意気込んでたから、そうしたちょっとの失敗でも、胸に堪えるんだろう。


 「教育実習でヒスったって、何でだ?」

 「授業を全然聞いてくれなくて。説明が下手だとか、つまらないとか言って、最後は時間が勿体ないって馬鹿にされた」


 それで、何となく分かったような気がした。

 港南なんて、なまじ賢い奴らが行く学校だから、教生の授業なんかバカバカしくて受けられないんだろう。


 レベルの高い先生じゃないと、受け入れられないんだ。

 そんな話しを、誰かから聞いた事がある。


 「・・・・・で?」

 「無視された。授業聞かないで、勝手に参考書で勉強始めちゃって。あたしが何言っても、聞こえないフリして。指導の先生が一緒の時は、そんな事なかったのに」


 ったく、しょうがない連中だな。

 教生の授業なんか、下手なのは最初から分かりきった事じゃねぇか。

 もっと広い心で、受け止めてやれって。


 「指導の先生は、何って言ってたんだ?」

 「こんな事じゃ、困るって。お前も港南の生徒だったんだから、生徒の気持ちも分かる筈だって。折角ここに実習に来れたんだから、親から文句が出ないうちに何とかしろって」

 んなもん、分かるかって。

 最初から出来りゃ、実習なんかいらねぇっつうの。


 俺は、取りあえず慰めるように、綾子の頭をポンポンと叩いた。

 それから、出来るだけ優しく言ってやる。


 「綾子、我慢しなくていいぜ。俺が何でも聞いてやるから、俺の前では我慢なんかしないで、悔しい事、辛い事、全部吐き出せばいい。でも、負けるな。お前は、簡単に負ける奴じゃないだろ。お前が一生懸命やれば、絶対乗り越えられる事、俺が知ってる。頑張れ!何かあったら、何時でも俺のところに来い」


 こんな臭い事、普段なら絶対に言えねぇ。

 でも綾子が泣いてるから、仕方ないじゃないか。


 綾子はしばらく泣いていたが、不意に顔を上げて俺をじっと見た。

 それからちょっと笑って、俺の胸にぽんと拳をあてる。


 「何よ、カッコいい事言っちゃって。ほんと、壱って生意気だ」

 涙で濡れた目が、キラキラしてとても綺麗だった。


 こんなことで感動しちまうなんて、俺は本当に綾子が好きなんだなと、妙に納得したりする。


 「そうだね、これくらいで負けちゃ駄目だね。なんか、壱に聞いてもらってスッキリした。よし、明日からまた頑張るぞ!」

 綾子は涙を拭うと、拳を振り上げて元気よく言った。

 思わず、ほっとする。やっと、何時もの綾子に戻ってくれた。


 俺は、綾子が元気で笑っている姿が見ていたいんだ。

 何でもかんでもまっしぐらで、壁にぶちあたっては傷つくけど、綾子は何時もフェニックスみたいに甦る。


 大好きな綾子には、万華鏡のようにくるくる表情を変えながらも、ずっと前に向かって突き進んで欲しいんだ。


 それから綾子は、無事教育実習を終え、東京の大学に戻っていった。

 物語みたいにはいにかったみたいだけど、それでもやり切った奴がする笑顔を見せてくれた。


 俺は綾子と会う度に、少しづつ大人になる。

 綾子の存在が俺を大きくし、半端な心に優しさと労りを思い出させてくれる。


 でも、長い、長い片思い。何時まで、それは続くのだろう?

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