第20話
「壱って、何時もあんななの?ファンの子には冷たいし、彼女は泣かせちゃうし、なんか、そういうのヤだな」
ひたすら無言だった綾子、突然口を開いた。表情が、モロに不機嫌そうだ。
それから、不意にこちらを見て、強い視線を真っ直ぐに浴びせて来る。
相手の目を直視するの、綾子の癖なんだよな。相手の目を見て喋れない、俺とは逆なんだ。
その目が、俺は好きだ。でも、今はちょっと痛い。
俺は返事を返さず、綾子から視線をそらした。綾子に言われる筋合いはないと、半分八つ当たり気味に思う。
「由衣ちゃんだっけ?きっと、本気で壱が好きだったんだと思うよ。見てて、ちょっと胸が痛かった。何があったか知らないけど、よっぽどの事がなけりゃ、女の子が好きな人を殴ったりは出来ないと思うよ。あれは、駄目だよ。ちゃんと会って、謝った方がいいよ」
「本気で言ってんの?」
俺は、じろりと綾子を睨んだ。
何事もなかったように謝って、由衣とよりを戻せって言うのか?
今まで、ずっと自分を誤魔化して、由衣を利用してきたんだ。好きな女を忘れる為に、ずっと。
俺の視線に驚いたように、綾子はパチパチとまばたきした。それから、困ったように眉を寄せる。
「壱は、いいの?由衣ちゃんと、あのまま終わっても」
「俺と由衣は、とっくに終わってんだよ。今更謝ったって、もうよりを戻す気はねぇし」
俺の気持ちも知らず、説教なんかしやがるから、ちょっと意地悪な気分になった。
「そういう綾子は、どうだったんだ?嘘でも、川辺の野郎と一緒に居たかったのか?」
俺を見ていた綾子は、一瞬傷ついたような顔をした。それから、すっと目を伏せる。
「ずるいな、壱は。そう言われたら、答えられないじゃない。でも、少なくとも川辺君は、壱みたいにいい加減なフリ方じゃなかったよ」
ズキっと、心が痛んだ。
何も言い返せない。確かに俺も、自分が最低な奴だって思うから・・・・・。
「あたしから見ても、壱はカッコいいと思うよ。雰囲気があるし、ドキッとする女の子は沢山いると思う。でも、だからっていって、いい加減につき合っていい訳じゃない。相手が本気な事、ちゃんと分かってあげなきゃ。壱は、遊びじゃなくて、本当に好きな子とだけつき合うべきよ。じゃなきゃ、壱とつき合う子は可哀想」
確かに、綾子の言う通りさ。
だけど、一番好きなやつは、俺の事なんか見ちゃいない。それどころか、俺を男とさえ思ってやしないんだ。
俺は一瞬、ここで何もかもばらしてやろうか、って気になった。
もし、俺が好きだと言ったら、綾子はどうするだろう?
「綾子・・・・・」
俺の口から、今にもその言葉が出そうになった。
「何?」
綾子が、俺を見る。全く何も疑ってやしない、真っ直ぐな瞳で。
・・・・・・言葉が出なかった。
全てが止まってしまったように、静かな沈黙だけが落ちる。
俺は目を閉じて、溢れそうな思いを堪えた。
溜息と共に目を開ける。
「なあ、昔みたいに手をつないで歩いてくれないか?」
俺は告白する代わりに、無邪気な弟を装った。
・・・・・いいんだ、俺はこれでいい。
弟のままでいいから、綾子の側にいたい。綾子に、触れていたいんだ。
綾子はちょっと驚いたような顔をし、それから笑った。
「やーね、大きななりして何言ってんの?人に見られたら、恥ずかしいじゃない」
「こんなに暗いんだ、分かりゃしないさ」
俺がそう言うと、綾子は困ったように首を傾げた。けれど、そっと手を伸ばして、俺の手を握ってくれた。
柔らかい感触、暖かい温もり。そして、細くてしなやかな綾子の手。
昔は、心強くて頼もしい手だった。でも今は、俺の手の方が大きい。
ごめんな、由衣。俺は、綾子を忘れて、お前を好きになりたかった。
でも、やっぱり俺は綾子が好きなんだ。綾子じゃなきゃ、駄目だんだ。
それが分かってしまったから、もうお前に戻る事は出来ない。酷い男と思って、俺の事なんかすっぱり切り捨ててくれればいい。
・・・・・我ながら、ずるい男だと思うけれど。
繋いだ手が心地よくて、俺は少し指に力を入れる。
心臓の鼓動が、綾子にも伝わるんじゃないかと、少し不安だった。
俺が、綾子とは違う思いでその手を握っている事が、ばれやしないかと。
それからもずっと、俺達は無言で歩いた。
でもつないだ手は、家に着くまで離れる事はなかった。
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