第18話
綾子が帰って来て三日目、俺たちのライブの日取りが決まった。
綾子にも来て貰いたく、次の日早々に、出演者のノルマだと渡されたチケットを一枚片手に持って、彼女の部屋を訪れた。
俺は、綾子の親父さんがいない昼間だけに限り、綾子の家ではフリーパスなんだ。
親父さんは最近俺が気に食わないみたいで、俺もちょっと気まずい。
おばさんだけの時は、勝手に家に上がっても何も言われないからいいんだ。
その日も俺は、おじさんが居ないのを確認したあと、そのまま家に上がって綾子の部屋へ向かった。
それから、何時ものように戸を開ける。
途端、綾子は悲鳴みたいな声を上げて怒った。
「ちょっと、入る時はノックくらいしてよ!」
俺は、綾子の声に度肝を抜かされながらも、仏頂面で反論した。
「なんだよ、何時も平気だろ?」
「そうだけど・・・・、あんたもそろそろ大人に近づいてきてるんだからさ、女性の部屋を訪れる時はそれくらいのデリカシーをもってよね」
それは、俺にとっては意表を突く台詞だった。
何時も餓鬼だと抜かしくさってた奴が、俺を大人だと言いやがったんだ。
俺は、戸口に寄りかかりながら、にやりと笑った。
「へぇ~、俺はもう餓鬼じゃないのか?」
「餓鬼って言えばそうだけどさ。そんな馬鹿でかくなったら、やっぱこっちも考えるのよ」
机の前で何やらしていた綾子は、むっと顔を顰めて言った。
俺はなんか嬉しくなって、そのままスタスタと部屋を横切った。
それから、綾子の背中に回り、彼女が何をしていたのか覗き込んで見る。
「なんだ、これ?」
俺が言った途端、綾子は顔を赤くし、机の上にあった紙を体で隠した。
「見ないでよ!」
ちらりと見える冒頭の言葉からして、それはどうやら、教育実習か何かで使うつもり自己紹介文らしかった。
こんなの書いて練習してるなんて、綾子らしいな。
俺は笑って、綾子が隠そうとしている紙に手を伸ばした。
「何で隠すんだよ。いいじゃん、見せろよ。俺が採点してやる」
俺は綾子の腕を掴んで、無理やりそれを奪い取ろうとした。綾子も躍起になって、それをさせまいとする。
しばらく俺たちは、必死になって紙切れの奪い合いをしていた。
そのうち、綾子が小さく悲鳴をあげた。
「痛い!」
ぎょっとして、手を離す。
綾子は、俺がつかんでいた手首を摩りながら、とがめるようにじろっと睨んだ。
「そんなに力を入れたら、痛いじゃない。あんたは、男なんだからね」
その言葉に、どきっとした。
いつの間にか、俺は綾子よりずっと力が強くなっていた。
綾子よりも体が大きくなり、今なら苦もなく綾子を押さえつけられるだろう。
そんな思いが、俺の胸をかき乱す。
なんとなくばつが悪い気持ちになり、綾子の視線から逃れるように目をそらした。
「・・・・・・悪い」
ぽつりと呟く。
「まあ、いいわ。それより、何か用事があったんじゃないの?」
綾子は、ぱっと表情を変え、にっこりと微笑みながら言った。
「これ・・・・」
俺は少しあわて気味に、ジーンズのポケットからチケットを取り出す。
綾子は、俺からチケットを受け取ると、それを興味深そうにまじまじと見つめた。
「へぇ~、壱がバンドねぇ~」
おい、なんだって?壱だって?
ちょっと前までは、俺をちゃん付けで呼んでいたくせに。
俺は、名前を呼ばれた事にぞくぞくしながらも、ことさら迷惑そうな顔で言ってやった。
「気安く呼び捨てにすんじゃねぇ」
すると綾子は、にやっと笑って、俺の背中を思い切り叩きやがった。
「あんただって、あたしの名前を呼び捨てにしてんじゃないの。大体、年下のくせに、あんたって生意気なのよね」
あっけらかんと言ってから、ちょっと声をひそめる。
「それよりあんた、ちゃんと勉強してる?おばさん、心配してたわよ」
俺は顔をしかめて、さっきのお返しとばかりに、綾子の頭を軽く小突いた。
「うるせぇんだよ。ちゃんと俺に合った高校に行くから、お前が心配すんな」
綾子は、ぶつぶつ文句を言っていたが、今度は妙に悪戯っぽい顔になる。
「由衣ちゃんだっけ?彼女、出来たんだって?」
ちっ、また母さんが言いやがったな。
俺は、なんかげんなりした気分になって、早々に綾子の部屋から退散する事にした。
「何で、帰るの?少しくらい、話し聞かせてよ」
背を向けた途端、綾子が不満そうに言う。
ったく、綾子はのんきでいいよな。
悩みなんか、ねぇんじゃねぇのか?
俺が無言のまま部屋を出て行こうとすると、あいつは平然とこんな事を言った。
「あんた、気をつけなさいよ」
「何をだよ!」
「中学生なんだから、避妊しろってこと」
俺は、綾子からそんな言葉が出るとは思わず、思わず咳き込んだ。
「何の話しだよ!」
「だって、この間言ってたじゃん。そう言うのは早いと思うけど、あたしがどうこう言えないし、やっぱりあんたが気をつけた方がいいと思うわ」
澄ました顔で言う綾子に、俺は大きくため息を吐いた。
本気で思ってるのか?
まさかだが、この間の喧嘩の事、案外根にもってやがるんじゃ?
「あれは、嘘だって言っただろ!それよりそのチケットタダでやるから、ライブ来いよな」
じろりと綾子をにらんだ後、俺は緊張で高鳴る心臓を抑えるため、素早く部屋を出てバタンと乱暴に戸を閉めた。
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